第5話 お食事からの、
結果として、メイドさんは私にご飯を食べさせてくれた。犬のように「待て」とも言われず、ただニコニコと隣に控えて「どうぞ」と言う意味であるだろう台詞を何度か言ってくれていたので、私は遠慮せずにバクバク食べた。
別に何日も森でさまよっていたとか、そういう訳ではないから心底お腹が減っていたということはなかったけど、人間、とってもいい匂いのする美味しい料理を目の前に出され、それが真実「うまい!」としか言いようのない味である場合、自分の胃の許容量なんてものは完全に忘れて口に料理を運ぶ機械と化してしまうものだ。
しかも並べられたお皿が空になるとメイドさんが後ろに控えている侍従らしき人に合図して新たな料理を運んできてくれるのだ。これはもう、胃がパンクするまで食べるしかないと思った。
こんな風に語るとまるで私が食欲魔人か何かのようだが、そうではない。確かに就職することすら覚束なかった私だが、知識欲が無い訳ではないし、このなんだかよく分からない状況で生存する為にはまず、この世界?国?の人々となんとかして意思疎通する必要を切に感じていた。そして、向こう――というかメイドさん――も似たようなことを考えていたらしく、私に言葉を教えようとしてくれた。
と言うのも、メイドさんは私がフォークで料理をとって口に運ぶ度、なにか一言、言うのである。フォークぐさり、メイドさん「ふぃりーど」。フォークぐさり、メイドさん「がるすら」。最初はメイドさんなに言ってんの?状態だったが、だんだんと同じ単語が出てくるのに気付きはじめ、まさかこれはそういうことなのか!と思ってピーマンらしきものを集中的にフォークでとってみたら「ふぃりーど」しか言わなかったことから確信を持った。メイドさんは私のとってる食べ物の名前を言っているのだと!ここまで気付いたわたし賢いとちょっと思った。ここまで気付かなかった私馬鹿だと思わないでほしい。
ともかく、そんな風にして私の語学勉強は始まった。
これでやっとこれからの生活に展望が持てる、と私は思った。
それは確かに正しい認識だったが、ある意味間違っているとこのときの私は露ほども思っていなかった。
その日は、とにかくつかれていたから早く寝たくてたまらないと思っていたら、メイドさんはごはんを食べ終わって満腹な私の手を引っ張り、二階の奥の部屋まで連れて行ってくれた。そこは非常に広く、かつて六畳一間の部屋で生活していた私には全く持って分不相応な大きさだった。更に内装も食堂にあったものと同じくとても高価そうであり、ドアには精緻な彫り物がされていて、タンスも飴色に輝いている上、窓は一片の濁りもない美しい硝子戸で、さらにティータイムを楽しめそうな広さの素敵なバルコニーまでついたお部屋だった。まるでお姫様になったかのような気分に一瞬陥ったが、自分の年齢と容姿と性格を省みてしまったのでメイドさんにここは勘弁して下さい、私は納屋で十分ですからと日本語で詰め寄った。当然のことながら、メイドさんはにこやかに笑ってドアを閉めて去っていかれたが。天蓋付きの広々ベッドの上には夜着と思しき服が置いてあり、また入ってきたところとは別のところについているドアが開いていたので(おそらくどちらもメイドさんがやったのだろう)そこを開けてみたら結構広めのお風呂までついており、至れり尽くせり過ぎて土下座したくなったほどだ。
ただ、ここまでされてしまったらもう、断る方が失礼と言うものではないか?と私は図太くも思ってしまい、お風呂を満喫した上で(薔薇の匂いがしてとてもいい気分だった)、夜着もしっかり身にまとって天蓋付きベットに寝転がって眠った。
ここまでが、夢のような生活だった。
次の日、私は体をゆすられているのを感じて目を開いた。
するとそこには昨日のメイドさんが手に服を持って立っていた。おそらく私用に持ってきてくれたのだろう。
昨日の今日だったから、寝ぼけていた私はてっきり夢かと思ってお布団を被って「もうちょっとだけ~」とか言ってしまったのだが、瞬間的に被っていた布団は取っ払われてしまい、驚いた私の眠気は吹き飛んだ。
布団を奪ったのは、間違いなく目の前のメイドさんであり、またこのメイドさんは昨日私が狼さんにこの屋敷に連れられて来た時に対面させられたこのお屋敷を仕切っている人なのだと言う知識が蘇ってきた。
メイドさんはそんな私をにこにこした笑顔で見つめているが、なんだか昨日とは違って少し怖い感じがした。なんだか、それだけで私の本能は理解してしまった。
――もうお客さん扱いは終わりってことかなぁ。
と。
この人に逆らってはまずいと本能的に悟った私はメイドさんから服を受け取り、光の速さで着替えるとメイドさんの前に立った。
するとメイドさんは部屋の窓際に設えられた机とイスの方に歩いていき、イスを引いて、「どうぞ」と言った。
もうなんど言われたかわからないので、この単語だけは(単語かどうかはわからないが)覚えてしまった。
私がイスに座ると、メイドさんはその横に別のイスを持ってきて、座る。
「―――」
と何か喋り出した。首を傾げていると、メイドさんはもう一度同じ言葉を言う。そして自分を指さしもう一度同じ言葉を言い、それから頭を下げた。なんどか聞いているうちに、それがおそらく自己紹介らしきものだということに気づいた私は、なかなかやる奴だと思う。なぜ分かったかと言えば、メイドさんは一連の文章を言った後、その中の一つの単語だけを取り出して自分を指さし、また一連の文章を言い、ということを繰り返していたからだ。これだけやってもらえば小学生でもわかることだろう。私は小学生並みだった。
この一連のやりとりに十五分ほどかかった私は、賢くないのかもしれないと思った。
結果として、メイドさんの名前が判明した!!
『セーラ』
これがメイドさんの名前である。私が喜んで何回もその名前を呼んでいるとセーラは私を指さして首を傾げ出した。これはきっと私の名前を尋ねている、ととっていいだろう。人と人とのコミュニケーションの基本は自己紹介である。私は自分の名前をしっかり紹介すると、セーラは「キリハ」としっかりとした発音で呼んでくれた。
この日から私とセーラとの語学勉強が始まったわけであるが、それはもう大変な日々だったので詳しくは割愛したい。ただ何も語らないと私の苦労が一片も伝わらないのでせめて概要だけでも語ろうと思う。
それでどれくらい大変だったかと言うと、まずセーラは私に眠る時間を与えなかった。比喩ではない。もう一度言う。比喩ではない。一日目、夜になっても勉強が終わらず、一体これはいつまで続くのかなぁと疑問に思っていたのだが、朝日が昇っても終わらなかったのだから驚いた。しかも、それだけではない。徹夜したにも関わらず、全く眠くないのだ。肉体的疲労が一切ない。これはどういうことなのか、と思ったが、そんな私の疑問などおかまいなくセーラの授業は続いた。二日目、やはり授業は徹夜で行われた。今のところ休憩は一切挟んでいない。そしておそろしいことに、ぜんぜん眠くならない。肉体的疲労もない。イスに座りっぱなしでずっとセーラと対面で勉強しているのに、だ。私はもしかして勉強するとどこまでも集中して一切の疲労を感じなくなると言う特殊体質なのだろうかと思ったほどだ。それほどに、何も不調を感じない。三日目。同じである。四日目。同じでだ。ここまで来て私はいくらなんでもおかしいだろうと思った。もっと前に思えと言う話だが、人間よくわからないことに出くわすとそのことについて考えないようになるらしい。それに言葉を話せるようになるのは楽しかったから、余計に別の事に意識がいかなかったのだ。そのころになると、簡単は会話ならこなせるようになっていたのだから、詰め込み教育と言うのは案外いいものなのかもしれないと思った。私は疑問をセーラにぶつけた。
「セーラ。わたし、ねむい、ない。なぜ?」
「セーラ、キリハに魔法かけてる」
疑問の答えが出てしまった、訳だ。かなり片言の質問で、理解できる答えが返って来るかどうか不安だったが、まるで問題なかった。
私には魔法がかけられている。眠くならない疲れもしない魔法が。この世界には、魔法があるのだ。ということは、この世界は異世界なのだと言うことだろう。
色々な感情が心の中に渦巻いた。ただ、そうだとするならここに連れてこられたことは運が良かったのかもしれない。もしかしたら、異世界特有の危険な生き物とかにおそわれて死亡と言う事だってありえたのかもしれないのだから。
「わたし、運、良かった」
「なぜ?」
「あの狼、わたし、ここに連れてきた」
「狼、違う」
「どういう意味?」
「あれ、魔族」
「魔族……」
魔族、という訳であっているのかどうかは分からないが、魔法を意味する単語と、種族を意味する単語を組み合わせて作られている言葉だったから多分あっているだろうと思う。あれは狼ではないらしい。魔族と言うものらしい。詳しい説明を求めたが、今の私の語学力では説明しきれないようだった。沢山理解できない単語が出てきてしまったので、途中で断念してしまったのだ。
そこからは、俄然やる気が出た。この世界の常識、というのは非常に面白そうに思えたからだ。魔法とか魔族とか、なんだか楽しそうだ。
ただ、そうは言ってもそろそろ休憩が欲しかったので、その旨主張してみた。
「セーラ。休憩、しよう」
「ダメ。言葉覚えるまで休憩ない」
「……休憩しよう」
「だめ」
「きゅうけい…」
「だめ」
頑なだった。どこまでも。そしてセーラは本当に私が完全にこの世界の言葉を覚えるまで一切の休憩を挟まなかった。鬼だ。
どのくらい勉強し続けたかって?
一カ月だ。一カ月。
一カ月休みなくやり続ければ、人間は一つの言語をペラペラになれるらしい。私はこの国の言語を完璧に習得した。といっても普通に話せると言うだけで難しい言葉とか専門用語とかはまた別だ。
これでやっと休める!
そう思ったのが、間違いだった。
背もたれに寄りかかって思い切り背筋を伸ばしていると、どんっ、とセーラが沢山の本を机に置いた。
「セーラ、これ、何?」
「キリハ様が言語を習得されましたので、今度は一般常識について学んでいただこうかと」
そう。これがセーラの本来の口調であった。私と話すときは基本的な文法を基礎において話していたので、丁寧語などは後回しになっていた訳であるが、今ではこの通り丁寧語で話す。
私もセーラに対して敬語で話そうかと思ったのだが、セーラに「今さら敬語で話されても変な感じがしますので、普通でいいですよ」と言われてしまったので、タメ口に落ち着いている。
「いやいやいや、そろそろ一回休憩しようよ」
「そう申されましても……ねぇ?」
にこり、と笑って告げるセーラが怖い。
「これ以上やったら死んじゃうよ、わたし」
「そこは安心されて結構です。申し上げたではありませんか。魔法が、かかっていると」
「わたし、死なないの?」
「そうですね。ちょっとやそっとのことでは。腕がちぎれても数十秒で再生いたします」
「……」
「……」
「……え」
「どうかされましたか?」
「……わたし、不老不死?」
私は眉を寄せて尋ねた。
「そこまでは……しかし通常の人間よりはずっと長命でしょうね」
「わたし、人間じゃないの?」
「いいえ。見た限り魔力を放出しておられませんでしたから、人間でいらっしゃると思いますが。人間でない心当たりでもあれば別ですが」
「ないない。私、人間」
「でしたら、キリハ様は人間でいらっしゃいます。ただ魔法をかけた結果、通常の人間よりは身体能力が上昇していらっしゃるというだけで。睡眠はほとんどとる必要がありませんし、体も全くつかれないのはその為です。もちろん、任意に眠ることは出来ますから、眠らないのが気持ち悪い、というのであれば一通り常識等学んだ後はそういった生活をなされればよろしいでしょう。」
「セーラは?」
「私は魔族です。キリハ様にかけた魔法は特殊なもので、一部の魔族にしか扱えません。」
「魔族……」
「そう言えば、前は途中でしたね。今日はこのあたりについてお勉強しましょうか」
そう言ってセーラは机の横のイスに腰掛けて話し始めた。