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魔国文官物語  作者: 丘/丘野 優
第1章
17/52

第17話 香ばしいお菓子と陰謀の匂い

 ぴちょん、ぴちょん、と天井から水滴が滴り落ちる音が聞こえる。

 空気は湿っており、饐えた臭いが石造りのその建造物の中には満ちていた。

 鉄錆の臭いも漂っており、その上、動物が腐ったような臭いまでする。


「……出来ればさっさと帰りたいものだ」


 鼻を摘まみながら誰に言うでもなく一人つぶやいたのはガルブレイズ伯爵。

 彼はガルタニアで軍部を担当する貴族の筆頭として権勢を奮っている。

 四十代後半に差し掛かっていながら、その容姿は、軍事を所掌する者らしく引き締った肉体を維持しており、鈍く光る銀の髪を撫でつけ、その口元には整えられた髭が生えている。

 洒落者としても知られる彼は、実際騎士としても相当の実力を持った文武両道の男だった。

 そんな彼がこのような場末にやってきた理由。それは…


「おい、起きろ」


 ガンッ、と牢を蹴り飛ばしながら伯爵は中にいるであろう投獄者に言葉を投げ掛けた。

 その牢の中にいるのは、“悪戯勇者”。

 彼はあれから行われた裁判により重い刑罰が科せられることに決定し、腕には魔力消滅の腕輪を七つも嵌められた上に抵抗する気力も起きないように食事すら殆ど与えられずに牢の中に投げ込まれた。

 今は刑の執行を待つばかり。

 そんな身分である。


「……誰だ」

「私の顔を忘れたか」

「……伯爵か?」


 ゆるゆると力なく顔を上げた“悪戯勇者”にかつてあった覇気はなく、司法省の狙い通りにその心根は折られてしまったようで、伯爵は悪態をつきたい気分になった。


「なんだその顔は。一度負けた程度で落ちぶれおって…」

「お前が“聖女”だろうと“勇者”と実力は変わらないなどと言う嘘を教えてくれたお陰でこうなった。全く、お前なんか信じるんじゃなかったよ」


 自嘲するような笑み。

 そこらの浮浪者の方が余程生きる力に満ちているだろう。

 この勇者を呼びだしたのはガルタニアと言う国だが、その教育を受け持ったのは伯爵だった。

 もちろん、権謀術数を尽くして国王から無理やりもぎ取った役目ではあったが、きっちり手続上適正に認められたものだ。

 結果として、伯爵にとって非常に扱いやすい最強の駒が出来たと思った矢先に、このざまだ。

 こいつは自分が誰のお陰であんな屋敷で好き勝手に暮らせてきたのか分かっていない。

 イラつきが増した伯爵はもう一度牢を蹴る。


「私は嘘など言っていない!負けたのは貴様の油断だろう?」

「油断だと!?本気で挑んで負けたのだ!精霊まで呼び出したのに一瞬で無効化された。あれほどの実力差があろうとは考えてもいなかった…」


 一瞬、投獄前の性格に戻ったかのようにどなったが、すぐに力なくうつむく。

 本当に完膚無きまでに叩き潰されたのだろう。

 ふざけたことだと伯爵は思った。

 “勇者”でも“聖女”でも、その力は変わらない。

 それは事実だ。

 ただ、努力すればするほど、その差は開いていく。

 個人差があるのだ。それはどんな分野においても同じことだ。

 そしてここで世を儚みながら死にかねない顔で俯いている勇者は、努力が足りなかった。

 それだけの話だ。

 それを私のせいにするのか?

 本当にふざけた話だ。


 しかし、ここでこいつに死んでもらう訳にはいかない。

 まだ、利用価値がある。


「おい、お前、ここを出る気はないか?」


 にやりと笑って提案する。


「ここを? 出てどうすると言うんだ。俺は“聖女”にすら勝てない…」


 乗ってこない“悪戯勇者”にいらつきながら、伯爵はもう一度牢を蹴り飛ばす。


「おい! お前このままでいれば自分がどうなるか、わかってるのか?」

「……? こうやって牢の中で死んでいくんだろう? ずっと閉じ込められながら」

 

 それでいい、もうそれでいいんだ…、などとまた下を向いてしまう。

 やっぱり、こいつは分かっていない。

 伯爵は嘲る。


「本当にそう思ってるのか?」


 伯爵の表情に不穏なものを感じたのか、“悪戯勇者”は不思議そうな表情を浮かべて顔を上げる。


「……違うのか?」


 そんな“悪戯勇者”に伯爵は事細かに説明してやることにした。


「違う。お前は“勇者”だ。高い魔力を持つ。知っているか? 高い魔力を持つ生き物の臓器は品質の良好な魔石になる。さらに血液は万病に効く薬、魔力を高める薬の材料として重宝される。更に言うならお前の皮膚は召喚の影響によってかなり魔力伝導率が高い。従って強力な武具の材料としても使える。そしてここからが一番重要なところだが、そう言った魔力を持つ生き物の解体で一番推奨されるのは、出来るだけ生きている時にそれを行うと言う事だ。その方が素材の残存魔力が高くなるから高品質になるわけだな。つまり、お前はこれから生きたまま皮膚を剥がれ、臓器を奪われ、血を抜かれることになる。分かるか? お前は今日から三日後に解体される。まるで動物のように」


 最後まで聞かずに、“悪戯勇者”はカタカタと震えだした。

 そして伯爵が語り終わった頃には、その目が縋るようなものに変わっている。


「なんでそんな……!おい!なんとかしてくれよ!俺はまだ未成年なんだぞ!」

「未成年……?」

「あぁ、まだ20になってない!そういう場合は死刑にはならないんじゃないのか!」


 こいつは馬鹿なのだろうか。

 いや、馬鹿に教育したのは自分だと思いだして伯爵は笑う。

 一度好き勝手に暴れる理由を聞いたことがあったが、確かにそんなようなことを言っていた。

 未成年は軽い処罰で済むとか何とか。

 元いた世界でそうだったのだと。

 それを聞いた伯爵は呆れた。

 なぜこちらでも自分の元いた世界と同じように扱われると思っているのかその頭を搔っ捌いて見てみたいと何度思ったことか。

 伯爵は続ける。


「お前の元いた所ではそうだったのかもしれないが、ガルタニアでは違う。今言ったことが事実だ。それにお前は未成年と言うが、ガルタニアは14を越えれば皆、成人とみなされる。召喚された時に説明されただろう?」

「そんな……」


 絶望的な表情で今にも泣き出しそうな“悪戯勇者”。

 しかし伯爵はそんな彼の心の隙間にするりと入るように呟いた。

 悪魔、というのは彼のような存在を呼ぶのだろう。

 その顔にはなにか魔的なものが宿っているように感じられる。

 凶悪で見にくい見た目をした悪魔よりも、スマートで紳士的な悪魔の方がよほど恐ろしい。

 彼らの企みは、その表情から見てとることが出来ないのだから。


「“悪戯勇者”よ。だから言うのだ。ここを、出る気はないかとな」


 “悪戯勇者”は顔を上げた。

 神を見たかのような表情だ。地獄で光を見たかのような…。

 しかしそこにいるのは悪魔だ。

 勇者はそのことに気づかない。

 いや、気付いていても、その事実を見たくないのかもしれなかった。

 それを認めた時、彼の行く末は身体の解体でしかないのだから。

 どうせそうなら。

 どうせそこにしか行く道がないのなら。

 悪魔に従った方が……。


「出れば、俺は助かるのか? 解体されないで済むのか?」

「あぁ。そうだとも。しかしそのためには、お前は今までのような放蕩生活をすることはできなくなる。私に従ってもらうぞ」

「それでもいい!!動物のように切り刻まれるなんて嫌だ!!」

「そうかそうか。それならば……」


 伯爵は満足そうに笑って、鍵穴に鍵を差し込み、牢を開く。

 “悪戯勇者”は信じられないものを見るような目をしている。

 この牢は国王に認められた特別な係官しか開けることができないからだ。

 この国の政治は大公派と反大公派と呼ばれるグループが相争いながら行われている。

 伯爵は反大公派の代表格であり、鍵など持っているはずがなかった。


「あんた、なんで……」

「私にできないことなど、この国では、ない」


 “悪戯勇者”には伯爵がとても頼もしく思えた。

 目の間にいる者が、たとえ悪魔なのだとしても。


「……俺は、あんたについてく」

「随分殊勝な言葉だな。今までのお前の態度が嘘のようだ」

「あんたについていけば、俺は生き残れる。そう思った」

「そうか……では、お前を名前で呼ぶことにしよう。……タダアキ、だったか?」

「あぁ。三雲忠明。それが俺の名前だ……」

「では、タダアキ。これからの相談をしようか。とりあえず、私の屋敷に来い」

「あぁ」


 二人は連れ立って牢を去っていく。

 入口には兵士が立っていたが、彼は決して二人の足を止めようとはしなかった。

 彼の懐には、朝、彼が仕事を始めた時にはなかったはずの金貨が一枚、増えていた。


******


「美味しいのよ!流石はユーべルグラッド一のパティシエがいると言われるだけあるのよ」


 芸術的な域にまで高められたデザートを一口食べたのち、元気よくそう呟いたのはミリアだ。

 私、ミリア、セーラ、の三人はいま、当初の予定に従ってユーべルグラッドの菓子店巡りをしていたのだった。

 当初と異なるのは、そこに二人、予定外の人物が同席していることである。


「ほんと甘いもの好きだよな、お前」

「あら、ミリア様はお強い上にこうやってデザートを食べている姿は可愛らしくて、素敵です」


 一人はグラーレン。“悪戯勇者”の屋敷で出会ったミリアの同級生の少年である。

 もう一人は、エルファ。彼女は“悪戯勇者”の屋敷で氷像となっていた女性で、榛色の瞳と黄金のような髪が美しく、確かにこの女性を氷像にした勇者の美的センスは間違っていないと言いたくなるほどの美人だった。

 彼女が一緒にここにきている理由は、助けてくれたお礼をしたい、ということだったので、それならば美味しいお菓子屋を紹介してくれとミリアが言ったことによる。

 本来であればその程度で購う事が出来ないくらいの大きな恩がある、本当にそんなことでいいのか、とエルファは言ったのだが、ミリアもセーラも特に何かに困っている訳でもなく、それでいいということで落ち着いてしまったのだ。

 グラーレンも“助けた人間”の中に入っているから、彼も呼ばれた。

「俺は菓子なんていらねぇ」と最初は格好つけていた彼も、「あんただってお菓子好きじゃないのよ」とミリアが暴露したことからついてくることになった。本当に仲がいいようで微笑ましい二人である。


「やぁ、こんにちは。味わっていただけているようで、何よりです」


 私達のテーブルにそう言って現れたのは、この菓子店ミルポワールの主人であるデタン氏である。

 『お菓子屋さん♪』という名称に似合わない筋骨隆々の肉体と、前衛職の冒険者ですと言った方がよほど信憑性のある顔のせいで初対面だと驚く人間が大半だが、彼の繊細な手からはおそろしく素晴らしい菓子ができると評判である。


「ご主人、とっても美味しいです」

「いえいえ。エルファ様に来店していただけただけで言い宣伝になりますから」


 それでは、と頭を下げて彼は厨房に戻って言った。

 彼の言葉の意味は、簡単である。

 エルファは貴族であり、しかもそんじょそこらの貴族とは並べても勝負にならないくらいの大家の令嬢なのである。

 エルファの本名は、ミルフラーレン・エルファリア・ヒタリウスと言い、ガルタニア屈指の大貴族であるヒタリウス公爵家の一人娘なのだ。


「そんなのに手を出した“悪戯勇者”も、どれだけ好き勝手だったのって気がするね」

「いえ……多分、分からなかったのだと思います。私、平民の格好でお買いものしてましたから」

「それは危険すぎるんじゃないの? 公爵家のご令嬢ならもう少し気をつけるべきだったと思うんだけど」

「公爵家で選りすぐった手錬の騎士が二人ついていましたから、たとえ騎士団長クラスに襲われても問題なく逃げられるはずだったのです。しかし流石に“勇者”ともなりますと…」

「あぁ、こてんぱん?」

「えぇ。あれほどまでに理不尽な力を行使されますとどうしようもありませんでした」

「それでその二人はその後どうなったのよ? 死んじゃったのよ?」


 ミリアがデザートを食べながら言った。


「いいえ。二人とも、女性でした。それも、かなり見目麗しい人達でしたから…」

「あぁ、コレクションの仲間入りなのよ?」

「ええ。ですから二人とも戻ってきました。それも含めて、皆さんには返しても返しきれない恩があります。何かありましたらぜひ遠慮なくおっしゃってください」


 エルファはそう言って深く頭を下げた。


「俺は何にもしてないんだけどな……」


 食べる手を一時とめて、グラーレンが呟いた。


「いいえ。それは結果論です。もしミリア様達がいらっしゃらなければ、グラーレン様に助けて頂いていたはずです。そのことを思えば、感謝しない訳には参りません」

「律儀だなぁ……」


 グラーレンははずかしそうに頬をかいて、デザートを片付けに戻った。

 そんな様子を見ながら、セーラが微笑んでいる。


「どうしたの? セーラ」

「いえ……なんだか、最近人間に対する見方を変えられるような出来事ばかりで、嬉しいのです」

「グラーレンとエルファ?」

「それに、キリハ様もです。人間も、悪くないものですね。考えてみれば、私が接してきた人間は“勇者”に“聖女”に政治家達ばかり……一般的な人間と言うものを知る機会を持たなかった自分を恥じます」

「でも世の中いい人ばっかりじゃないのよ。セーラは騙されちゃだめなのよ」

「そうなのですか?」

「人間については、私の方が先輩なのよ!」


 ミリアが胸を張った。

 確かに魔導学院に何年か通っているミリアの方が、人間と接する機会が多かっただろう。


「セーラはずっと魔国に?」

「そういう訳ではなかったのですが……どうも戦争のときの印象が強くて。あまり人間と関わる気になれなかったのです。旅行をしても、まだ見ぬ自然や遺跡を見るか、レストランでご飯を一心不乱に食べるかでしたから」

「人との触れ合いも旅行の醍醐味じゃないの?」

「そういう魔族も大勢いますが、私には良さが分からず……しかし今理解しました。これからは旅行プランを人との触れ合いに重点を置いたものを求めることにします」


 むんっ!と拳を握りしめて旅行について語るセーラ。

 魔族は本当に旅行が好きなのだなぁと思った。

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