第45話 空を飛ぶ
アルトフォルテ市街は盛況だった。そこら中に物売りの声が聞こえ、またそれを買う奥様達の厳しい値切りの声もまた響く。
お互いに一歩も譲らぬ攻防がしばらく繰り広げられ、しかし奥様たちは家計を握るものの責任をしっかりと果たして次々と物売りたちをうなだれさせていくのだ。
まぁ、それでも利益は十分出ているのだろうが、それにしたって背中が灰色になりすぎている物売りたちには失笑を禁じ得ない。
そんな風に見ているだけで楽しくなってくる市街であるが、私の目的は市街見物ではない。
王宮でミンス宰相に会った私は、即座に足の用意をしてもらうことになった。
ミンス宰相は、ぱっと見、人間にしか見えない。かなりの老齢に達しているが、背筋がぴんと伸びていて、その立ち居振る舞いには気品の感じられるまさに”爺や”と言った人物で、その物腰は柔らかである。
けれど実際のところ、彼は人間ですらなく、その事実を国民及び周辺諸国にばれることなく過ごしている生粋の魔族の一人であった。
本性は一度見せて貰ったのだが、でっかいシベリアンハスキーであった。シベリアじゃないのにシベリアンハスキーとはこれいかにという気もするが、そうとしか言いようのない見た目だったのでこれは許して貰おう。家一件簡単に破壊しつくせそうなその巨体は、信じられないほどさわり心地のいいもふもふ天国でもあったので、十分に堪能させてもらったのを覚えている。
今日はそんな彼が足を用意してくれたのだが、持ってきてくれたのは馬車ではなかった。
「……これって」
少しだけ驚きつつそれを見つめる私に、ミンス宰相はちょっと笑う。
「私より貴女に馴染みのあるものでしょうな、キリハ殿。使い方はご存じでしょう?」
「えぇ、まぁ……けど」
「けど?」
「これで行ったらすごく目立ちませんか?」
「多少目立ってもかまいません。広報も兼ねてそれくらいはやってもらわねばならぬとゲルハルト侯爵がおっしゃっていたようで……」
「あの人は……」
げんなりとしてくる。商売人というかなんというか。そんな性格だったか、ゲルハルト侯爵。
そんな私に、少し苦笑しながらミンス宰相は続けた。
「今朝方、そんな伝言と共に届いたものですから、ちょうど今日、キリハ殿もいらっしゃいますことですし、足によかろうと思いまして……おやめになりますか? あまり目立つのは本国の本意ではないでしょう」
首を傾げて言った。
けれど私は首を振る。
「いえ……魔法符を使った移動が他国に脅威を与える可能性があるために、それは自粛する方向になっているだけですから……ただ目立つだけ、しかもこれは厳密には魔国の技術かもしれませんが、製造は魔国ではありませんし、販売もする予定のものなので……かまわないと思います」
「では、お乗りになると?」
「えぇ、この際です。腹を括りますよ」
そう言って、私はその乗り物を使うことに決める。
ミンス宰相は私の隣で楽しそうに笑っていた。
◆◇◆◇◆
その日、アルトフォルテ王国王都で、驚くべき光景が国民の目に触れた。
王城から何かが空へと昇っていくのを発見したのが誰だったのかは今はもう分からないが、その箱型の物体が空を飛ぶのをはっきりと目撃した者の数は枚挙に暇がない。
よく見ればその箱には窓が取り付けられており、その窓からは女性の顔が覗いたと証言した者もいる。
後にアルトフォルテ政府が発表したところによれば、それは精霊馬車と呼ばれるガルタニア魔導公国の製造する移動用魔導具の一種であるという。
詳しい者の言によれば、それはそもそもあのように自在に空を飛ぶことのできるような品ではなかったが、近年の技術の進歩により大幅な性能向上を図ることができたのであろうと言うことだった。
軍事評論家によればあれの存在は戦争の在り方を根本から変えるだろうとのことであり、いずれガルタニアがあの精霊馬車を売り出した際には各国がこぞって買い求めるであろうことを予言した。
◆◇◆◇◆
空を、飛んでいる。
ミンス宰相の姿が徐々に小さくなっていき、そしてその姿が王城の遠景に呑まれた。
遙か空の上から眺めるアルトフォルテの王都は美しく、整然としていて、計画的に区画整理がなされていることがよくわかる。碁盤の目の構造をしており、魔族の作り出した都であるのだということが理解できた。
他国の都はもっとぐちゃぐちゃとしており、非計画的な形をしていることが多いからだ。もっとも、必ずしもそうなっているというわけではないのだが。
そうして精霊馬車は進み出す。揺れはほとんどなく、乗り物酔いにはなりそうもなかった。滑るような挙動で空を進んでいき、制御も容易で使う魔力量もさほどではない。とはいえ、人間にとってそこがどうなのかは分からないが。特に魔力量については私はこれでも魔族の一員になってしまったがために、果たしてこれで少ないのか多いのか細かい判別がつかない。仕様によれば一般的な魔術師一人で八時間の稼働が可能だということだが、それが本当かどうかは確認ができない。
とはいえ、ともかくこれがあるとこの世界が便利になるのは間違いのないことだろう。戦争も変わるだろうが、流通も変わってくるのは間違いない。大型のものを作って魔術師複数人による制御にしてもそれだけ多量なものを運べるなら需要はありそうである。今度侯爵に言ってみようと思って、私は精霊馬車を一路、ミュレイン王国に向けたのだった。




