2話
交番の午後は、いつもと同じように退屈だった。蛍光灯の白い光が机の上の書類を照らし、無線からは雑音混じりの定型連絡が流れてくる。狭い室内には、古びた時計の針が刻む音が響き、室井にはそれが退屈を告げる合図にしか聞こえなかった。
「今日は静かだな」
「暇だな」
同僚の警官がぼんやりと呟く。室井は相槌を打つだけで、心の中では苛立ちを募らせていた。凡庸な会話、凡庸な仕事。落とし物の受理、道案内、酔客の介抱――どれも頭の良さを使う必要のない作業ばかりだ。彼の知能は、交番の中では持て余されていた。
そのとき、一人の女性が交番に入ってきた。三十代ほどの落ち着いた雰囲気で、近所に住んでいるらしい。髪は肩まで伸び、買い物帰りのように紙袋を抱えていた。彼女は「最近、不審者に後をつけられている気がする」と相談を持ち込んだ。声は少し震えていたが、どこか諦めのような響きもあった。室井は淡々と対応しながら、その姿を観察した。
疲れた顔、緊張した声。凡庸な生活の中で不安を抱える市民。室井には、それが退屈の象徴に見えた。彼女の存在は、室井にとって「暇つぶしの材料」に過ぎなかった。
「この人間を心臓発作に見せかけて殺す」
そう決めた瞬間から、室井の頭脳は異常な集中を始める。彼は机の下に仕込んだ小さな電気装置を操作し、椅子の金属部分に微弱な電流を流した。女性が座った瞬間、わずかな痺れが身体を走り、室井は冷静にその反応を観察する。彼女は胸を押さえ、苦しげに息を乱し、やがて机に崩れ落ちた。
室井はすぐに救急車を呼び、同僚に「心臓発作のようだ」と説明した。医師が到着し、診断は「持病による突然死」。室井は公式書類に「以前から体調不良を訴えていた」と記録し、供述調書を「偶然の事故」と強調する形で整えた。証拠はすべて自然死の方向へと傾いていった。
翌日の捜査会議では、上司が報告書を読み上げた。
「女性、交番内で突然死。心臓発作の可能性高し。持病あり」
事務的な声が響く。誰も疑わない。誰も室井の仕掛けに気づかない。
室井はその文面を読み、笑った。だがその笑いはすぐに消えた。
「やっぱり張り合いがない」
「完璧すぎて誰も気づかない」
「自分の知能を試す相手がいない」
完全犯罪は成立した。だが成功すればするほど、室井の心は空虚になっていく。交番に相談に来た市民を標的にするという倒錯すら、警察は凡庸な結論に落ち着かせた。室井は机に向かい、書類を整理しながら苛立ちを募らせた。
蛍光灯の光は冷たく、無線の雑音は途切れ途切れに響く。机の上には「突然死」と記された報告書が積まれている。室井はそれを見下ろし、心の中で呟いた。
「同じことを繰り返しているだけじゃないか」
その呟きは、彼自身の滑稽さを示すものだった。退屈を紛らわせるための殺人は、パターンを変えても結局は同じ。室井の苛立ちは、退屈の苛立ちが暴走していく兆しへと変わりつつあった。




