7話
恐怖は群衆の中だけに留まらなかった。狭い通りに閉じ込められた人々の叫びは、やがて外へ漏れ出し、祭りの周辺にいた者たちの耳を打った。最初は「何かあったのか」という好奇心だった。だが、次第にその声は異様な響きを帯び、見物人の顔から笑みが消えていった。
屋台の裏で休んでいた若者がスマートフォンを取り出し、動画を撮り始める。画面には押し合う群衆、泣き叫ぶ子ども、必死に出口を探す人々の姿が映る。動画はすぐにSNSに投稿され、数分もしないうちに「祭りで事故か」「群衆雪崩発生」といった文字が拡散されていく。コメント欄には「現場にいる」「助けて」という声が重なり、恐怖はデジタルの波となって広がった。
通りの外側にいた人々も、異様な空気を感じ取っていた。提灯の灯りが揺れ、煙が濃くなり、群衆の叫びが壁のように押し寄せる。誰も近づこうとしない。近づけば巻き込まれる。だが離れても、声は追いかけてくる。声は街の空気を震わせ、祭り全体を覆う。
現場を走る警官たちの無線は錯綜していた。「交通が麻痺している」「救急車が入れない」「人が倒れている」――断片的な報告が重なり、指揮系統は混乱する。誰も状況を把握できず、ただ群衆の恐怖が拡大していることだけが確かだった。
やがてテレビ局の速報が流れた。「都内の祭りで群衆事故か」というテロップが画面に走り、映像には揺れる提灯と押し合う人々の姿が映し出される。アナウンサーの声は震え、スタジオの空気は緊張に包まれる。SNSでは「これは事故ではなく事件ではないか」という声が広がり、専門家がコメントを寄せ始める。「群衆雪崩は自然発生的に起こることもあるが、屋台の配置や交通の混乱が重なれば、計画的な要素も疑われる」と。
世間の議論は瞬く間に広がった。テレビのコメンテーターは「行政の不備」を指摘し、ネット上では「テロではないか」という憶測が飛び交う。現場にいた人々の証言が断片的に拡散され、「出口が塞がれていた」「信号が狂っていた」といった言葉が繰り返される。恐怖は群衆の中だけでなく、社会全体の不安へと変わっていった。
室井はその様子を現場の片隅から見ていた。群衆の恐怖が街へ広がり、社会がざわめき始める。そのざわめきは彼にとって拍手のように響いた。計画は群衆を支配するだけでなく、社会そのものを揺るがしていた。ニュースの速報、SNSの拡散、警察の混乱――それらすべてが舞台の一部となり、彼の胸の奥で炎を燃え上がらせた。
その頃、交番に残っていた同僚は室井の不在を気にしていた。報告書の山を片付けるはずの彼が、妙に長く現場に出ている。無線で聞こえる声の中に、室井のものが混じっていないことに気づいた瞬間、同僚の胸に小さな違和感が芽生えた。最近の室井は、何かに取り憑かれたように目を輝かせていた。報告書を処理する手の速さ、時折漏れる笑み――それらが頭をよぎる。
「室井はどこにいる?」同僚は小さく呟いた。だが答えは返ってこない。無線は混乱し、街は騒然としている。疑念はまだ言葉にならない。ただ、心の奥で「何かがおかしい」と囁く声があった。
室井は群衆の恐怖を見つめながら、心の中で呟いた。「これでようやく、街全体が観客になる」。群衆の恐怖は連鎖し、社会へと広がり、街全体が舞台となった。だがその舞台の裏で、彼の存在に気づき始める者がいた。




