決着
ゆっくりと、杏樹は身を落として腰の刀に手を添えた。僕は構えを崩さないまま、じわりと後ずさった。会話を優先していたために、はっきり言って不味い間合いだ。杏樹の刃圏に入っている上に、踏み込むには遠過ぎる。
一旦安全圏に、という僕の意図が読めたのだろう、杏樹は機を逃さず、斬撃を放ってきた。牽制ではない。まともに食らえば死ぬ、必殺の一撃だ。杏樹の身体が一瞬霞んだかのように見える独特の歩法からの、流れるような一閃は、抜刀の瞬間から納刀の瞬間までが、編集でコマ落ちしたかのように、速い。それでも、僕の身体はなんとか反応してくれた。軽く後方に跳んで刃を避ける。
「ふむ、初見で闇渡りを見切るか」
闇渡り、恐らくはさっきの独特の歩法のことだろう。見切ったなんて立派なものじゃない。杏樹の身体が霞んで見えた瞬間に、ヤバいと思って必死に逃げた、というのが実際の所だ。もちろん、そんなことはおくびにも出さず、小細工は通用しないと言わんばかりのポーカーフェイスは崩さない。見切られていると思えば、同じ技を使うことに迷いが出るかも知れない。これは心理戦だった。
初太刀はかわしたものの、刃圏から脱することはできていない。杏樹は上手く間合いを保ったままで続けざまに居抜きの斬撃を放ってくる。抜刀から納刀までが、瞬きする間もないほど速い。
僕は、一気に間合いを離すことを諦め、居抜きに合わせて体を捌き、一歩間合いを詰めた。この位置からなら少し踏み込むだけでこちらも打てる、そんな間合いだ。
間合いを詰められても杏樹は焦らず、居抜きから手首の返しで横薙ぎを連ねる。僕は体勢を崩さず、上体を沈めてその横薙ぎを避け、その反動で一気に息がかかるほどの距離まで間を詰めた。これには流石に驚いたのだろう、杏樹は自ら大きく後ろに跳び、距離を取った。僕も合わせて後ろに跳ぶ。下手に追えばあっさり斬られるのは明らかだ。
序盤戦は互角といったところか。僕にしてみれば、上出来と言える。杏樹も素直に称賛を贈ってくれた。
「舞うような美しい動きだな。女性的、と言ってもいい」
それはそうだろう。僕が頭の中で思い描く理想の動きは、師匠の動きなのだから。無駄のない動きでありながら品があり、ゆっくりと優雅に見えて、その実反応できないほど速い、そんな動きだ。
「君の動きは、どちらかと言えば無骨だね。もちろん、いい意味で、だけど」
杏樹の、一切の遊びを省いた直線的な動きは、洗練されているのに、荒々しい恐ろしさを秘めている。
「そうだな。性別が逆ならよかったか」
少し傷ついたかのように杏樹が呟く。
「ねぇ、どうして魔法を使わないの?」
少し緊張感が緩んで、僕は気になっていたことを聞いてみた。
「奈莉栖との戦いで使ってみてわかったんだが、どうも私には魔法は向いていないようだ。慣れない魔法を絡めて戦う自分が、普段通りに剣を振るう私よりも強いとは、どうしても思えないんだ」
僕は思わず笑ってしまった。杏樹の答えは、僕が魔法を使えずにいる理由と同じだったから。
杏樹は少し困ったような顔をした。喋りすぎた、と思ったのだろう。慣れ合いを嫌うかのように、杏樹は更に苛烈に剣を振るって来た。こちらの踏み込みを警戒して、やや遠目の間合いからの、力のある連撃だ。
この攻めに、僕は心底辟易した。遠間からの攻めをかわすこと自体はそれほど難しくないけど、隙なく間断なく繰り出される斬撃に、間合いを詰めることはほぼ不可能だった。全てをかわしきれるものでもなく、徐々に傷が増えていく。じり貧だ。
「うぷぷ、諦めたら必殺技で、ちーんだよ」
山羊が僕の劣勢を楽しそうに笑う。そんなことはわかっているけど、正攻法ではこの攻撃範囲の差は埋められそうにない。となれば、奇襲の類か……。
何か武器を具現化できれば、こちらが無手であることを前提に動いている杏樹の意表を付けるかも知れない。僕には、この追いつめられた状況でも確実に具現化できそうなものが一つだけあった。杏樹の刀に比べれば心許ないこと甚だしいが、やってみる価値はあるだろう。
「私を勝たせたくないのはわかるが、口出しはフェアじゃないだろう」
怒った風もない、杏樹の言葉であったが、ほんのごく僅かの焦りが看て取れた。杏樹にしたところで、安全圏から攻めている限り決定打に欠けるのだろう。卑怯とは思いながらも僕はその焦りに、つけ込ませてもらうことにした。
「せいっ」
最早幾度目かわからないけど、杏樹が裂帛の気合いとともに抜き打ちを放つ。それを今までと全く同じようにかわしながら、僕はさりげなく種を蒔いた。具現化した荒縄を杏樹の剣先に引っ掛けたのだ。
「なっ!?」
荒縄に邪魔されていつものように剣を引くことができず、杏樹が納刀をしくじる。得意のリズムを乱されて、杏樹に明らかな動揺が走った。上手く実った混乱の果実を刈り取るべく、僕は一気に間を詰めた。
「寄るな!」
納刀を諦めた杏樹が至近距離で剣を振るおうとする。しかし、軽いパニック状態で行われたその動きは、僕には見え見えだった。僕は杏樹の腕を押さえて、剣の動きを封じる。そして、その密着した状態から、勁を放つ。
発勁というと、何か神秘的な技を思い浮かべる人が多いけど、別にそれほど難しい技術ではない。考え方は至ってシンプルだと思う。一つは相手に身体を触れさせること。拳でも掌でも、或いは肘や肩でもいい。そしてもう一つは、そこに瞬間的に、できる限りしっかりと自分の体重を乗せること。所詮、打突の威力は物理法則を超えない。F=MA、すなわち、打ち出される力の大きさは重さと速さで決まるのだ。
僕は杏樹に密着した肘から、勁を発した。繰り出された勁を脇腹の辺りに食らって、杏樹が仰け反る。半ば自分で跳ぶようにして衝撃を逃がしたのは流石だけど、これだけ体勢が崩れてはまともには動けないし、その動きもたやすく予測できてしまう。
僕は具現化した縄を操って、杏樹の腕を手際よく小手縛りに縛った。杏樹は刀を取り落とした。
「は、離せ。卑怯な……」
腕を封じられ、刀も奪われた杏樹に、もはや勝ち目はほとんどない。そう思ったとき、僕の口から漏れたのは、あの言葉だった。
「ぷにゅりんぷりんぷにゅにゅりん♪ 伊吹の緊縛乱舞、喰らい、やがれー☆」
僕の身体は勝手に動き、杏樹を小手縛りから亀甲縛りにしてしまった。服の上からではあるけれど、杏樹の小振りの胸が強調される。
「くっ、そんな……」
杏樹の顔が羞恥に歪んだ。
「あたたたたたたたた、ほわたー!」
そこから僕の身体は、両手で交互に無数の突きを放った。恥ずかしいほど素人的なパンチだったけど、不思議な力で杏樹の衣装が破られていく。
「止めじゃー!」
そして、僕の身体は、腰を落として、抱えたボールを相手に向かって押し出すような格好で、両手を突き出した。すると、眩いばかりの光の球が杏樹に向けて放たれ、杏樹の衣装を消し飛ばしながら、杏樹の身体をも吹っ飛ばした。
亀甲縛りにされたままで吹き飛ばされた杏樹は、そのままぴくりともしなかった。僕はその生死を確かめることもできず、ただただ、震えていた。
「おめでとう、見事に強敵ヨツキアンジュを殺したね」
「嘘だ……嘘だあああああああああああ」
残酷にも、山羊が杏樹の死を告げたけど、僕にはまだ信じられなかった。この僕が人を、それもあんなに可愛い女の子を殺したなんて。
「まあ、キミが勝ったのは、そんなに意外ではないかな。この手の戦いは、得てして一番臆病な卑怯者が最後まで生き残るものだからね」
山羊の言葉が僕の耳を通り過ぎていく。僕は何を言われているのかもわからないまま、呆然と立ち尽くしていた。




