第9話 妹出現
――嵐だ。
その音が聞こえてきたとき、そう思った。勉強も一通り片付き、セーラとお茶を飲んでいると、階下で玄関の扉が勢いよく開かれる音が響き、その後にどたどたと階段を上る音が聞こえ、さらにいま私とセーラのいる部屋の扉ががちゃりと開かれる音が聞こえたのである。この間わずか十秒足らず。
入ってきた人物がいかに急いでいたのか分かろうと言うものである。
「色々大変だったけどものすっごい急いで帰って来たのよ!そりゃあもう国境を越えてからはアレなのよ!指輪外して魔力全開放で全力で走ってきて、もう……ってそんな私の苦労話はいいのよ!!!そんなことよりちょっとセーラ!お兄様はどこなのよ!!」
扉を開け放って間髪いれずにそう叫んだのはだいたい十歳くらいだろうか、金髪碧眼の美少女、いや、美幼女だろうか。いまだ成長の途上にあることはその胸元を見れば嫌でもわかってしまう。少女は私のそんな視線の動きを感じ取ったようで、きっ、と私を睨んだ。まだ成長途上なのだからいいではないか。私なんて……。
「……?誰!?誰なのよ!!!この人間は!黒目黒髪でなんだかミステリアスなのよ!!!」
少女は早口でそう言った。セーラはそんな少女を一瞥し、優雅に飲んでいたティーカップをソーサーに静かにおいてから、余裕をもって質問に返答する。少女はそのようすをいらいらとしながら少女は見ていたが、特に文句は言わない。
「この方はキリハ様です。ミリア様」
「……誰よ、それ。前に来た時にはここにはいなかったのよ!そもそもなんで人間がいるのよ!ここ魔国なのよ!?」
困惑の表情を浮かべ、もっと説明なさいと仕草で示している。全体的に仕草が幼く、可愛らしい。その台詞からして少女も魔族なのだろうが、年齢はともかくその精神は見た目通りのもののようだ。
セーラは言う。
「キリハ様は、この屋敷の近くに一人で佇んでおられたのですよ。そこを発見・保護して今はお客様としてフェラード家に滞在されておられます」
「誰の許可を得てそんなことしてるのよ!私は許してないのよ!だってそのとき私はいなかったのよ!!なのにこんな風に優雅にお茶を飲んでるなんて!私もお茶飲みたいのよ!入れてなのよ!」
ミリアは頬を膨らませて叫んだ。
セーラはここに至ってもその冷静な態度を崩さない。ミリアの分のお茶をこぽこぽと入れながら、落ち着いて返答する。この様子からすると、きっと少女の態度はいつものことなのだろう。激高した小動物を見ているようで、腹が立つよりも微笑ましさを感じる。
「フェラード様です」
セーラの返答に、ミリアは頬を元に戻して首を傾げた。その仕草はまさにリスのようであり、可愛らしかった。少女はカップをとり、ふーっ、と少し冷ましてから、こくりとお茶を飲んで呟く。
「……お兄様が?」
「ええ」
「そう……なら仕方ないのよ。でも一言くらい連絡してくれてもよかったのにっ!」
「ミリア様は勉学に忙しかったでしょうから、気を遣われたのではないでしょうか」
そう言って、セーラはまたお茶に取り掛かり始めた。セーラはよっぽどお茶が好きなのだろう。これだけかき回されても、お茶を飲む速度は来る前とほとんど変わっていない。
ミリアはその様子をしばらくぼんやりと見ていたが、自分が何をしに来たのか気付いたようで、はっとして叫んだ。
「なに、何事もなかったかのようにティータイムに戻ってるのよ!あまりにもさりげなさ過ぎて反応できなかったのよ!……ハッ!そんなことよりお兄様よ!!どこなのよ!」
「ミリア様、まず服をお着替えになってはいかがですか」
そう言われたミリアの服装は完全に旅装である。今帰ってきたと言わんばかりに厚手のコートを羽織っており、その手にはいくつかの袋が握られている。覗いているのはなんだかよく分からないものばかりだ。用途を聞きたくなるようなものもいくつか入っていたが、私が今この場で口出しするのは適切ではないだろうと口をつぐむ。
ミリアはぷくーっと頬を膨らませて一息に叫んだ。涙目になるくらい、力が入っている。
「なんでよ!なんでよ!わたし今すぐにでもお兄様に会いたいのよ!これはもう着替えなんてしてる暇は無いのよ!それくらいに危急の用事なのよ!一大事なのよ!それなのに着替えてこいだなんて!どうしてそんなこと言うのよ!」
「きっとフェラード様は同じ事をおっしゃると思うからです」
「……」
「……」
「……着替えてくるのよ!」
そう言い残して、ミリアはどたどたと部屋を出ていった。どこかの扉が開く音がしたから、おそらく自分の部屋にいったのだろう。私はそこまでの様子を唖然としながら見つめていたが、嵐が去ったので質問を始めることにした。
「…あの人は?」
「フェラード様の妹、ミリア様です。今は人間国家の魔法学院に身分……というか種族を隠して通ってらっしゃいますね。今日から春休みと言う事で帰ってこられたのです」
お茶を飲むセーラは実に優雅で、嵐が過ぎ去ったあとだとは思えないほどに落ち着いている。
この胆力には見習うべきものがある。
「じゃあ、あの人もフェラードなんじゃないの」
「フェラードの名を名乗れるのは当主のみですから。それ以外は通例、名前のみを名乗ります」
「へぇ……」
豆知識だった。そんなことを話しているうちに、またどたどたとミリアがやってくる。どうやら着替え終わったようで、先ほどまでとは見違えて見栄えのするドレスを着ている。手には雑誌のようなものを持っており、それがドレスとなんとなくちぐはぐな印象を与える。
しかしセーラには特に違和感は感じられなかったようである。
セーラはミリアの格好を確認してから、笑顔で言った。
「フェラード様は書斎にいらっしゃいますよ」
「ありがとっ!」
聞くと同時に出ていくあたり、あのミリアという少女は兄のことが好きなのだろう。仲のいい兄妹なんだなと羨ましく思った。
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しかし、意外にもミリアはそのすぐ後に戻ってきた。泣きそうな顔で雑誌を握りしめながらとぼとぼと歩いてくる。そこには先ほどまでの全てを薙ぎ倒しそうなバイタリティは存在しない。
「あら、どうしたのですか?」
セーラが聞くと、「うわあああああん!!!」と泣きながら抱きついた。
「あらあら」
「……お、おにいっ、さ、さまが、い、いそがっ、しいっって……うう」
その台詞だけで何があったのか想像できると言うものである。
「仕方ないですよ、ミリア様。フェラード様にはお仕事が一杯あるんですから。最近特に忙しそうですし」
「でもっ、たまにっ、た、たまには、わたしとお出かけ、してくれてもいいのよっ!」
しゃくりあげながら話すようすはいっそ哀れである。なんだかかわいそうに思えてきて、私はつい頭を撫でてしまった。
ミリアは驚いて私の顔を見上げる。
「ど、同情なら、いら、いらないのよっ!」
ミリアはそう言って私の手をはじいた。
私としてはそんなつもりではなかったので、正直に思うところを述べる。
「違いますよ。つい撫でてしまっただけで。故郷に弟がいましたから、なんだか思い出してしまって…」
「お、弟?」
「はい。私の弟も、よく一緒に出かけようと誘ってくれました。けれど私もミリア様のお兄様と同じように、忙しいから、と言って断ってしまう事が多くて……今にして思えば、どうにか時間を作って出かけてあげればよかったです。私だって、本当は弟と一緒に遊びたかったんですよ。きっとミリア様のお兄様も同じようにおもっていらっしゃるのではないでしょうか…」
私の台詞を神妙に聞いていたミリアは、おずおずと尋ねてきた。
その瞳には自信無げな感情の船が揺れている。性格とは異なる儚ささえ感じさせる見た目と相まって、今にも消え入りそうに見えた。
「ほ、ほんとうに、そう思うのよ…?」
「……? ……なにがですか?」
私は首を傾げる。
ミリアはそんな私の様子に一瞬悩んだが、素直に続けた。どうやら私に対する悪感情は減少したようだ。何がきっかけかはわからないが、いいことである。
「お兄様が、私と遊びたいって…」
「そうだと思いますよ。こんなどこの馬の骨とも知れない私をお屋敷に置いてくれるほどお優しい人なんですから、当然、妹君のことは誰よりも大事に思っておられるでしょう」
「そ、そっか……」
恥ずかしそうに顔を赤らめるミリア。なんだかとても可愛らしくて今すぐにでも頭をなでたくなってしまった。しかし一度拒否されている訳だから、我慢しなければならない。
けどせめてちょっとは仲良くなれないものかなぁと思って見つめていると、意外にもミリアの方から折れてくれた。
「ね、あのね」
「…はい」
「も、もしよかったら、あの……」
「?」
そう言ってミリアはさっきから握りしめている雑誌を差し出してくる。
「くれるんですか?」
「ち、ちがうのよっ!」
焦るミリア。セーラが微笑みながら言う。
「キリハ様、ほら、良く見てください」
言われて雑誌を良く見てみると、付箋が貼られているのに気付いた。
その頁を開いて見ると、菓子店の紹介ページがあり、そのうちのいくつかに赤く丸がつけてある。
「なるほど。一緒に行こうと言う意味でよろしいですか?」
私が頷いてそう聞くと、ミリアはぶんぶんと頭を振った。肯定らしい。