第47話 戦いと自己紹介
向かって来ている妖魔は、かなり大柄で他の魔物に指示を出すように唸り声をあげる大鬼が一体、それに従う棍棒を持った豚鬼が二体、鉄砲玉か盾のような扱いをうけている、貧弱な木の棒を振り回す緑小鬼が二体だった。
通常の人間であれば間違いなく逃走を図るのが最も賢い選択になりうるだろう戦力だったが、ことこの場においてはそうではないらしい。
さきほどから戦い続けているにも関わらず、屈強そうな男性と、小柄な少女は疲れている様子もなく、むしろ持っている武器をゆらゆらと揺らしながら妖魔に向かっている辺り、かなりの余裕がありそうな感じで、私がわざわざ助太刀なんかに入らなくても良かったかもしれないと思ってしまうほどだ。
危なげなく妖魔たちを手際よく切り捨てていくその様は熟練した戦士のそれであり、長い経験に裏付けられた自信を感じさせた。
先ほどの軽い言葉も、その辺りから出てきた言葉なのだろう。
つまり、もともと一体の妖魔も私の方へと向かわせる気は無かったと言うことだ。
瞬く間に緑小鬼二体を片付けて、残りは大鬼と豚鬼だけになる。
自然と大柄な大鬼を屈強そうな男性が大剣でもって相手する形になり、豚鬼を私と小柄な少女とで分配することになった。
浅黒く丈夫そうな肌をした大鬼は無手ではあったが、身体それ自体が凶器であると言っていいくらいに強靭な肉体をしていて、実際、男性の大剣を恐れる様子も見えなかった。
「……グルルルルル……」
尖った牙の覗く口元から涎を垂らしながら男性を睨みつける大鬼。
睨みつけられただけで、震えが止まらなくなるほど恐ろしげなその眼光も、男には関係がないようだ。
余裕な笑みを崩さないまま、男は大鬼に向かう。
「さっさと片付けちまうが、悪く思うんじゃねぇぜ!」
走り出したのは男性が先だった。
構えた大剣をまるで重量など感じさせないほどの速度で振り上げた男は目にもとまらぬ速さで振り下ろし、大鬼に切りつけたのだ。
「……グォォォォ!」
気づいた時にはその胸元に大きな傷が作られており、傷みに大鬼は苦しむように吠えた。
この調子であれば、あと十分もかからないうちにあの大鬼はその命を散らすだろう。
そう確信できた私は、安心して自らの眼前で棍棒を振り上げる豚鬼に向かい、構えた剣を握りしめた。
とは言え、本来、一般的な日本人に過ぎない私がいくら剣など持ったところで妖魔と戦えるはずがない。
そもそも、平和な国、日本においてのうのうと生きてきた私に、戦いの技術など身についてているわけがないからだ。
かろうじて戦いの経験と呼べるものをあげるとすれば、それは中学三年間の部活動で学んだ剣道の経験がそれに当たると言えるかもしれない。
一応、段位も持っているから、剣を振るという作業について全くの素人というわけでもない。
だが、常に戦乱に満ちているこの世界において、平和な日常生活の中で培った命の危険も何もない技術に一体どれほどの実用性があると言うのか。
何の役にも立たないとまでは言わない。
けれど、命のやりとりをするには不十分であるのは間違いない。
それが、私の持っていた技術の全てであった。
けれど、フェラード氏はそんな私の状況を危険と判断した。
そして、言いつけたのだ。
私に、戦いの技術をある程度身に着ける様に、と。
問題は、彼の言う“ある程度”というのが人間における相当なレベルにあるということだ。
魔族はその凝り性な性格から、武術についても歴史的積み重ねが相当にある。
私はそんな魔族の剣術、槍術、体術をある程度あった余暇の時間を全て潰して叩き込まれることになったのだ。
それはもう、辛い時間であり、きつい時間であり、逃げ出したいと思ったことも一度や二度ではなかった。
けれど、フェラード氏のいう事がもっともであると言うことも分かっていた。
何せ、ガルタニアでの魔法を行使されそうになった時、私はほとんど反応できず、結局フェラード氏の小脇に抱えられることによってやっとその危険を避けることが出来たのだ。
命を守る事すら出来ないようではこの世界では生きてはいけないと言うのは至極当然の話だと感じていた。
そんな中で言いつけられた訓練。
断れるほど、私は非現実的で逃避体質というわけでもなく、必要ならばやらなければならないと思う程度に勤勉であったのだ。
そして始まった地獄に私は徐々になれていった。
根性あるねと、フェラード氏やセーラに言われながら、一端の武術を身に着けたのだ。
だから、私は今、戦うことができるのだ。
豚鬼がなんだ。
あの辛い日々に比べれば、醜い顔貌も弛んだ腹も大きな棍棒も恐ろしさなど感じない。
にこにこと笑いながら見て覚えろとか体に叩き込むとか語り続けるフェラード氏とセーラの方がよっぽど怖かった。
さぁ、向かってくるがいい、豚鬼よ。
私が生姜焼きにしてくれる!
そんなことを思いながら私は剣を豚鬼に向けた。
私の不穏な感情が伝わったのか、豚鬼が一瞬なにかに気圧されたかのように後ずさった。
けれどそれも一瞬のことだ。
すぐに気を取り直して、豚鬼はその太った体に相応しいどたどたとした動きでこちらに向かってくる。
「……ブモォォォォ!」
二メートル近い鎧をまとった直立した豚が襲い掛かってくる姿は中々に迫力に満ちているが、流石に前回の魔族と比べてみれば所詮はただの豚と同じに過ぎない。
私は豚鬼の振り上げる棍棒をしっかりと目で捉え、長剣を軽く振り切り落とすと、驚いて目を見開く豚鬼の首を軽く撫でる様に、しかしすっぱりと切り落としてその命を絶ったのだった。
あんまり血が噴き出しても困るから、切ったとほぼ同時に向こう側に倒れ込むように蹴り飛ばしたのは言うまでもない。
私の隣で豚鬼と戦っていた少女はと言えば、その戦いぶりは全く危険なところなどない、慣れたものだった。
「……やぁっ!」
豚鬼の振り下ろす棍棒を紙一重でひらりひらりと蝶のように避けては浅い傷をいくつも与えていき、怯んだところで深く切りつける。
ルーチンワークのように見えるその戦い方は、実際は経験と実力に裏打ちされた高度な戦闘なのだということがわかった。
「……ブモォォォォォォ!!」
しばらくして、豚鬼も限界に達したのか、最後の一撃と大きな叫び声をあげて少女に襲い掛かったのだが、少女は全く怯むことなくその一撃を避ける。
「……ふっ!」
それから、豚鬼の背後に素早く回り込んだ少女は、その心臓にレイピアを深く突き込んだ。
豚鬼はびくり、と一瞬大きく痙攣すると、その瞳から徐々に光が消えていき、ゆっくりと倒れ込んでいく。
少女はレイピアを豚鬼の体から抜き取ると、着いた血液を何度か振って散らし、懐から取り出した懐紙でふき取ると、腰に下げた鞘にゆっくりと戻した。
表情には何の感情も宿っておらず、命を奪ったことに対する高揚も後悔も感じられない。
それは間違いなく、熟練の戦士のもので、きっと今まで何度もこんな風に戦ってきたのだろうと思わせた。
少女は私の視線に気づくと、ちょいちょいと男性と大鬼の方を指さす。
そこでの戦いは佳境に入っていることが、大鬼の様子を見ると分かった。
大鬼は息も絶え絶えで、もはや戦う気力など、ほとんど残っていないようだ。
眼光は弱く、諦め、ようなものか感じられる。
男性はそんな大鬼を見てつまらなそうに言った。
「……なんだ、こんなもんかよ。ま、俺を相手にしたのが悪かったってことだな」
男性は大きく剣を振りかぶり、大鬼に振り下ろす。
大鬼は避けなかった。
限界だったのかもしれないし、諦めていたのかもしれない。
どちらにせよ、男性の強さは本物らしい。
男性は倒れた大鬼が確かに絶命していることを確かめると、私たちの方へ歩いてきた。
近くまで来て、私の顔を見つめて、男性は言う。
「助太刀、すまなかったな」
「いえ……改めて戦いぶりを見て思いましたが、いらない助太刀でした」
実際、私がいなかったとしてもこの二人は生き残っただろう。
そう思っての台詞だったが、少女は言った。
「ううん。楽になったのは間違いない。だから、いいの。もしどこかに向かっているなら、一緒に行く?」
私が旅装であること、そして街道を歩いてきたことを見ての提案だろう。
非常にありがたかったので、私は乗らせてもらおうと思った。
「そう言って頂けるのは嬉しいんですが、いいんですか?」
「いいの……いいよね、ラグ?」
少女に顔を向けられた男性――おそらくはラグ、というのがその名なのだろう――は少女の質問に頷いた。
「あぁ。構わねぇぜ。まぁ、行く場所が正反対ってんならどうしようもないが、どこに向かってる?」
「王都に向かってます。あんまり急いでもいません」
「おう、なら一緒だ。俺たちも王都行きだ。これも何かの縁だろう……そう言やまだ名乗ってなかったな。俺の名はラグ=ルナミーゼ、で、こっちのが……」
少女の頭にぽん、と手を置くと、少女が言う。
「わたし、リリ=ルナミーゼ。ラグの……娘?」
なぜ疑問形なのかは分からないがそう言われた。




