閑話 グラーレンとミリアの出会い3
――しかし、学院に通っている以上は何かしら勉強しなければ意味がない。
流石のグラーレンも何もせず寮と体験授業だけの行き来を繰り返して一週間、やっとそのことに気づくことができた。
そのため、自分の学力と学院で開講されている授業のレベルを見比べてみて、一応、必要単位数の三分の一程度の授業は受けてみることにした。
何事もやってみなければその良さは分からない。
そんなようなことを、昔の人は言っていたらしい。
だから自分もとりあえずその言葉に従ってみようと、その程度の気持ちだった。
それなりに高度な授業をそれなりに真面目な態度で受講し、それなりの頻度で手をあげて学習意欲を示しそれなりに教授の覚えがいいように媚を売ったりしてみた。
その結果、見る見る間に、グラーレンの学力は学院内に広がっていき、そして……。
「おい、お前!」
なんだかよくわからないが、グラーレンは呼び止められたので振り向く。
するととこには短髪で聞かなそうな顔をした高価そうな服を来た少年とその取り巻きが立っていた。
なんだろうとグラーレンは首をかしげる。
「なにか用か?」
そう尋ねると、少年らはつかつかと近寄ってきていった。
「お前最近、調子に乗ってるグラーレンとかいう奴だな?」
それを聞いて、グラーレンは驚く。
まず自分の名前を知っている同級生らしき人間がこの学院にいたこと、そしてなぜか自分が“調子に乗っている”という形容をされてしまっていることにだ。
グラーレンはもう二週間学院に通っているが、いまだに一人の友達もできていない。
まさか自分の名前を知っている人間がいたとは……と妙な感動を覚えたのだ。
にしても、なぜ調子に乗っているなどと言われてしまっているのだろうと疑問を感じる。
学院に入学してから今日までのささやかな日々を振り返ってみても、特に調子に乗っていた時期は存在しないのだ。
あえて言うなら、調子に乗ることもできないような虚しい日々をただ消化するように過ごしてきた、が正しいだろう。
にもかかわらず、彼らはいう。お前は調子に乗っている、と。
これはいったいどういうことなのかとグラーレンは聞きたくなった。
「……どういう意味か、教えてくれるか?」
そう言うと、言葉を向けられた少年らは怯む。
これはグラーレンの目つきにその原因があった。
グラーレンの見た目はそれほど特徴的ではない一般的な貴族子息のものにすぎない。
しかし目だけが違った。
何年も濁った心で過ごしてきた彼の目は、良くも悪くもその心を表すようにその年齢の少年には似合わぬ鋭さを身に着けているのだ。
もちろん、グラーレンとしては特に何も意図することなく少年らを一瞥したつもりなのだが、その視線には明確な迫力が宿っている。おそらくどこかの貴族子息だろうと思われるとはいえ、何の葛藤もなく普通に生きてきた少年に耐えられる圧力ではなかった。
「な、なんだその眼は!?」
だからだろう。少年の言葉は震えていた。
彼の後ろには彼の取り巻きたちがおびえながら隠れている。
グラーレンは首をかしげる。
「目? なにかおかしいか?」
何かついているのかと、グラーレンは目のあたりを払ったりしてみるが、特に異常はないようである。
そのグラーレンの仕草を馬鹿にしているものだと勘違いした少年は、いきりたって言い放つ。
「俺は別にこ、こわくなんかないんだからなっ! 魔力学年二位がなんだ! お、俺のクラスには学年一位がいるんだからな!」
言葉とは裏腹にどうしようもなくおびえている少年は、どことなく可愛らしい。
グラーレンも苦笑が漏れる。
どうやら自分の何かが彼を怯えさせたのだとやっと気づくが、心当たりがありすぎてわからない。
魔力が多すぎては怯えられ、暴走しては怯えられ、目つきが悪いと怯えられ、爵位が高いと怖がられ。
いったい今回はどれなのだろうと、泣きそうな表情になった。
そのグラーレンの顔を見た少年は、自分の言った言葉にグラーレンが怯んだとみたのか、自分の言いたかっただろうことを話し始める。
「お前、さっきの授業で教授に気に入られようと質問してただろ! 聞けばほかの授業でも似たようなことをしているらしいじゃないか! 教授たちからは褒められてるかもしれないが、迷惑なんだよ! 調子に乗るな!」
話を聞き、グラーレンはなるほどと頷く。
つまり授業中に講義を中座させて質問するのをやめろと、こういうことらしい。
かつて実家にいたときに読んだ物語では、主人公が学校に通い、頻繁に教授に質問する姿が描写されていた。
そういう本を読んで、学生生活はこういうものなのだとどこかで思っていたグラーレンは、そのようにふるまったのだが、どうやら間違いだったらしい。
グラーレンは自分は間違っていたと感じ、素直に謝る。
「そうか。俺のせいで授業が進まなくなっていたんだな。悪かった」
そういうと、少年たちは虚を突かれたような顔をして呆けた。
グラーレンは続ける。
「分からないところは授業中に教授に聞くのが正しいと本で読んだからな。ああするのがいいのかと思ってたんだよ……ん? でもそれがだめだとすると俺は誰に聞けばいいんだ……?」
思考の海に陥り始めたグラーレンに、少年が言った。
「そういうときは、授業が終わった後に周りの奴らに聞くんだよ! それでもわからないときは、教授だな」
先輩風を吹かしてそんなことを言う少年。
身長が同じくらいなので、てっきり同級生なのかと思っていたが、もしかしたら年上なのかもしれない。
「なるほど。覚えておく。さっきの授業にお前は出てるのか?」
「出てるけど、それがどうした?」
「わからないときはお前に聞けばいいんだな?」
「あ、あぁ!そうだ!」
「わかった」
そうして、グラーレンはその場を後にする。
寮に戻ってから、ふと考えた。
もしかして、自分には友達ができたのではないか、と。
◆◇◆◇◆
二週間が過ぎても、あの入学式のときの“ミリア”に会いに行くことはなかなか出来なかった。
探そうとすればすぐに見つかるだろう。
なにせ先日会った少年――フィリオというらしい――が同じクラスらしいからだ。
学院のクラス分けは純然たる年齢別だ。
とはいってもそのクラスで授業が行われるというわけではない。
たまに行われる重要な連絡や学院祭などの際に機能する一種の連帯でしかない。
クラスごとに一つの教室の使用を許可されるので、寮まで戻るのが面倒なときはそこに荷物をおいて談笑したり予習したりしている者がいる。
一人一人に高機能なデスクが与えられているので、勉強する環境としてはかなりいいというのもある。音声を完全に遮断したり、印刷やレポートの提出などをそのデスク一つで行えるという高機能ぶりだ。
グラーレンもこのデスクにはかなりお世話になっていた。
そういうわけで、授業が暇なときに、フィリオのクラスに行って「ミリアを呼んでくれ」といえばおそらくはすぐに会えるのだ。
だから物理的には至極簡単な作業であるといえる。
けれど、ここに年頃の少年の妙な心情が働いてしまっていた。
学院に入って二週間、すでにどの少女がかわいいとか誰がかっこいいとか、そういう情報はいろいろ行きかっていた。グラーレンも友達はほぼいないとは言え、教室に座って耳を澄ませていればそんな情報はすぐに伝わってくる。そしてその情報を手に入れた少年少女たちが、この二週間でその情報をかなり有効に活用していることも伝わっていた。
つまり、あれだ。
告白合戦。
今や学院は春を迎えている、というわけだ。
そしてその方法は基本的に対面で行われる。
ガルタニアでは、愛を伝えるときは面と向かって伝えるべし、とする伝統がある。
それは子供でも知っている事実だ。
だから学院に入ったばかりの子供ですら、その伝統に従って行動する。
学院でそれを行おうとすれば、必然、かわいい女の子のもとに行って告白することになる。
別のクラスの少女に告白する場合は、そのクラスまで行き、言うのだ。
「○○を呼んでくれ。話がある」
それはつまり、
「○○を呼んでくれ。告白するから」
という意味なのだ。
これが、グラーレンがミリアに会いに行けない重大な理由である。
グラーレンがミリアを呼びに行くと、そういう事態だと必然的にとられてしまう可能性が高いのだ。
グラーレンは、そうして、身動きがとれなくなっていた。
「困ったもんだ……」
なぜ、困っているのだろう。
そう思って、グラーレンはため息をついたのだった。




