第8話 魔王と宰相の関係
魔王城。いかにも魔物の盟主が巨大な石造りの王座に真っ黒なローブを纏いながら闇の霧の中で勇者の来訪を待っているように想像される対象の建物だが、実際はその想像とは全く正反対の美しい白亜の城だ。
その正式名称も、ただの『城』であり、誰が決めた訳でもないのに人間からは一般的にそう呼ばれるようになってしまった呼称である魔王城という名前はどう考えてもその城には似合わなかった。
ただ、人々の想像と相違ない点をいくつかあげるとすれば、まず一番にあがるのは、そこが紛れもなく『魔王』と呼ばれる人物の治める城であると言う事実だ。
最も、ここにもいくつかの勘違いが含まれている。『魔王』とは『魔族の王』であって、『全ての魔なるモノの王』という訳ではないと言うことだ。『魔なるモノ』、と人間たちが呼ぶその分類に含まれるのは、魔族と魔物と一部の邪悪な魔法使いだ。それらは人間たちを害し、また人間たちに忌避される闇の眷族であり、この世界を創り上げた神とは異なる者によって、いわば“間違って”創られた存在であると考えられている。そんな者たちをまとめ上げ、人間と敵対する姿勢を生まれながらに持っている彼らを治める者、それが魔王であると人間は考えている。
しかし実際、魔王は魔族の王に過ぎない。魔物は闇から生まれたものであるのは事実だがそれ以外はただの動物に過ぎないし、邪悪な魔法使いなんて言うものは、人間から生まれた悪人であってそれを魔族に押しつけられるのは甚だ迷惑な話なのだ。
結局、人間と言うのはくさいものには蓋をしたい、ゴミは自分からはるか遠くに置きたい、それは自分とは関係ないなどと言い続ける、そういうどうしようもない性質があるものなのだろう。
「なんなんだろうな……」
魔王城の一室、魔王のために設けられた執務室で人間国家から提出された書類をチェックしながら、そこに書いてある『魔王陛下の配下である魔物の活動が活発化しておりますので王として対処を』とか『邪悪なる魔法使いアズライーリアが我が国で処女の血を集めるために村々を襲っております。王としてやめるように指示して下さい』といった嘆願なのか皮肉なのかわからない文章を読みながら、まさに魔族の王の地位についているグラニス・ブラッドウッドは呟いた。
ジジジ、と蝋燭の火が燃えているのを見ていると心が落ち着くのを感じる。ただし、こういう書類がなかったらの話だがなと考えてもしかたのないことを思った。
それにしてもどうして自分はこんなに面倒な地位についてしまったのだろう。それこそ言っても仕方のないことだが、こうも執務におわれているとそう考えずにはいられない。グラニスは、魔族の王であり、それなりに力のある魔族の一人だったが、特に最強というわけではない。生きている年月にしても、それこそ今ひたすらに諸国漫遊をしているじいさま方に比べれば、若造と言われてしまう年齢に過ぎない。
にもかかわらず、なぜ自分がこんなところで魔王などと言う大層なイスに座っているのか。
考えれば考えるほど不思議だが、そこで一人の青年の顔が思い浮かんだ。
「そうだ、全部あいつのせいだ…」
そう思った。
あいつ。
そう、あいつである。フェラード家のあいつだ。今は宰相なんてやっているあいつのせいなのだ。
魔国における国王のイスの決め方は変則的だった。王の血を継ぐ者がそのイスに座る、と言う訳ではなく、そのイスを継げる人間を、魔国を代表する魔族の家から選ぶのである。魔族を代表する魔族、とは人間で言うところの貴族に近い。
魔国においてその地位にある家は、七つ。ブラッドウッド、ミジルイール、ガルタニス、カイレンド、ラグスド-ル、ドーキントス、そしてフェラードだ。
魔王はその中から、年齢や実力を鑑みて長老たちの選出により決定される訳だが、そんな基準は建前に過ぎない。
グラニスは確信していた。長老――じいさま方――は絶対に“面白いかどうか”を選出基準にしている、と。なぜなら、本当に実力を選出基準にするのであれば、グラニス・ブラッドウッドではなく、ティリス・フェラードこそがふさわしいかったはずだからだ。若く美しい容姿、より黒に近い魔力、人間にも魔族にも精通したその知識、どんな仕事も手早く正確にこなす実務能力、どれをとってもグラニスには持ちえないものだった。にもかかわらず、じいさま方はグラニスを選んだ。20年前のことだ。
「くそ…ティリスめ…」
なぜそんな事態に陥ったかと言えば、全てはティリスの策略だった。本来ならティリスが選ばれるのが順当だったのに、じいさま方に様々なことを吹き込み、また魔族全体にグラニスこそが魔王にふさわしいなどということを恥ずかしげもなく演説してまわった上、ティリス・フェラードはグラニスが魔王になった暁には宰相としてその執務を補佐しようなどと言い始めて外堀を埋め尽くし、グラニスが酒の席で語った“俺が魔王だったら人間国家を征服して旅行とグルメし放題の世の中にしてやるぜ”計画を魔族全体に流布して、グラニスが魔王になればそんな世の中がやってくると誤信させてしまったのだ。詐欺だ。今となっては詐欺どころか成し遂げてしまったので嘘ではなかったと言えるが、あの当時の情勢からすればほとんど不可能に近い夢物語だった。ティリスに話したのはお前が魔王になったら実現してくれくらいの気持ちだったに、まさか本気にするとは思ってもみなかった。
グラニスは読み終わった書類に“可”“不可”の判を押して仕分けていく。不可に分けられた、けれど修正すれば実現が可能な案には自分の所見も含めてメモを書き記していく。そんな風に真面目に仕事をしているために、余計にグラニスは魔王としてしっかりやっているという印象を抱かせてしまっているのだが、グラニスはそのことに気づいていなかった。
「今度ティリスにあったときには……」
文句をいってやる、と言いかけたところで執務室の扉が開いた。
「今度、僕に会った時には、何をするのかな? 興味深いね」
にこやかな笑みを浮かべて入ってきたのは、まさにいま文句を言おうと考えていたフェラード家総領ティリスだった。今日も完璧な美貌を誇る彼を見て、グラニスは苦い顔をする。しかし吐き出しかけた言葉を隠しはしなかった。それくらいに、彼はティリスと打ち解けた関係だ。もっとはっきり言えば、親友と言っていい。だから砕けた口調で言い放った。
「文句をいってやろうと思ってな。俺をこんなイスに押しやりやがってと」
自分の座る革張りのイスを太い腕で叩きながら言う。グラニスの姿はティリスとは対照的である。筋骨隆々な体に、短い髪。精悍でぎらぎらした目。そして額には一本の角。人間が彼を見たら、彼こそが魔王であると言うことに誰もが納得するだろう。
それくらいに、力のありそうな存在感のある男だった。
ティリスは魔王よりも森の精霊王と言われた方が納得できるたおやかな容姿である。同性ででありながら二人が並ぶと美女と野獣、と評したくなる。
「僕よりキミの方が向いていると思ったまでだよ。それに文句を言うったって、キミも僕も、結局やっていることは大して変わらないじゃないか」
それは確かに事実だった。グラニスは魔王として執務をしているが、その多くは書類仕事である。そしてティリスも宰相として似たような仕事に毎日追われているのだった。しかも、ティリスは魔王の名代として他国に出向いて交渉をすることも多く、その点を鑑みるとティリスの方が激務と言っていいかもしれない。ただ、魔族にとって旅が出来ると言うのは役得に数えられる。そのことも相まって、グラニスはティリスに会うたびに皮肉を言うのがこらえられない。
「俺は魔王なんて柄じゃねえんだよ」
口を尖らせたグラニスに、ティリスは噴き出す。
「キミほど魔王が似合う男はなかなかいないと思うけどね」
確かに、言い得て妙である。
見た目だけで言えば似合っているとしか言いようがないし、仕事もきっちりやっているのだから文句のつけようがないほどの魔王ぶりだった。
グラニスは反論できずに言葉を探していると、ふと、ティリスがなぜここにきたのかまだ聞いていないことに気づく。
「……まぁいい。そんなことより、お前何しに来たんだ? なんか用か」
「なんか用かとはご挨拶だね。僕は用がなければキミに会いに来てはいけないのかな」
「おい。ただでさえ城の姉さん方には何かよからぬ疑いがかけられてるんだ。拍車をかけるような発言は慎め」
グラニスとティリスはその対照的な容姿と、昔から仲良くしているその関係性から、魔族の女性たちから様々な噂をされていた。グラニスとしてはなんでこんな奴と、という気分なのだが、ティリスは楽しんでいる様子すら感じられるから困る。どっちかと言えば煽っているのはグラニスの態度の方だったが、ティリスはわかっていてそれを指摘しない。
「別に僕としては何か特別なことを言っている訳ではないのだけどね…ほら、言いたい奴には言わせとけばいいんだよ」
「その最後の方に一言つけるのをやめると言っているんだが…分かっててやってるだろ、お前」
「ふふ…さぁ、どうだかね。まぁ、冗談はこのくらいにしてだ」
真面目な顔に戻ってティリスが言う。
グラニスも聞く姿勢になった。
「実はこの間、異界人を拾ってね」
「なんだ、また勇者か?」
いつものことだ。座標ミス、そして引き取りに来る人間国家の馬鹿共。
苦い顔で言ったグラニスに、ティリスは首を振る。
「いや、おそらく違う。今回は召喚されてきた訳ではないみたいでね。座標ミスも疑ったけどどこの国も召喚なんてやってないみたいだよ」
「じゃあなんで来たんだよ」
それなら放っておいても構わないだろう、むしろ厄介な事になる前にどっかに捨ててこい、とグラニスは言外に匂わせた。異界人はいつだって問題を運んでくるからだ。我儘聖女も悪戯勇者も本当にどうしようもない奴らだった。
ティリスはグラニスの言いたいことは理解しているのだろうが、意外な事に首を振る。
「その子はいい子なんだよ。今までの異界人とは違う」
「子供だろ?」
子供は純粋で素直で我儘だ。天使のよう、などという形容は、その一面を捉えたに過ぎない。彼らは自分の衝動に正直過ぎるために、人を巻き込むことをいとわないだけだ。生き物が好きな子供はそれを純粋に愛するだろうし、また動物を恐れる子供はそれを純粋に排除することに全力を注ぐ。どちらも素直さの発現であり、源は異ならないが、人の価値観が前者と後者の子供を別の性格の生きものとして捉えてしまう。前者は素直で優しい子、後者は残酷で危険な子。それは気のせいだ。子供は皆、純粋すぎるが故に危険なのである。異界人たちは皆子供で、その我儘を迷く事の無い純粋な気持ちで実に素直に強力な力で押し通す。今の人間国家がほとんど腐敗しきってしまっていたのは、そういう異界人たちを頼り過ぎ、また翻弄され過ぎたためだとグラニスは考えていた。
ティリスは少し考えて言う。
「もう20は超えてるみたいだね。人間ではもう大人だよ」
「だからなんなんだ」
ティリスにしては随分と本題に入るのが遅い、とグラニスは思った。ティリスはいつも本題とグラニスがやることだけ言って去っていく。そういう、少し傍若無人なタイプの男なのだ。かといって、適当な訳ではなく、何か段取りを一つでも間違ったりすると冷たい目で責め立てたりする。おそらく、人にあれをやれと言っている時点で、それがその人に出来ることだと確信しているからだろうとグラニスは思っている。
だとすれば、今ティリスがはっきりと言わない何かは、グラニスに出来るかどうかは分からない、微妙な話と言う事なのだろうか。確かに、そう考えてみれば、過去にもこういう言い方をしたときは非常に大変な案件だった気がする。今回もきっとそうなのだろう。
「うーん、ちょっと言いにくいんだけど」
「いい、いい。もうなんでも言えよ。今さら厄介事がいくつ増えたってもう気にしないぞ、俺は」
手をひらひら振ってこたえた。
面倒なことは魔王に就任してからずっとだ。しかし全てきっちり解決してきた。自分一人の力でやったとは思わない。ティリスの補佐あってのことだった。時には補佐と言うよりこいつ主導だろと思ったことも一度や二度ではないが、結局全て出来たのだ。今さらそれは無理だと言うのも馬鹿らしい気がする。そう思ってのことだった。
ティリスは笑って言う。
「そう? じゃあ頼みなんだけど、その異界人の子、この城で雇ってくれないかな」
だからそう言われた時も、グラニスは特に驚きはしなかった。
むしろ、予想の範囲内だ。
ただ、城の仕事は全て激務だ。本当に出来るかどうか、見極めが必要だった。そもそも、城で雇うと言っても、何をさせる気なのか。グラニスが聞くと、
「うん。僕付きの文官になってもらおうと思って。やっぱり人間がいると人間国家との交渉とか、和むよね」
そんなハズはない。魔国で働いている人間はゼロだ。それは人間が魔族をおそれているからであり、また魔族以外の立ち入りを制限しているからだ。その距離感があるからこそ、魔国と人間国家はかろうじてうまくやっているのだ。
にもかかわらず、魔国で働く人間、しかも相当な高官の下で働く人間がいたら、人間国家政府の者はどう思うだろう。
かなり問題がありそうな提案だった。
「お前、本気か」
グラニスが睨んでも、ティリスは涼しい顔だ。
「この20年、魔族と人間の関係は何も変わってない。そろそろ新しい風が必要だと思ってたんだ。彼女が来たのは、きっと偶然じゃない」
その台詞は確信に満ちていて、ティリスには珍しく希望的観測も入っている。
ティリスはずっと前から言っていた。いつか魔族と人間が仲良く歩いている景色が見れたらいいねと。
友人の夢には、協力しなければならないだろう。
そう思ったグラニスは深く頷いて答えた。
「分かった。しかし、一応会ってから決める。それでだめなら納得しろ。いいな」
「大丈夫、キミはきっと気にいる」
そう言いながらにこにこしているティリスに、グラニスは深くため息をついたのだった。