第4話 お宅見学
「うわぁ……すご」
と、それが見えた瞬間言ってしまったのは仕方のない事だと思う。
銀の狼に連れてこられた先にあったのは、家、というよりもお屋敷、という呼称で呼ぶしかない巨大な建物だった。
庭には綺麗な水が芸術的な曲線を描いて噴き出す噴水があり、その横には今まで歩いてきた森の桜とは異なる、大きな枝垂れ桜が一本植わっている。枝垂れ桜の花は満開で、ひらひらと落ちているが、地面に落ちても空気に溶けずに残っていた。花びらは噴水の湛えている水の上にも落ちていて、とても幻想的なお庭になっていた。
狼はそんなお庭をのしのしと歩いていく。いいのだろうか。どう見ても人間用のお屋敷であって、狼が入るためには作られていないと思うのだが。それに家主の許可も得ずにこんな風に入りこんでしまって許されるのだろうか。私も一緒に怒られたりしたら嫌だ。不安すぎる。
そんな小心者の私の願いが神様に――この世界に神様がいるのかどうかは謎だけれど――届いたのか、狼さんが屋敷の入り口に近付くと、扉が開いて中から人が出てきた。
――あ、メイドさんだ。
そう。出てきたのは前時代的かつ伝説的存在であるメイドさんだった。期待を裏切らず非常に若く美しい女性で、仕草にも気品があると同時にきびきびとしていて仕事もできそうな雰囲気がある。体型はメリハリのある体つきではなく、どちらかと言えばスレンダータイプに分類されるだろう。顔立ちはかわいい、よりも綺麗系。醸し出す雰囲気は、他人にも自分にも厳しい女性、という感じだ。ちょっと苦手かもしれない。
そのメイドさんに、狼は顔を近づけて、なにか二三言話しかけている。
「――。――――。――――」
「――?」
「―――。――――」「――」
案の定、何を言っているのかさっぱりである。話終わると狼は踵を返してのっしのっしとお屋敷の門の方に歩いていく。どうやらもうここを去るようだ。
用事があったのだろうか。私にはよくわからない。まぁ、狼についていくのが今の私の仕事であるから、どっかいくならついていかねば。
私はそう思って、狼の方に歩いていこうとした。
すると、
がしっ!
と腕を掴まれた。振り返ると、先ほどのメイドさんが私の腕を掴んでいる。首を傾げると、メイドさんは、ニコッ、と笑って私の腕をちょんちょん、と引っ張った。
どういう意味だろうか?
あぁ!こんなことをしている場合ではない。狼さんが行ってしまうではないか!
私はメイドさんを振りほどこうとした。
しかし、意外にもメイドさんの力は強く、全く外れない。どうやら腕力は私よりメイドさんの方が上のようだ。
諦めて、狼が去っていくのを見つめていると、門を出たところで、狼はこちらを振り向いて笑った。
狼に笑顔があるのかどうかは、私は動物の生態に詳しい訳ではないからよくわからないが、とにかく、笑ったような顔をしたのだ。あれは確かに笑顔だった。うん。
狼はそんな風に笑った後、もう一度前を向いて悠々と去って行ったのだった。
あれはどんな意味の笑顔だったのだろうか。よくわからないが、私は未だメイドさんに腕を掴まれたままだ。
こちらも笑顔のメイドさんを見つめると、頷かれた。
なんだろう。よくわからない。
とにかく、私はそのままメイドさんに引っ張られて、屋敷の中に連れ込まれた。
私はもしかして奴隷とかにされて売られたりしてしまうのだろうか。このお屋敷を建てた人がそういうことで財をなしていたらその可能性もあるだろう。あの狼は私のように運悪くあの桜の森に迷い込んだ者をその自慢の鼻で嗅ぎつけて、助けるふりをした上でこの屋敷に連れ込み、売却すると言う、仕入れ人の役目をになっていたりするのかもしれない。
「……嫌過ぎる。その想像」
独り言を呟くと、腕を引っ張っているメイドさんが首を傾げた。やっぱり言葉は通じないらしい。
お屋敷の中は、案の定、というか外から見たとおり、おそろしく広かった。まずはじめにホールがあり、二階まで続く湾曲した長い階段と、一階の各部屋に続くであろう廊下がいくつか伸びている。この時点でもうこのお屋敷に一体何部屋あるのかわからないという気がしてくる。普通、玄関から続く廊下は一本だろう。庶民的には。
メイドさんはその中の一本を悩まず選び、進んでいく。私は腕を掴まれたままだからついていくしかない。ここまで引っ張られてきて気付いたのだが、メイドさんが私の腕を掴む力は優しかった。逃げようとすると尋常じゃない腕力でぎりぎりされるのだが、それ以外のときは極めて優しく引っ張ってくれている。むしろただ進む方向を示してくれているだけで、むりやり引っ張ったりはしていない。奴隷を扱うような手つきではない、と思った。
いや、けれどそういう手口なのかもしれない。奴隷にしないよ、大丈夫だよ、とかいう扱いをある程度した後で、あとで酷い目に合わせて絶望的な気持ちにさせて犯行心を折るとか、そういう絶望の表情が大好き!とかそんな歪んだ趣味かもしれないではないか。そうだとすると、未だ安心するのは早いだろう。私は身を硬くした。それに気付いたメイドさんは立ち止まって私の方を見て首を傾げた。
ふ。分かってる分かってる。そうやって何がなんだかよくわからない、とかいう顔をしているが、きっと今までここに連れてきた奴隷たちにも同じような行動をして安心させてあとで絶望に落としてきたのだろう。この女狐め!!
という想像が私の中で渦巻いていた。これで間違っていたら目も当てられない。そのときは土下座してあやまろう。そうしよう。なんとなく、それだけじゃ許してくれなさそうな感じはするけれどね。このメイドさん。
しばらく廊下を歩いて、メイドさんは突き当たりで止まった。そこにあったのは大きな木製の扉。メイドさんはそこをゆっくりと開ける。中は非常に広い部屋で、様々な美術品が飾られている。部屋の真ん中には長いテーブルがあり、そこには真っ白のレース編みの巨大なテーブル掛けが乗っかっていて、その上に蝋燭立てが一定間隔で並んでいた。まさに貴族の食堂!という雰囲気で息を呑んだ。
メイドさんはそこで私の腕を離して、食堂の中に歩いていく。私はどうしたものかとおろおろしていると、メイドさんはテーブルの一番手前にあるイスまで歩いていき、それを引いて私の方を見、それから恭しく頭を下げると、
「―――」
と、良く分からん言語で何かを言った。
しかし雰囲気的に何を言ったかは、いくら察しの悪い私でも分かった。
「どうぞ」だ。
つまり、あのイスに座れ、とそういうことなのだろう。しかしイスだけ見てもかなり値打ち物のように思われ、私は座るのすら非常におそろしいものに思えた。だからと言って座らない訳にもいかず、私はそろそろとイスに近付く。メイドさんの近くまで行くと、彼女はにこやかに笑っていて、私がそのイスに座ることを全く疑っていないようだった。
――しかたないかぁ。
私は覚悟を決めて、イスに座った。イスの下の部分は革張りで、そこには何かクッション性のあるものが敷き詰められているらしく、物凄く座り心地が良くてびっくりする。やっぱり、凄く高そうである。座るのをやめようかと一瞬思う。しかしここまで色々あった上に、歩き詰めだったからか、その考えもすぐに霧散した。
メイドさんはそんな私を見ると、部屋から出ていき、扉を閉めた。
――どこ行くんだ。私はこのまま放っておかれるのか?
そう思ったが、しばらくして扉がもう一度開いた。
すると、メイドさんが入って来るよりも先に、いい匂いが部屋に充満し始める。
これはどう考えても、食事を持ってきたに違いなかった。そしてこの状況から考えて、メイドさんは私に食事を持ってきたと推理すべきだ。
まさか、ここで私の目の前で自分だけ食事を食べ、その上で私の絶望感を煽り、そのまま私は地下牢へ直行、そして次に地上に出れるのは奴隷競売の時!みたいな展開が待っていたりはしないだろう。
もしそんなことになったら私は確実に神を呪う。