十六話 静かな世界
アニシア達の屋敷の裏手。
そこには決して大きくはない森があった。
森の奥には小さな丘があり、そこにシギは愛馬と共に向かっていた。
ぼんやりと空を眺めていると、ブルル、と馬が小さく鳴き、足を止めた。
「…ごめんごめん。
ちゃんと前を向くよ。」
苦笑しながら身体を撫でると馬はまた歩きだす。
歩き出し、また一定のリズムで身体が揺れる。
片手で抱えている白い布で包まれた彼女が、落ちないように抱えなおす。
その拍子に頭を隠していた布が取れてしまったが、シギはそのままにした。
「…本当、寝てるみたいだ。」
横抱きのような体制で、シギに寄りかかる彼女の身体。
その表情も穏やかで、その首の縫い目さえなければ、寝ているのと勘違いしてしまうほどだった。
けれど、布越しに伝わるその冷たさと硬さは死体のそれで。
「…そろそろ僕の計画が動いているかな。」
懐中時計を見れば、屋敷を出てから大分経っていた。
カチリ、カチリ、という針が動く音が妙に耳に届く。
「…こうやって抱えて移動するなんて、いつぶりだろうね?」
すり、と顔を寄せても、返事は無い。
顔を赤らめて、照れるあの姿は、もう見れない。
解っているのに、それでも昔のようにしてしまう。
(…声を、また聴きたいよ、アニシア)
涙腺がまた、緩むのを感じて唇を噛む。
まだ駄目だ。
あともう少し。
僕の復讐が終わるまで、泣いてはいけない。
そんな時、背後で動物が騒がしくなる。
「……ごめんね、すこしそこの開けた場所に行ってくれるかい?」
ぽんぽん、と軽く相棒の身体に合図すれば、少し首をあげて返事する。
そして頼んだ通り、少し開けた崖の手前で止まってくれる。
その崖の少し下には、先ほどまでいた屋敷。
じぃ、と探るように見ていると、バタバタとリオンの部下や兵士が屋敷から出て動き回る。
その様子を見て、シギは自分の口角が上がるのを感じる。
「…どうやら上手くいったようだね。
ありがとう、さ、行こうか。」
先ほどのように合図をすれば、馬はまた道へと戻り迷わずに歩みを進める。
けれど何かを察してか、先ほどより少しだけ、歩みを少し遅くする相棒。
そんな様子に、少し申し訳なくなる。
(馬は賢いからねぇ…解っちゃったかな。)
それでも、この選択を変えるつもりは無かった。
だって、そのために、自分は『二重スパイ』をしていたのだから。
「…大丈夫、全部君だけに背負わせないよ。
…どうして、なんて君は驚くよね、あの提案の時もそうだったし。
この役目はね、どうしても誰にも譲りたくなかった。」
―好きな子の唯一の共犯者になれるんだから。―
「ね、アニシア。」
返事は当然、無い。
それでも、告げずにはいられなかった。
そうしたら、自分でも驚くくらい、ぽろぽろと、言葉が止まらない。
聞かれることも、返事ももらえる事もない、最初で最後に想いの全てを。
ずっと告げたくても、告げれなかったのだ。
告げたら、困らせるから。
「…実は一目惚れしてたんだ。
あの日、ネモフィラに囲まれた君の笑顔が可愛くて、見惚れた。
―…ふふ、知らなかったでしょ?」
独白のような、告白。
聞いているのは、自分の相棒だけ。
それでも、シギは幸せだった。
今この瞬間は、二人だけの世界だったから。
しばらくして、馬が小さく鳴いた。
ハッとして、正面を見れば、そこには見事な藤が満開となっていた。
鮮やかな薄紫のカーテンに、シギは釘付けとなった。
そして思い出す、アニシアの言葉。
『とても綺麗でいい香りの花なの。
いつか一緒に行きましょうね。』
「…あぁ、確かに、凄い綺麗だ。」
―そうでしょう?―
そんなアニシアの声が、聞こえた気がした。




