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魔国文官物語  作者: 丘/丘野 優
第1章
25/52

第25話 ゲルハルト侯爵との会話

「痔、ですか……?」


 私の呆然とした声にゲルハルト侯爵は笑っている。

 先ほど、精霊馬車トラスイールが売れるかどうかについて私同様疑問だった、と言っていたから、これについても自分が経験したことと面白く思っているのかもしれない。

 彼は自慢の髭を引っ張りながら答える。


「ええ。流石に“痔”は少し言いすぎかもしれませんが……どの国においても元首の地位にある方はその職務上、長時間座りっぱなしの状態が続きます。わが国でもあまり研究されてこなかったことですが、医療大国であるヒフニール中立国などでは長時間座りっぱなし、という状態が人体にかなりの悪影響を与えると言うことが明らかになっているらしく……」


 ゲルハルト侯爵は一旦言葉を切るが、その先に続く台詞は明らかだ。


「あぁ……長時間座りっぱなしだと、痔になりやすいと?」


 ゲルハルト侯爵は、したり、と頷いた。


「ええ。痔に限らず、腰痛や肩こりなども酷くなるようで、深刻なものでは心臓疾患にもなりかねないらしいのですな……。ピオニーロはその偏屈な性格の割に知人が多く、ヒフニールの医療研究所にも友人がいるとのことで、そこに報告書作りを依頼して、私に精霊馬車トラスイールの資料と共に叩きつけてきまして、言いました」


 遠くを見ながら思い出すように語るゲルハルト侯爵。

 それはどこか楽しそうな様子で、きっと仕事が好きなタイプの人なのだろうと思われた。

 考えてみれば、彼は宰相閣下の無礼な態度に怒りを見せたが、私や魔人である宰相閣下に対して差別的視線を向けたことは一度も無かった。そういう先入観を持たない人なのかもしれない。


「なんて言ったのですか?」

「長時間座りつづけることに寄って、諸国の国王たちは体をかなり痛めている。彼らは誇り高い故に、そのことについて侍医に相談はするだろうが、家臣団には出来るだけ言わないようにしているだろう。侍医とて、出来れば謁見業務を休んだらどうか、という程度のことは言うだろうが、数日ならともかく、国の顔である国王が長期間謁見業務を休む、などということは出来るはずがない。彼らは皆、確実に疲れており、そのためにリラックスできる時間や空間を求めていることは想像に難くない。そして、彼らが最も嫌悪するのは馬車による移動であることも容易に想像できる。寝所と謁見の間を覗けば王侯貴族が最も長く生活する空間が狭く居心地の悪い馬車の中だからだ。そこから考えれば、馬車による移動を最もリラックスできる空間に出来たのならば、国王たちはこぞってそれを買い求めるはずだ。たとえ、どれだけのコストがかかったとしても。彼らが謁見に出れない、というマイナスに勝るプラスを、精霊馬車トラスイールは与えるだろう、と」

「それほど長い口上をよく覚えておられますね」

「言うことは理解できましたが、それでも、その場で即答は出来かねましたのでな。数日、ピオニーロの言葉を反芻しながら考えました。ですからなかなか忘れられないのです」

「結局、それで受け入れてしまった訳ですか」

「ええ。出来あがったのはそれから一年は過ぎた頃でしたが……前宣伝も色々やりましたし、王族だけに売っても数は出ないですから貴族用に精霊駆動炉を利用して車輪付き馬車の振動を出来るだけ抑えたものも開発しました。結果としてバカ売れで、笑いが止まりませんでした。今でこ精霊都市アニーモはピオニーロが作りだした精霊駆動炉を動力にした多くの製品で有名ですが、当時はそこそこの大きさの地方都市に過ぎませんでした。あのときの決断が、我が領の行く末を決めたといっても過言ではありません……ですから、これからキリハ殿、あなたにはピオニーロと話して頂きたいと思っておるのです」

「ピオニーロさんとですか」

「ええ。今の話で分かっていただけたと思うのですが、ピオニーロには先見の明がありましてな……特に商機を読むことにかんしては奴に追随する者はおらんと私は睨んでおるのです」

「確かに知財関係についてはピオニーロさんに相談した方がよさそうですが……しかし犯罪者の処遇についてもお話ししなければならないのですが……」


 ゲルハルト侯爵の言うことは分かる。が、それだけでは足りない。

 国際的な裁判制度――と言っても、実際は今現在存在する様々な国の司法制度を、総て統合しようと言う試みなのだ。つまりは、知財に限らず、民刑事問わず全てについて統一するということである。これによるメリットは効率的かつ公平な裁判をこのフランドナル大陸全体に享受させることができるということだ。しかしデメリットもある。特に魔国にとってそれは大きい。なにせ、魔国は今までどんな我儘を言おうともそれを力で押し通すことができたが、司法制度統一の暁にはそれが出来なくなる。なぜなら、魔国が主導して作り上げる制度である以上、魔族たちは率先してこれを遵守する必要があるからだ。たとえば人間国家の者たちが結託して司法制度を活用し、魔族を追い詰める、ということもこれからはありうると言うことだ。にもかかわらず、魔国政府はこれを容認した――その理由は推して知るべしである。フランドナル大陸の司法制度統一の暁には、基本的に国境を越える場合に手形や身分証の提示などが不要になり、かつ、経済活動がかなり盛んになることが予想されるため食が豊かになるという効果があると予想されるのである。魔族のグルメ&旅行ハンター気質は際限がない。


「それについては、私が参りますゆえ、問題はないでしょう。私は司法省の人間ですからな。それに、ピオニーロのところにはすでに司法省から何人か役人もやっております」

「……抜かりはないのですね」

「知財関連のことについては我々にはない考えでしたから理解するのに時間がかかりましたが、犯罪について確かに他国との協同の必要性を感じておりました。今まではどうも国外逃亡されると手の出しようがなくて……しかし、今回それが解決される、ということは少し考えれば分かりました」

「やっぱり、長年経験を積んでおられる方は違いますね」

「と、言いますと?」


 ゲルハルト侯爵は面白そうに眼をきらめかせた。

 私のぼそりと言った台詞に興味を抱いたらしい。


「少し失礼な事を言いますが……よろしいですか」

「ははは。魔国の宰相閣下の言と比べれば、どのような言葉も礼を失することにはならないでしょう。どうぞ」

「ではお言葉に甘えます。私は人間でして……ですから、人間には新しい思想や方策は簡単には理解されないだろう、と考えていたのです。ゲルハルト侯爵は思いのほか柔軟に対応されておられますから。少し意外だった、という訳です」


 ちなみに私が人間出ると言う事実については、明かしても問題ないと言われている。

 ゲルハルト侯爵は私が人間だったことが意外だったようで、目を見張った。


「……ほう? てっきり魔族の方と思っておりましたな」

「まぁ、魔国に人間がいる、というのはおかしいですよね」

「そうですかな。私はそれほどおかしいとは思いませんが……我が国にも何人か魔族の方はおりますし、それが反対になったようなものと思えば」

「この国にいる魔族を把握しておられるのですか?」


 ゲルハルト侯爵の言葉は私には意外だった。てっきり魔族は何の許可もとらずに勝手に他国に住みついているものと思っていたからだ。


「ええ。あまり国民に吹聴してはいないのですが、正式に許可をとって居を構えておられる魔族の方が数人います。我が国の官吏として務めておられる方もいますよ」

「え……」

「意外ですかな?」

「ええ。てっきり魔族と人間は思い切り対立関係にあるものと思っていましたから……」

「それは間違いではありませんが……。だからこそ国民にはその存在を伏せているのですし。ただ、もう人の国と言うのは魔国に完全に敗北しておりますからな。歩み寄りが必要と考え始めている者も少なからずいますのでな」

「と言うと?」

「魔族だ人間だと、固定観念でものを見るのではなく、その本質を見るべきだと……つまりはそういうことです。まぁ、それができるものは少ないですが、しかし一度気付くと魔族の方の見方も変わってきます。なんといいますか、魔族の方は、非常に……自分のことだけ考えておられますな?……いや、言い方が悪いでしょうか…」

「いえ、分かります。個人主義、ということですね」

「個人主義、なるほどそう言われるとしっくりきますな。そういうことです。ですから、考え方が人間以上にばらけていて、統一感がない。魔国はそれでも何とかまとまっていますが、魔族個人個人と話してみると、人間以上に色々な個性があって面白いのですな」

「意外です。そんな風に見る方がおられるとは……」

「まぁ、面と向かって魔族の方にこんなことを言う訳にも参りませぬのでな」

「いえ、言った方がいいと思いますよ」

「……?」

「ゲルハルト侯爵は礼を失してはいけないと考えておられるのでしょうが、魔族にはそう言った感覚がどうも希薄なようで……むしろ今思っておられることを素直に言った方が納得されやすいといいますか」

「ふむ……宰相閣下の態度はそういうことですかな?」

「ええ。まぁ……本当に申し訳ない限りで」

「いえ……20年の付き合いがあるというのに、まだお互いに色々勘違いがあるようですな……キリハ殿がおられるのは貴重です」

「そう言っていただけると嬉しいです」

「……キリハ殿は、素直ですな。なるほど、こういう性格をしておられるから、魔族の方に好かれる訳ですか」

「好かれているわけでは」

「いいえ、好かれておられますよ。こうやって全権大使としての任をまかせられる、ということがそれを物語っております。我々も、考えなければなりませんな……」

「そうしていただけると」

「ええ。……おっと、そろそろ、工業ギルドですな。あの三階建ての建物が工業ギルドになります」


 そう言ってゲルハルト侯爵が示したのは、精緻な彫刻が壁の至るところに施された大きな建物だった。

 工業ギルド。それが今回の目的地である。

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