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g  作者: チャプタさん
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第六話:記憶なき少女、彩霞

第六話:記憶なき少女、彩霞


転生の儀式という、世界の理そのものを書き換えるかのような、神聖にして畏怖すべき、そして魂の根源を揺るがすほどの強烈な体験を終えた俺、陳統は、深い、しかしどこか安らかで、そして夢も見ないほどの静かな眠りについたままの、神秘的な少女をその腕に優しく、しかし壊れ物を扱うかのように慎重に抱え、生まれ変わったばかりの、まるで羽でも生えたかのように、そして世界の重力から解放されたかのように軽い体で、再び荒廃しきった洛陽の自宅へと帰還した。

あれほど遠く、そして重く、絶望的なまでに感じたはずの崑崙山からの道のりも、今の俺には嘘のように近く、そしてまるで風に乗って飛ぶかのように軽やかに感じられた。それは単に、転生によって身体能力が向上したからというだけではないだろう。心の重荷が、長年、俺の魂を鉄の鎖のように縛り付けてきた絶望という名の、あまりにも重い石が、ようやく取り払われたからに他ならない。


全身に、これまで感じたことのないほどの清浄で、そして生命力に満ち溢れた力強いエネルギーが漲り、世界の全ての色が、音も、匂いも、肌で感じる風の感触すらも、以前よりも遥かに鮮やかに、そして生き生きと、まるで生まれたばかりの赤ん坊が、初めてこの世界の美しさと驚異を認識したかのように、感動的に感じられる。

まるで、長年、分厚い曇りガラス越しにしか世界を見ていなかったのが、その無慈悲なガラスが突然、粉々に砕け散り、世界の真の、鮮烈で、そして時には残酷な姿を、初めてありのままに目の当たりにしたかのようだ。

窓の隙間から差し込む、ごくありふれたはずの朝日ですら、まるで俺の新たな門出を、そして腕の中で、か細く、しかし確かに規則正しい寝息を立てる、この名も知らぬ少女の未知なる、そして無限の可能性を秘めた未来を、力強く、そしてどこまでも温かく祝福しているかのようだった。


「…さて、これからどうしたものか。まずは、腹ごしらえ、だな」

崑崙の秘奥での出来事は、あまりにも現実離れしていた。しかし、腹は正直に減る。俺は、この少女を安全な場所に寝かせ、そして俺自身の新たな力を改めて確認し、これからの具体的な計画を練らねばなるまい。

武勲レベルは一に戻ったが、不思議と不安は微塵もなかった。むしろ、目の前には無限の可能性が広がり、何でもできるような、そんな途方もない、しかし確かな高揚感だけがあった。


洛陽の、今にも崩れそうな、そしていつネズミが走り回ってもおかしくないような長屋の一室にある、俺のささやかな、そしてみすぼらしい住処。

そこは、崑崙の秘奥から帰還しても、以前と何ら変わらぬ、薄暗く、埃っぽく、そしてどこか長年染み付いた寂寥感の漂う、侘しい場所だった。

俺は、腕の中の少女を、部屋に唯一ある寝床代わりの、硬く、そして決して寝心地が良いとは言えない藁束の上に、できる限りそっと、まるで硝子細工でも扱うかのように優しく横たえる。

彼女の寝顔は、まるでこの世のどんな穢れも知らない、生まれたばかりの幼子のようで、そのあまりにも穏やかで、そして純粋な表情を見ていると、俺の、長年の戦いと絶望で荒みきった心も、ほんの少しだけ、しかし確かに癒されるような、そんな不思議な気がした。


「…腹が、減ったな。こいつも、目覚めれば腹を空かせているだろう」

長旅と、そして何よりも転生の儀式による、魂レベルでの消耗で、俺の腹は正直に、そして切実に空腹を訴えていた。この少女も、永い眠りから覚めれば、きっと同じように腹を空かせているに違いない。

俺は、なけなしの、しかし今は貴重な干し肉と、旅の途中で村人から分けてもらった数個の硬い黒パン、そして革袋に僅かに残っていた水を使い、質素だが、今の俺たちにとってはご馳走とも言える、温かい粥を作ることにした。

古びたかまどに、拾い集めてきた枯れ枝で火を起こし、小さな土鍋でコトコトと粥を煮る。その芳ばしい香りが、殺風景な部屋に僅かな温もりと生活感をもたらした。

その間、俺は新しい天命盤を取り出し、そこに淡く、しかし力強く浮かび上がる、生まれ変わった自分自身の状態を、食い入るように、そして何度も何度も確認するように見つめた。


『陳統』の名の下に、武勲は確かに『一』へと戻っている。

そして、その下に、まるで朝日が昇るかのように、黄金色に輝く『武運:五階梯(最大固定)』の文字。

それを見た瞬間、俺の全身に、言葉では到底言い表せないほどの、魂の底から湧き上がるような歓喜と、そしてこの力があれば何でもできるという、絶対的な確かな手応えが、まるで稲妻のように駆け巡った。

もう、あの絶望的なまでの、努力しても努力しても報われない成長の遅さに苦しむことはない。武勲が一つ上がるたびに、かつての仲間たちのような、いや、それ以上の、神懸かり的な目覚ましい成長が、この俺に約束されているのだ。

生命力や気力、武力といった具体的な数値は、今の天命盤には直接的には表示されていない。それは、この世界のことわりとして、ある程度の武勲を積むまでは、その詳細な能力値は可視化されないのかもしれないし、あるいは俺自身の、この新たな力に対する理解がまだ追いついていないだけなのかもしれない。

だが、そんなことは、今の俺にとっては些細な問題だった。

最も重要なのは、この「武運:五階梯(最大固定)」という、俺の未来を、そしてこの世界の未来すらも照らし出す、まさに黄金の文字列だ。

さらに、心の奥底で、転生の儀の際に、あの慈愛に満ちた女神像から授かったであろう「潤沢な技能ポイント」と「全能力値への大幅な初期ボーナス」という、確かな、そして力強い感覚が、俺の新たなる力を、そして無限の可能性を裏付けていた。


「…ふっ、ふはははは!はーはははははっ!」

思わず、乾いた、しかし心の底からの、腹の底からの、全ての苦悩と絶望を吹き飛ばすかのような、晴れやかな笑いが込み上げてくる。これだ、これこそが俺の、来栖蓮斗としての俺が、ずっと、ずっと求めていたものだ。この力があれば、もう二度と、誰にも、何ものにも、そしてあの理不尽な天命にすらも、屈することはない。

俺は、溢れ出る、抑えきれない高揚感を、そして新たな人生への期待を抑えきれず、狭い部屋の中で、まるで子供のように何度か軽く跳躍し、手にした剣を、風を切る音を立てて力強く振るう。

体が、まるで羽のように軽い。いや、それ以上に、まるで自分の体ではないかのように、意のままに、そして滑らかに動く。振るう剣の軌道も、以前とは比較にならないほど鋭く、速く、そして力強い。

「これなら、やれる…!今度こそ、俺は…!」

確かな手応えを感じながら、俺は粥の火を止め、器に盛り付け、そして腕の中で静かに眠り続ける、この名も知らぬ少女が、穏やかに目覚めるのを、静かに、そしてどこか父親のような気持ちで待つことにした。


それから数時間後、部屋に差し込む陽光が、やや西に傾き始め、壁に長い影を作り始めた頃。

腕の中の少女が、小鳥のさえずりのような、微かな、しかしどこか心地よい、愛らしい寝息と共に、ゆっくりとその長い睫毛を震わせ、まるで永い、永い夢から覚めたばかりのように、静かに目を覚ました。

しかし、その美しい、吸い込まれそうな琥珀色の瞳には、深い戸惑いと、そして世界に対する純粋な、しかしそれ故に痛々しいほどの、まるで生まれたての小鹿のような怯えの色しか浮かんでいなかった。まるで、見知らぬ、そして危険に満ちた場所に、たった一人で迷い込んでしまった、小さな迷子の子供のように。

彼女は、あの崑崙の秘奥での神秘的な出来事はおろか、それ以前の、自分が誰で、どこから来て、何をしていたのかという、全ての記憶を、まるで朝靄が、昇り来る太陽の光に照らされて綺麗に晴れていくように、綺麗さっぱりと失っていた。

自らの名も、生まれ育ったはずの故郷も、そしてなぜあの人里離れた、神聖な崑崙山の奥深くで、巨大な霊玉の中で永い、永い眠りについていたのかも、何も、何一つとして覚えていない。

ただ、目の前にいる、自分を心配そうに、そしてどこか優しく、そして温かく見守る陳統のことだけを、まるで嵐の中ではぐれ、初めて目にする親鳥を、全幅の信頼と、そして僅かな、しかし拭いきれない不安と共にじっと見つめる、か細い雛鳥のように、不安げに、そしてどこか寂しげに、しかし必死に見つめるだけだった。


「…あな…たは…どなた…です…か…? そして…私は…?」


か細く、そして今にも消え入りそうで、僅かに震える声で、彼女は問いかける。その声は、まるで壊れやすい硝子細工のようだった。


陳統は、彼女のそのあまりにも儚げで、純粋無垢で、そしてどこか今にも壊れてしまいそうな、守ってあげなければならないと思わせる姿に、言葉にできないほどの感謝の念と、そしてこの少女を、これから何があっても、たとえこの命に代えても守り抜きたいという、まるで父親が、かけがえのない一人娘に向けるような、強く、そしてどこまでも温かい保護欲を込めて、「彩霞さいか」という名を与えた。

「お前の名前は、彩霞だ。俺が、そう名付けた。気に入ってくれると嬉しいんだが」

夜明けの、まだ薄暗い空を、ほんの一瞬だけ、しかし息を呑むほど鮮やかに、そして美しく彩り、やがて昇り来る太陽の力強い光と共に、儚く、そして名残惜しそうに消えゆく朝靄あさもやのように、しかしその一瞬の、比類なき美しさで、見る者の心を捉えて決して離さない、そんな彼女にこそ似合いの名前だと思った。

この暗く、血塗られた、そして先の全く見えない乱世にあって、彼女の存在がいつか希望の光となり、絶望に沈む多くの人々を、そして何よりも、かつての自分自身のような、出口のない暗闇の中で燻り続ける魂を抱えた者たちを照らし、そして優しく導いてくれることを、心の底から願って。

「そして俺は陳統。ただの、しがない遊侠だ。お前の、今日からの仲間だ」


そして、彼は彩霞に、この厳しく、そして時にはあまりにも残酷な世界で、彼女が生きていくための、そして共に、同じ未来を目指して歩むための道を示す。

彼は、冷めないうちに、と出来上がった温かい粥を、粗末な木の匙と共にそっと差し出しながら、できる限り穏やかな、そして安心させるような声で語りかけた。

「彩霞、記憶がないのは辛いだろう。自分が誰なのかもわからないというのは、きっと不安で仕方がないはずだ。だが、今は何も無理に思い出す必要はない。ゆっくりと、これから新しい、楽しい記憶を、俺と一緒にてんこ盛りに作っていけばいい。そして…もしお前が望むなら、俺と共に来てくれ。俺たちは遊侠だ。この乱世を、お前自身の足で、そして俺と共に、強く、そして何よりも誇り高く生き抜くんだ。お前には、きっと何か特別な、お前自身もまだ気づいていない、とんでもなく素晴らしい力が眠っているはずだ。それを、一緒に見つけようじゃないか。どうだ?」

彼の言葉には、一切の嘘も飾りもなかった。ただ、不器用で、口下手な男の、精一杯の、そして心の底からの誠意が込められていた。


彩霞は、差し出された粥を、おそるおそるといった様子で、しかしどこか嬉しそうに受け取り、一口、また一口と、まるで生まれて初めて食事をするかのように、ゆっくりと、そして味わうように口に運ぶ。その間も、彼女の大きな、そしてどこか猫の目を思わせる琥珀色の瞳は、陳統の、優しさと厳しさが同居する顔から離れることはなかった。

やがて、器の中の粥を全て綺麗に食べ終えると、彼女は小さな声で、しかしはっきりと、「…温かいです。とても…美味しいです」と、はにかむように、そして心の底から嬉しそうに呟いた。

そして、陳統の、幾多の戦いを経験してきたであろう、節くれだって武骨で、しかしどこか不思議な安心感を覚える大きな手を、おずおずと、しかし確かに、両手で包み込むように握った。

「…私、行きます。陳統様と…一緒なら、どこへでも。陳統様が、私の進むべき道を照らしてくれるなら…」

迷いのない、どこまでも澄み切った、そして絶対的な信頼を宿した瞳で見つめ返すと、彼女は静かに、しかしはっきりと、そしてどこか嬉しそうに頷いた。


小さな、しかし確かな、そして何よりも、凍てついた心を溶かすほどに温かい温もりが、繋がれた手を通して、二人の間に確かにそこにあった。

それは、長い、あまりにも長い孤独と、出口のない絶望の果てに、ようやく、本当にようやく見つけた、小さな、しかし何よりも尊い希望の灯火のようだった。

陳統と彩霞、それぞれの理由で孤独だった二つの魂が、この混沌とした、そして先の見えない乱世で出会い、そして運命の、あるいはそれ以上の何かの赤い糸によって強く結ばれ、重なり合う、新たな、そして波乱に満ちた旅が、ここから、静かに、しかしこの世界の新たな物語を紡ぐために、運命の歯車が、ゆっくりと、しかし力強く回り始める音と共に始まる。

陳統は、彩霞の、驚くほど小さく、そして温かい手を力強く握り返しながら、心の奥底で、かつてないほどの、そして絶対に揺らぐことのない決意を固めていた。この少女を、そしてこの二度目の、かけがえのない人生を、今度こそ、絶対に、何があっても守り抜いてみせると。

彼の心に、再び生きる意味と、戦う理由が生まれた瞬間だった。

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