5話
交番の夜は、冷たく静まり返っていた。蛍光灯の白い光が机の上の地図を照らし、無線の雑音は遠い世界の音のように聞こえる。室井は報告書の山を脇に押しやり、街の地図を広げた。赤いペンが走るたびに、線は血管のように街を縫い、駅前から商店街を抜け、祭りの会場へと伸びていく。彼の目は異様な光を帯び、凡庸な交番の空気の中で、ただ一人別の舞台に立っていた。
彼の計画は、まず人の流れを支配することから始まった。祭りの屋台は通りに沿って並ぶが、彼はその配置を意図的に歪める。通常ならば広場へ抜けるはずの出口を塞ぎ、屋台を斜めに並べることで群衆の動線を一点に集中させる。狭い通りに押し込まれた人々は、次第に身動きが取れなくなり、押し合い、転び、倒れ、連鎖的に崩れていく。その光景を室井は頭の中で鮮明に描いた。提灯の灯りに照らされた人々の顔、汗と熱気、笑い声が悲鳴に変わる瞬間――それは舞台のクライマックスの群舞のように、彼の脳裏で再生された。胸の奥で熱が燃え上がり、頬が紅潮する。空虚は確かな高揚へと変わっていった。
次に彼は街の血流を乱すことを考えた。信号機のタイミングを操作し、交差点の青と赤を狂わせる。車列は不自然に詰まり、歩行者の流れと衝突する。さらに停電を利用して交差点を麻痺させ、救急車の到着を遅らせる。群衆の混乱と交通の混乱を重ね合わせれば、街全体が一つの巨大な劇場となり、凡庸な日常は一瞬で崩れる。車のクラクションがオーケストラの金管楽器のように響き、群衆の叫びが合唱のように重なる。舞台は拡張し、観客は街全体へと広がる。室井はその演出家であり、指揮者だった。
最後に彼は救いの手を断つことを考えた。群衆が崩れ、交通が麻痺する中で、救急車や警察の到着を遅らせる。通報は殺到するが、信号の狂いと停電の影響で道は塞がれ、救急車は進めない。人々は助けを求めて叫び、だが救いは届かない。その絶望の中で、群衆はさらに混乱し、連鎖的に崩れていく。室井はその光景を想像し、胸の奥で熱が爆発するのを感じた。観客のざわめきが拍手に変わり、舞台は最高潮に達する。彼はその演出家であり、舞台の支配者だった。
「事故死ではなく、災害に見せかける」その言葉を口にした瞬間、声には確かな弾みがあった。凡庸な警察組織も、凡庸な社会も、もはや彼の知能を試す相手にはならない。彼は自分の計画を「大一番」と名付け、退屈を破壊するための準備を始めた。蛍光灯の光が机の上の図面を照らし、室井はペンを握りしめ、笑みを浮かべて呟いた。「これでようやく、退屈を壊せる」。その瞬間、彼の心は空虚から解放され、危険な高揚に満ちていた。小さな遊戯から社会全体を巻き込む暴走へと、室井の知能は転じていった。胸の奥で燃え上がる熱は、もはや抑えられなかった。
その様子を、交番の同僚はふと感じ取っていた。室井の目の奥に宿る異様な光、報告書を整理する手の速さ、時折漏れる笑み。彼は「室井は最近、何かに取り憑かれているようだ」と思った。だがそれが何であるかは分からない。ただ、退屈な交番の夜に漂う空気が、どこか不穏に変わりつつあることだけは確かだった。同僚は眉を寄せ、何かを言いかけて、言わなかった。代わりに、わずかな沈黙が交番の空気に落ちる。その沈黙は、室井には音として聞こえた。楽団がチューニングを終える前の、緊張の余白。彼は視線を戻し、赤い線を指で隠した。
外の通りを、風が一度だけ走り抜けた。紙が揺れ、線がわずかに波打つ。波はすぐに収まり、何事もなかったように静けさが戻る。静けさは、舞台の最初の音だ。最初の音は、すでに鳴っている。彼はそれを聞いたふりをして、聞くのをやめた。いい夜だ、と室井は思った。いい夜は、危険な夜だ。危険な夜は、面白い。面白さは、空虚の反対だ。反対があるなら、もう退屈は戻ってこない。戻らないなら、進むしかない。進む先に何があるかは、誰も知らない。知らないことが、最高の演目だ。彼はゆっくりと息を吸い、吐いた。その呼吸こそが、最初の合図だった。




