第九話:虎牢関の遺跡と天命盤の祭壇
第九話:虎牢関の遺跡と天命盤の祭壇
新人遊侠向けの、比較的安全な修練場として、許昌の街の近郊で解放されている「虎牢関の遺跡」。
その名を聞けば、中原に生きる者ならば誰もが、十数年前にこの地で繰り広げられた、あまりにも凄惨な戦いを思い出すだろう。
暴虐の限りを尽くした魔王・董卓が率いる、当時最強と謳われた涼州の精強な軍勢と、漢王朝の復興を掲げ、各地の諸侯が集結した袁紹を盟主とする反董卓連合軍が、この中原の、いや、天下の趨勢を賭けて、文字通り血で血を洗う、地獄のような激戦を繰り広げた場所。
その結果、数多の、歴史に名を残すはずだったかもしれない英雄豪傑たちの血が大地を赤く染め、そして名もなき、しかし誰かにとってはかけがえのない存在だったであろう無数の兵士たちの骸が、野ざらしのまま山のように積み重なった、呪われた古戦場の残骸であった。
今では、その戦いで無念の内に散っていった兵士たちの晴らせぬ怨念や、戦乱そのものが生み出したおびただしい負の邪気に引き寄せられた、多種多様な、そして時には極めて危険な妖獣の巣窟と化している。
しかし、その一方で、遺跡内部には当時の武具や貴重な品々が未だに残されていることもあり、また、比較的弱い妖獣も多く生息しているため、経験の浅い新人遊侠にとっては、比較的安全に実戦経験を積み、貴重な武具や素材、そしてささやかな戦利品を得るための、格好の修練場所ともなっていた。
もっとも、それは遺跡の入り口付近に限った話であり、その奥深くには、いまだ人の踏み入らぬ、そして極めて危険な区域が広がっていると言われている。
しかし、俺、陳統と彩霞の真の目的は、単なるレベル上げや、目先のアイテム収集などという、生易しいものではなかった。
この広大で、そして複雑怪奇に入り組んだ、まるで迷宮のような遺跡の最も奥深く、常人では決して見つけることのできない、巧妙に、そして何重もの仕掛けによって隠された秘密の場所に存在するはずの、古の、そして世界の理に触れると言われる「天命盤の祭壇」。
そこで天からの、あるいはこの世界の創造主からの祝福を受けることにより、武勲上昇時の能力成長値を決定する、最も重要な要素である「武運」を、この『天命の覇者』というゲーム世界における最高の、そしてまさにチート級とも言える「七」という数値で、完全に、そして永続的に固定することができる。
これこそが、転生した陳統が持つ、他の誰にも真似のできない、そして彼がこの「現実」となった世界で再び頂点を目指すための、最大の、そして絶対的なアドバンテージの一つだった。
武運が七で固定されるということは、武勲が一つ上がるたびに、全ての能力値が、例外なく、そして確実に「七」ずつ上昇していくことを意味する。それは、かつて武運一階梯の呪縛に苦しみ、どれだけ努力しても報われなかった俺にとって、まさに夢のような、そして待ち望んだ力だった。
遺跡の、風化し、ところどころが崩れかけた巨大な石造りの門を抜け、薄暗く、そしてどこかカビ臭く、そして微かに血の匂いが漂う通路に足を踏み入れると、俺は彩霞に対し、静かに、しかし有無を言わせぬ、そしてどこか切実な響きを込めた強い口調で指示を出す。
「彩霞、お前の初期技能ポイントは、全て【気配感知】のスキルに振るんだ。いいな? その力が、この先の我々の生死を、そして俺たちの未来を分けることになるかもしれん。俺を信じてくれ」。
彩霞は、陳統の、普段の彼からは想像もできないほど真剣で、そしてどこか追い詰められたような眼差しと、その言葉に込められた絶対的な確信、そして僅かな不安の色に、少し戸惑いの表情を浮かべながらも、「はい、陳統様の仰せの通りにいたします。私は、陳統様を、心の底から信じます」と、素直に、そして力強く彼の指示に従う。
彼女はまだ、自らの内に秘められた、常人を遥かに超える、そしてこの世界の理すらも揺るがしかねないほどの、途轍もない才能の片鱗にすら、全く気づいていなかった。彼女のその純粋な信頼が、俺の心を強く打つ。
結果は、陳統の、そしておそらくは彩霞自身の予想を遥かに、そして良い意味で裏切る形で、歴然として、そして劇的に現れた。
彩霞の【気配感知】の能力は、まるで神懸かりとでも言うべきほどに鋭敏で、遺跡内部に巧妙に、そして悪意に満ちて仕掛けられた物理的な罠の正確な位置や、分厚い石壁の向こう側に潜む、息を殺した魔物の微細な気配、さらには不安定で、踏めば崩れやすい床の状態や、天井からいつ落ちてくるかもしれない巨大な瓦礫の、ほんの僅かな予兆までをも、まるで未来を予知するかのように、あるいは世界の全ての情報をその手に取るように、事前に、そして完璧に看破する。
「陳統様、三歩先の床板、その下は空洞になっています!おそらく、人が乗ればその重みで、音もなく抜けてしまうでしょう!その先は、鋭い杭が並んでいるようです…」
「右手の、あの崩れかかった通路の奥、強い、そしてとても邪悪な殺気を感じます。数は五体…いえ、六体です!そのうち一体は、他とは比較にならないほど格段に強力で、不気味な、そして冷たい気配が…まるで、この遺跡の、忘れられた主のような…」
その報告は、まるで長年この遺跡を隅々まで知り尽くした熟練の案内人か、あるいは戦場の全てを盤上に見通しているかのような、百戦錬磨の軍師のように、正確無比で、そして具体的だった。
俺は、彼女のこの才能に、改めて舌を巻いた。これは、ただの「スキル」ではない。何か、もっと根源的な、特別な力だ。
陳統の前世のゲーム知識によって得られた、寸分の狂いもない、そしてあらゆる隠し要素まで網羅した正確なマップ情報と、彩霞の、もはや超人的としか言いようのない、驚異的な索敵能力、そして陳統の、長年の遊侠経験に裏打ちされた、いかなる状況にも対応できる老練な戦闘技術と、冷静沈着な判断力が、完璧な、そして美しいとすら言える形で組み合わさり、彼らは他の、経験豊富な遊侠たちですら決して足を踏み入れることのできない、極めて危険な、そして妖気に満ちた区域を、まるで月明かりの下を散歩でもするかのように安全に進み、誰にも知られていない、ゲーム内でも極一部の、それこそ異常なまでの執念を持った解析者しか知らなかったはずの、巧妙に隠された秘密の通路を、いとも容易く発見した。
その薄暗く、そして人がやっと一人通れるほどの狭い通路の最奥に、周囲の荒廃した雰囲気とは不釣り合いなほど荘厳な雰囲気を漂わせ、周囲の闇を優しく、しかし力強く払うかのように淡い、清浄な光を放つ「天命盤の祭壇」は、まるで彼らの訪れを、何百年、いや何千年も前から、ただひたすらに待ちわびていたかのように、静かに、そして厳粛に佇んでいた。
祭壇は、磨き上げられた滑らかな白亜の石で作られており、その表面には、今は失われた古代の文字か、あるいは神聖な紋様のようなものが、びっしりと、そして精緻に刻まれている。
祭壇の前に進み出て、二人が静かに、そして敬虔な気持ちで祈りを捧げると、まるで天がそれに呼応したかのように、天から降り注ぐかのような、温かく、そして全身を優しく包み込むような心地よい光が、二人を、そして彼らの持つ天命盤を包み込んだ。
彼らの胸に抱かれた天命盤が、まるで共鳴するかのように、祭壇の光と同じリズムで、力強く、そして心地よく脈動し始め、新たな、そして強大な力が、その魂の最も深い部分に、確かに、そして永遠に、祝福として刻まれていくのを感じた。
最強への、そして揺るぎない、誰にも邪魔されることのない輝かしい未来への、確かな、そして絶対的な基盤が、今、この瞬間に、この古の、そして神聖な場所で築かれたのだ。
陳統は、込み上げてくる熱いものを感じながら、隣に立つ彩霞の手を、強く、そして優しく握りしめた。