第13話 相性
氷と雪が集まって形作ったのは、真っ白な猫である。
水色の瞳と長い尻尾の優美な猫だ。
空中に浮いている上、、向こう側が透けていて実に幻想的な存在である。
しかし、セーラはそれを見て眉を寄せた。
「“悪戯勇者”。あなたはそんなものを呼びだしてどうしようというのです?」
「言っただろう。貴様はここで死ぬのだ!」
そう言って男は手を高く掲げ、そして振り下ろした。
男の動きに従い、猫は行動を始める。
猫からは冷気が発散され始め、男を除く周囲の全てを凍りつかせ始めた。
男と言い争っていた兵士は男が詠唱をし始めると同時に逃げ出したのだが、その途中で完全に凍りついて氷像と化してしまった。
野次馬たちも幾人かは逃げおおせたが、数人が氷の像となってその場に佇んでいる。
恐るべき光景だった。
それだけでは留まらず、周囲の自然までもが凍りつき始める。
パキパキと音がし、土が氷で盛り上がり、また木々は中ほどから氷に浸食されて折れた。
およそ人間の行使できる力とは思えなかった。
「ははははは!!見たか!これが俺の力だ!!!」
狂ったように男は叫んだ。
目は爛々と輝き、自分の引き起こした結果に酔っている。
周りにどんな被害を及ぼしたかなど、省みることなど思いもよらないに違いなかった。
しかしそんな狂気的な攻撃に晒されながらも、セーラは全く動じていなかった。
セーラの体は勿論、身につけている衣服も一切氷の被害を受けていない。
けれど周りは氷雪の世界なのだ。
生物の生存できる限界の温度を大きく下回っているだろう、その世界。
そこで対峙する男とセーラ。
不思議な光景だった。
もはや、その場で平然としているのは、二人だけである。
ちなみに私とミリアは、少し離れたところで、ミリアが張ってくれたらしき障壁のようなものに守られているので問題なく観戦を続けている。
「あの猫、何なのですか?」
全てを凍りつかせると言う現象を引き起こした元凶らしき存在について私が聞くと、ミリアは答えた。
「ヘラスね。“読み願う魔法”で召喚系を遣う辺り、“悪戯勇者”は魔法系統の相性というものを分かっていないわ」
「ヘラス……?」
「キリハの住んでたところにはいなかったの? 自然に宿る意識が具現化したものよ。年経たものは魔法に似た力を振るう事ができるの」
「へぇ……」
としか言いようがなかった。
おそらく“ヘラス”という単語を日本語に直せば“精霊”が一番近いだろう。
私は新たな言葉を覚えた!
しかしそれが分かったからと言ってあの存在の正確なところを理解できた訳ではない。
これからは“精霊”と呼ぼうと思ったと言うだけである。
二人の戦いについて私は、ぼんやりと見ていることしかできない。
そんな呆け呆けな状態の私とは正反対に、緊張に満ちた様子のセーラと男。
いや、男だけだろうか?
セーラの表情は余裕そうなままである。
セーラは周りの幻想的な白の風景を一通り見て、つまらなそうに呟いた。
「随分と規模の小さい魔法ですね」
この一言に男は怒りは頂点に達したようだった。
渾身の力を揮って誇らしげだったのに、それを言うに事欠いて規模が小さいなどと言われたのだから、その気持ちは分からないでもない。
男はギリギリと拳を握りしめる。
「なんだと……!!“聖女”とはいえ、たかが女だからと手加減してやったというのに……」
「手加減? 普通なら死んでいますよ」
呆れたように言うセーラ。
全くその通りで、実際幾人かは氷漬けになっている。
しかしそんなセーラを男は嘲って言う。
「本当ならズタズタに切り裂いてやってもよかったものを、氷漬けで済ませてやろうというのだ。手加減だろう?」
男はニヤニヤと笑い、最後に、お前の氷像ならば俺のコレクションに加えてやってもいいな、と言った。
その一言はセーラの何かに触れたらしい。
「コレクション、とは?」
「俺が気に入った女を凍らせて屋敷に飾っているのさ。美しいぞ」
あまりにも問題のある趣味に、嫌悪を感じざるを得ない。
それは当然セーラも同じだったのだろう。
「その人たちは、生きているのですか?」
「どうだろうな。融かしたことがないから分からん。これから先、融かすつもりもない」
「そうですか……。ただ関所で問題を起こしているだけなら見逃そうと思いましたが、流石にこれは見過ごせません。貴方は法を犯しています」
「法だと? 何を馬鹿なことを。俺が法だ」
「馬鹿は貴方です」
そう言って、セーラは男を睨んだ。
それから、変わらずそこに立っているだけだと言うのに、セーラからは今までとは異なる何かが発せられ始める。
まず変化はセーラの足元から起こった。
凍りついていた土や草木が、徐々に元の姿に戻り始める。
氷が融ける、と言うより、何もなかったかのように元通りになった、と言う感じだ。
男は目を見開く。
「なんだこれは!! ゼルディア!!! 凍りつかせるんだ!!!」
男の叫び声に反応して精霊猫は力を振るい始め、草木の変化は一時止まる。
しかし。
「くそっ!!なんでだ!!!」
止まったのは一時でしかなく、その後また氷雪は後退し始める。
セーラは微笑みながら男の方に歩きだした。
「わかりませんか?」
セーラは呟く。
「何がだ!」
「貴方の力が私に負けていることを、です」
一歩近づく。
「ふざけるな!!そんなことある訳が……」
男は焦るように周囲をきょろきょろと見る。
いつの間にか、氷雪はほとんどが消えてしまっている。
一歩近づく。
「貴方は世間を知らな過ぎたのです」
一歩近づく。
男は次に言うべき言葉が見つからない。
「貴方は、勇者。とても強い。けれど、上には上がいるのですよ」
「上……? “聖女”か。そんなハズは……ガルタニアの貴族連中だって“勇者”と“聖女”の力量は同じくらいだと……!」
「そんなことだから国にいいように扱われるんです。反省して下さい」
――氷の中でね。
いつの間にか男の目の前に立っていたセーラは、がっ、と男の首を掴む。
瞬間、男はかきり、と完全に凍った。
セーラが男を地面に置くと、男の体からは冷気が上がっている。
良く見ると、セーラの横で男が呼びだした筈の精霊猫がセーラにじゃれている。
私はミリアの方を見た。
「あれ、どういうことなんですか?」
「猫なんて呼ぶから悪いのよ。やっぱりあの勇者、相性が分かってないの」
「……?」
「セーラは、猫だから」
ミリアはそう呟いたあと、何かに気づいたかのように、はっとして、相性が分かってても、人間には分からないからやっぱりだめね、と言った。
私は首を傾げる。
「――すみません。良く分かりません」
「説明は、今度ね」
セーラがこちらに向かって歩いてきた。