第21話 キリハ、押し切られる。
一瞬なにを言われたのか分からなかった。
だからぽけーっとしてしまったのは仕方ないことだろう。
フェラード氏は私の目の前で手をひらひらふりながら「もしもーし」と言っている。
「はっ!?……いやいやいや!ちょっと待って下さいよ!なんで私が全権大使とかそんな話になるんですか!?無理です無理!絶対無理!」
正気に戻った私はとりあえず全否定から始めた。
こういうことは押し切られたらおしまいである。できるだけ最初のうちに断っておく。これが権力のあるS系青年に迫れらた時の最も有効でかつ唯一の対処法なのである。
けれどフェラード氏は聞く耳をもたない。ガッスールさんはそんなフェラード氏と私の蛇に睨まれた帰る状態を楽しそうに見物している。おい、助けてくれてもいいじゃないか!
「さっき自分で言ったよね。人間同士の方が交渉も円滑にいくだろうねってさ。ところで現在魔国にいる人間と言ったら誰の事かな?」
にこにこと笑う彼の表情に、あったはずの逃げ場が徐々に閉じて行くのを感じる。これはまずい。
ガッスールさんの目も楽しそうな目から気の毒そうな目に変わってきている。もう無理そうである。
「……私です」
「うんうん。と言うことは?」
茶目っ気溢れる目つきで私の答えを求めるフェラード氏。
ガッスールさんは勝負あったな、という顔になって食器類を片付け始めた。もう見なくても結果が分かると言うことだろう。くそう。
「私が外交するのが一番いい……ってそんなことはないですよ!危ない!騙されるとこだった!」
「チッ……まぁともかくね、魔国宰相としては君に任せたいと」
「いやいやいや、今しっかり聞きましたよ。舌打ちしましたよね?流されなかったかチッってことですよね!?」
私の追及にフェラード氏は口笛である。悔しいことに上手い。しっかり音が鳴っていて空気の漏れる音も殆どしない。宰相と言うのは口笛を極めないとなれないのだろうか?
いやそんなことは今はどうでもいい。
「とにかく!無理です!私に全権大使を任せるなんて正気の沙汰じゃないです!失敗したらどうするんです!」
至極真っ当と思われる私の指摘であるが、フェラード氏は笑顔で意外なことを言った。
「失敗してもいいよ」
「え?」
「だから、失敗してもいい」
何を言うのだろうと思った。外交で失敗したら即戦争だろう。そんなことになったら……。
「君は物忘れが激しいね。魔国と人間では大人と子供の喧嘩にもなりはしない。だから外交で失敗しても戦争にはならない。いや、なっても問題がないというのが正確なところだね」
そうだった。そういう話だった。だがそれでも、国家間であまり仲がよろしくない、などということになるのは望ましくないのではないだろうか。一度の失敗で国交断絶、みたいなことになってしまっては困るだろう。
「それも僕らにはあまり問題ない。僕らの寿命は長い。たとえ百年殻に閉じこもられても、百一年目に出てきてくれるならそれでいい。その頃には世代も変わって考え方も変わっているだろうし」
「なんだか……のんびりしてますね」
「そうだよ。だから旅行が好きなんじゃないか。だから、君は心配なんてしなくていい。やりたいようにやって大丈夫だよ。失敗しても、問題はない」
「フェラード様。あの……」
「なにかな? まさかここまで言って断るのかい?」
「……いえ……今日みたいに魔法使いのような人がいる場合、どうしたらいいんです? 私には対抗できません」
「君には補佐官をつける。その辺りのことも、心配しなくていい。で、どうかな。受けてくれないかな」
「はぁ……断るっていう選択肢、ないんですか」
「ないね」
「分かりました……謹んでお受けします」
そう言うとフェラード氏は手を叩いて喜んだ。
結局、嵌められてしまった訳だ、私は。
ため息をつく私を食器をしまい終わったガッスールさんが気の毒そうな目で見ていた。ガルタニアでひと悶着あったときにはここを尋ねることにしよう。そうしよう。傍観してたけどあの人はいい人だと思う。思ってることが顔に出るし、なんだかもじゃもじゃ大男というのは悪い人が少ない気がする。なんとなく。
それからのフェラード氏の行動は早かった。すぐに魔法符(魔力の込められた短冊みたいな紙だ)を作り、そこに『魔国外交全権大使キリハ』の文字が書かれ、簡易の就任式と共に交付された。腹が立って破り捨てようとしたが、これが非常に丈夫で一切の傷がつかない。暖炉に投げ込んでも気付いたら足元に落ちていると言う、いっそ呪いのアイテムといってもいい代物なのだ。更にこの魔法符が作られると魔国の人事院に直接その旨記録されるらしく、私はもはや公式に全権大使の任を負ったことになると言う。宰相が魔王の許可を得ずにそんなもの作っていいのかと食い下がっても、法律上、人事権は宰相にも帰属しているから全く問題がないと言われてしまい、もはや文句を言う根拠は何もなくなってしまった。
私はがっくりと肩を落とし、しばらくは恨めしそうにフェラード氏を見ていたが、彼は良心の呵責も一切感じていないようで、これは無駄だと悟った私はこれからやることになるだろう仕事についてフェラード氏を質問攻めにすることにした。つまりは嫌がらせである。
しかしこの行動によってフェラード氏は私のことを余計に信頼するようになったらしく「いやぁ、君に任せてよかったよ」などと良い笑顔で言われてしまった。なるほど確かに私は勤務時間外も仕事のことを考える物凄く勤勉な人間に見えたことだろう。私は自分の行動をよくよく振り返って失敗を悟ったのだった。




