第14話 兵士の葛藤
ぽんぽん、と肩を払いながら歩いてくるセーラ。
その顔はつやつやしていて、不機嫌の元凶たる存在を排除した喜びに溢れている。
本当に大嫌いなんだな、勇者が。
私とミリアはセーラに駆け寄る。
ミリアはそのままセーラに抱きついた。
「セーラ、お疲れ様」
「頑張ったのよ、セーラ」
私とミリアが言うと、セーラはミリアの頭を撫でながら笑う。
「本当に疲れましたよ。主に精神的な方面で。これから仕事も出来てしまいましたし」
「仕事?」
「ええ。まずあの“悪戯勇者”のコレクションだと言う女性たちを救わなければなりません」
「あぁ、そんなこと言ってたのよ。でも生きてるの? 氷漬けって言ってたのよ?」
ミリアの疑問に、セーラは先ほどまで凍っていた兵士や野次馬たちを見る。
彼らはセーラの力によって、既に氷漬けの状態から回復していた。
彼らは抱き合いながら一様に喜んでいる。
一度完全に氷漬けになって死んでしまったと思っただろうから、喜びも一入なのだろう。
「あれを見る限り、どうやら治せるようです。ですから、“悪戯勇者”の屋敷とやらを捜索してコレクションの女性たちを見つけられさせすれば、何とかなるでしょう」
そうして、三人で馬車に戻ろうとしたところ、兵士がこちらに駆け寄ってきた。
その顔は深刻そうで、何かを言おうとして口を閉じる、と言う行為を何度も繰り返している。
色々聞きたいことがあるが、何から聞けばいいのか、といった顔だ。
「なにかご用ですか?」
セーラが見かねて質問すると、
「あなた方は一体、何者なんですか?」
と聞いてきた。
大雑把だが、本質をついているいい質問だ。
セーラとミリアは魔族だし、私も魔族ではないが魔国で保護されている異世界人なのだから。
私とミリアはセーラがどう答えるのかな、と見ていた。
そもそも魔族は目立つ訳にはいかない、と言う話だったが、ここまでやってしまった以上、そんな理屈は通らない。
はぐらかすのはなかなか厳しい状況なのではないだろうか。
それに、セーラの格好はあくまで侍女のものに過ぎないという点も微妙だった。
彼女のようなものが使える主人――ミリア――の素性も関所を任された兵士としては気になってたまらない筈だ。
かなりの重要人物と考えるべきで、そうである場合“悪戯勇者”がとった行動は国際問題になりかねない。
さらに私の存在も疑問である。珍しい黒目黒髪、しかし侍女には見えない。ミリアは貴族に見えるからその友人かと思えば、私の格好を見る限り貴族にも見えない。
この三人組はいったい何者なのか。
何の目的でガルタニアに来たのか。
兵士の頭の中は様々な問題でぐるぐるしてパンクしかけていることだろう。
しかしそんな可哀想な兵士に対して、ミリアはさらりとなんでもないことの言った。
「身分証ならありますよ」
“本当の素性”を明かす気は一切ないのだろう。
差し出したのは、三人分の身分証だ。
種族表示人間、出身国アルトフォルテ王国となっているものだ。
それを手渡され、表示を見ながら、兵士は怪訝そうな顔をする。
「これは、事実ですか?」
「身分証が嘘をつけない者だと言う事は、関所を担当されている方なら誰よりも知っていることでしょう」
「それはそうですが……」
このことは兵士には絶対に否定できないことだ。
身分証が嘘をついたことがないということを、彼はその経験から知っている。
そして学問的にも、身分証で嘘をつけないということを、彼の年齢ならしっかり学んでいるのだ。
しかし彼はそう考えながらも、心のどこかに発生した違和感を取り除けないでいた。
彼の何かが、この身分証の表示はおかしい、と告げているのだ。
何がおかしいのか、それをはっきりということはできない。
しかし、確実に、絶対に、何かが、おかしい。
群れからはぐれた魔物や盗賊との戦いを何度か経験し、幾度か何か言葉にはできない感覚に救われた覚えのある彼としては、こういった『勘』が往々にして正しいことを教えるということを良く知っていた。
だから一般人であればたやすく投げ捨てることのできたはずの僅かな疑問を、彼は放棄することが出来なかった。
そして彼はたどり着いてしまった。
真実に手をかけるに足る、疑問の答えの一端に。
「……そう、そうです。おかしいです」
ぶつぶつと、独り言のように確信を持って話し出した兵士に、セーラは首を傾げた。
「なにがです?」
「あなたは勇者を屠った」
「ええ、それが? 珍しいことではないでしょう」
「あなたが聖女なら、そうです」
兵士の妙に強いその言葉に、セーラは眉を寄せる。
セーラは彼が真実を見抜いたと思ったのだ。
セーラが“聖女”ではないということを、彼は気付いている。
そう思った。
そんなセーラの変化は僅かなものだったが、兵士の確信はそれで強まってしまった。
それが彼にとって幸せなことであったのかはわからない。
けれど、彼は今、とても満足そうな顔をしていた。
難しい数学の問題を、やっとのことで解くことのできた子供のように。
兵士は続ける。無邪気に。
「勇者や聖女は呼び出された後、登録されます。しかし、貴女のお名前は、ついぞ聞いたことがありません」
それが兵士のたどり着いた真実の端だった。
勇者や聖女と呼ばれる存在は、その強力すぎる力の故に、魔国が大陸を統一した現在では呼び出された直後に登録されることが各国に義務付けられている。
それは召喚者名簿とも呼ばれるもので、各国に配布され、管理されている。
統一されたとはいえ、それぞれの国は未だに存続しており、国家維持のために他国の軍事力を招き入れる訳には行かない。
そのため、関所を彼らが通るような場合にはしっかりとどこの“勇者”や“聖女”なのか確認されてしまう。
通常であれば、彼らが関所を通る時、その素性を確認されても問題にならない。
勇者や聖女が他国を訪問する場合、訪問先の国にその旨しっかり申し送りがなされるからだ。
彼らが他国に入ると言う情報は、勇者たちが通る関所にも伝えられることになる。
けれども、今、兵士の目の前にいる女性について、彼は一切連絡を受けていない。
聖女の訪問であるにも関わらず、だ。
これはおかしかった。
これを認めるのは、関所を守る兵士として、認められることではなかった。
だから兵士は食い下がる。
話を聞くまでここは通さないと。
セーラは彼のそんな高い職業意識を見て、白を切る以外の手段をとることに決める。
「そうですか……しかし、これはガルタニア政府も容認していること。一介の兵士である貴方が口を挟めることではありません」
「なっ……!」
「嘘だと思うのなら、確認してみなさい。我々がどういった素性の者か懇切丁寧に説明してくれるでしょう。けれどお勧めします。それを貴方は聞かない方がいい」
「……なぜです?」
「さぁ? それでも不安なら、そうですね。私の名と、私の主の名――ミリア様――を出して、通していいかどうかだけ確認なさい。そうすれば貴方が聞くべきでないことを話さないでくれるでしょう。よろしいですか?」
そう言われた兵士は困惑の極みだ。
ここまで言うのだから、連絡すればおそらく彼女たちを通す許可が下りるのだろう。
けれど、彼女たちの素性は聞くべきではない、という。
セーラの話し方からして、それは聞いてしまったら命にも関わるような危険な情報であるのかもしれない。
そう考えると絶対に聞くべきではない。
しかし問題は、彼女たちを通していいか本国政府に聞いた場合に、果たして彼女達の素性をだまっていてくれるかどうかだ。
もしかしたら、ぽろっと教えられてしまうかもしれない。そして言い含められるのだ。
彼女たちを丁重に扱い、聞いた情報の一切合財を絶対に漏らすなと。
そうなったら、そこから先の人生は一生監視されながら生きる羽目になるかもしれない。
そんなことは勘弁だった。
しかし、兵士としては、このまま何も聞かずに通してはまずいのだ。
職業意識からも、そして国家の安全の観点からもだ。
どうすればいいのか。
兵士は脂汗をだらだらと垂らし、そして結論を出した。
「少々、お待ちください」
彼は走って、遠距離連絡魔具を使い、本国政府の意向を確かめるために関所に戻った。
結局のところ、聞かないと言う選択肢はどうやってもとれない。
であれば、聞くしかないのだ。
「大丈夫なの?」
私が言うと、セーラが答える。
「ミリア様が魔導学院に通っているのはガルタニアとアルトフォルテ王国との間の取り決めによるものですから。早々に許可が下りるはずです」
「そうなのよ。私、アルトフォルテ王族扱いなのよ」
「なぜそんなことに」
「色々あるのよ」
そんなことを話しているうちに兵士が戻って来る。
そして兵士は、顔を青くして、一言云った。
「どうぞ、お通り下さい」
こうして、三人は、悠々とガルタニアの国境を越えた。
“悪戯勇者”の氷像に関しては、馬車に積んで持っていくことになった。
彼の屋敷はこれから行く目的地にあるからだ。
セーラとしては、そこで屋敷の捜索も含め、全てを片付ける心づもりらしい。
そんなことできるのかと聞くと、魔国は大陸統一した折、そう言った権限も保持するようになったため、その権限で捜査が可能とのことだった。
ちなみに、あの兵士が何をどこまで聞いたのかは、分からない。
ただ、関所を離れるとき、彼がどこまでもへこへこしていたことだけは、印象的だった。