第四話:崑崙の秘奥
第四話:崑崙の秘奥
覚醒の衝撃と、それに続く、まるで全身の細胞が一度死んで、全く新しく生まれ変わり、魂そのものが若返ったかのような、圧倒的な高揚感から一夜が明けた。
俺、陳統――いや、心の奥底では、未だに「来栖蓮斗」としての、あの平凡で、しかしどこか愛おしく、そしてもう二度と戻ることのない、モニターの光とキーボードの音に満ちた日常を送っていた男の意識が、まるで薄皮一枚隔てたすぐ向こう側で、懐かしい友人のように、そして時には皮肉な笑みを浮かべて囁きかけてくるように、色濃く、そして鮮明に残っている――は、もはや一刻の猶予もないと、身体中の細胞が叫ぶように、本能的に、そして同時に極めて理性的に判断した。
あの忌まわしき、俺の人生をがんじがらめに縛り付け、可能性の芽をことごとく摘み取ってきた天命盤の呪縛から完全に逃れ、真の、そして俺自身が選び取る、無限の可能性を秘めた力を、この手に掴み取るためには、まず何よりも先に「転生の儀」を行わねばならない。
そして、そのためには、遥か西域の果て、一年中万年雪をその身に纏い、天を衝くようにどこまでも高く、そして荘厳にそびえ立つという霊峰崑崙山、その山中に巧妙に、そして人知を超えた力によって隠されたという、崑崙の秘奥へと、この足で、何としてでもたどり着く必要があった。そこが、俺の新たな人生の、最初の、そして最も重要な関門となるだろう。
洛陽の街に残っていた、なけなしの財産と呼べるものは、本当に、ほとんど何もなかった。というより、最初から何も持っていなかったと言った方が正しいのかもしれない。
長年使い込み、もはや俺の体の一部とも言えるほどに馴染んだ、しかし今はその重さが、これから始まる戦いへの覚悟のように心地よい剣と、あちこちが擦り切れ、修繕の跡が痛々しく、そして数えきれないほどの戦場で浴びたであろう、乾いて黒ずんだ血の染みがこびりついた古い革鎧。
数日分の、まるで石のように硬く、そして味気ない干し肉と、なめし革の袋に入った、決して美味いとは言えない、しかし今は俺の命を繋ぐ貴重な水。
そして、あの忌まわしき、しかし今の俺にとっては、未来への唯一の、そして絶対的な道しるべでもある天命盤。
俺は、住処としていた、今にも崩れそうな、風が吹けば隙間風が悲しい歌を歌うような長屋の家主に、これまで世話になった僅かな礼として、部屋に残っていた数少ない家財道具――といっても、ほとんどガラクタに近い、誰が見ても一文の価値もないような、しかし俺にとっては僅かな思い出の染みついた品々だが――を全て譲り渡し、まだ東の空が白み始める前の、星々が最後の輝きを放つ夜陰に紛れて、静かに、そして誰にも気づかれることなく洛陽の都を後にした。
誰にも告げず、誰にも見送られることもない、孤独な、そしてあまりにも長い旅立ち。
だが、不思議と心は軽かった。いや、むしろ、これまでの人生で一度も感じたことのないほどの、確かな、そして燃えるような希望と、そして何があっても揺らぐことのない、鋼のような目的意識に満ち溢れていた。
あの朱桓の、怒りと絶望に満ちた、しかしどこか助けを求めているようにも見えた、あの若く、そして危うい瞳が、脳裏をよぎる。彼にも、そしてかつての、志半ばで無念の内に散っていった仲間たちにも、いつか必ず、この俺が、今度こそ胸を張って、そして笑顔で会えるように。そのためにも、俺は行かねばならない。
目指すは、西域の果て、崑崙山。
常人ならば、その名を聞いただけで、そのあまりの遠大さと、そこに潜むという、人知を超えた伝説の魔物や、神通力を操る仙人の話に、恐怖で全身が震え上がるか、あるいは現実離れした、子供だましの与太話として一笑に付すであろう、あまりにも荒唐無稽で、そしてあまりにも危険な目的地。
人界を超えた仙人が住まうとされ、歴代の、天命を受けたとされる皇帝ですら、その全容を窺い知ることは叶わなかったというその霊峰に、誰一人としてその正確な存在を知らないはずの秘境へ、俺は進む。
頼りになるのは、前世で、来栖蓮斗として培った『天命の覇者』のゲーム攻略情報――その恐ろしく詳細で、時には開発者の意図すらも完全に超えて、プログラムの深層まで解析された、精密極まりないマップデータと、複雑怪奇なイベントフラグの発生条件、そして隠された強力なアイテムの正確な場所といった、いわばこの世界の「設計図」「攻略本」とも呼べる、今の俺だけの、そして誰にも奪われることのない絶対的な知識――だけだ。
ゲームの中では、それこそ目を瞑ってでも、最短ルートで、そしてノーダメージで踏破できるほどに、文字通り数えきれないほど何度も訪れた場所だが、この「現実」となった、血と硝煙の匂いが染みつき、そして痛みを感じ、そして死が現実のものとして存在するこの世界で、それが寸分違わず通用する保証など、どこにも、何一つとしてありはしない。
だが、今の俺には、それに賭ける以外に道はなかった。この一縷の、しかし確かな、そして何よりも輝かしい望みに、俺の二度目の人生の全てを、そして来栖蓮斗としての、あの膨大な記憶と経験の全てを、注ぎ込むのだ。
道中は、俺のなけなしの、しかし新たに燃え上がった覚悟すらも、容赦なく、そして何度も打ち砕かんとするほどに、過酷を極めた。
黄巾の乱の余波はいまだ中原の各地に深く、そして癒えることなく生々しく残り、秩序を失った広大な地では、敗残兵や、それに乗じて徒党を組んだ、もはや人の道を踏み外し、獣にも劣るような残虐非道な山賊たちが、まるで腐肉に群がる、おぞましい蛆虫のように、我が物顔で跋扈していた。
官軍の統制もほとんど及ばない、力こそが正義であり、弱者はただ蹂躙されるだけの、まさに無法地帯が、どこまでも、どこまでも、まるで世界の果てまで、絶望と共に延々と続く。
時には、飢えて理性を完全に失い、ただ破壊と殺戮の本能だけで動く、目も眩むほど凶暴化した妖獣の群れに遭遇し、夜通し松明を燃やし続け、張り詰めた神経を針のようにすり減らしながら、一睡もせずに、背後からの奇襲に警戒を続けねばならないこともあった。
乾ききって、まるで砂でも噛むかのように、喉に痞えて通らないパンを、道端のぬかるみから掬った、泥の味がする濁った水で無理やり流し込み、雨風を凌げるまともな場所もなく、冷たく湿った、そして獣の糞尿の臭いがする岩陰で、まるで手負いの、そして孤独な獣のように丸くなって仮眠を取る日々。
身体は泥と汗と、時には自らの傷口から滲み出る生暖かい血に汚れ、疲労は鉛のように重く、そして確実に、しかし確実に俺のなけなしの体力と、そして何よりも気力を、容赦なく蝕んでいく。
あまりの疲労と、そして耐え難いほどの空腹と孤独に、時折、かつての仲間たちの楽しげな、そして俺を気遣うような幻影が見え、彼らの励ますような温かい声が、まるで風の音に混じって、すぐそばから聞こえたような気がした。その度に、俺は奥歯を強く、血が滲むほどに、そして砕けんばかりに噛み締め、彼らとの再会を、そして彼らに胸を張って「ただいま」と、心の底から笑顔で言える自分になることを、魂に誓い、震える足に無理やり活を入れ、再び一歩、また一歩と前へと歩き出す。
だが、不思議と心は折れなかった。いや、正確に言えば、折れるわけにはいかなかったのだ。ここで諦めてしまっては、何のために、あの忌まわしい天命盤を書き換えるという、途方もない希望を抱いて覚醒したのか、全くわからなくなってしまう。
長年の遊侠としての経験と、幾多の修羅場を紙一重で潜り抜ける中で、まるで獣のように鋭敏に、そして異常なまでに研ぎ澄まされた危機察知能力が、幾度となく俺を死地から生還させた。
危険な妖獣の気配を、その微かな、しかし独特な獣臭や、地面に残された、まだ生々しく、そして獲物を求めて彷徨う足跡の深さと向き、そして風向きの僅かな変化、周囲の草木の不自然な揺れから事前に察知し、危険な遭遇そのものを避けるために、遠回りになることを承知の上で迂回路を選択する。
夜盗が、油断した哀れな旅人を確実に、そして効率的に仕留めるために巧妙に仕掛けた、一見すると決して気づかないような、自然の風景に完全に溶け込んだ罠や、狭く、逃げ場のない谷間での効果的な待ち伏せによる襲撃の気配を、体に染みついた、もはや第六感とも呼べる戦闘の勘と、そして何よりも脳裏に鮮明に、そして立体的に焼き付いた、この世界の設計図とも言えるマップ情報――まるでこの世界の全てが、詳細な注釈と、危険度評価、そして隠しアイテムの場所までが記述された、精密極まりない軍用地図を常に携えているかのように――を頼りに、ことごとく未然に防ぎ、あるいは最小限の、そして致命傷を避けた消耗で切り抜けていく。
前世のゲーム知識は、やはり強力な、そして何物にも代えがたい、今の俺だけの絶対的な武器だった。
しかし、それは決して万能ではないということも、俺はこの長く、そしてあまりにも過酷な旅の中で、改めて、そして骨身に染みて痛感させられていた。
ゲームのマップには存在しなかったはずの、突然の、そして大規模な、進路を完全に塞いでしまう崖崩れ。予期せぬタイミングで、そしてゲームには登場しなかったはずの、異常なまでに統率の取れた、まるでどこかの正規軍のような洗練された動きをする、謎の、そして強力な盗賊団との遭遇。そして何よりも、この「現実」の世界の「空気」そのものが持つ、油断ならぬ、肌を直接刺すような、そして常に、どこにいても死の匂いを伴う、重苦しいほどの重圧感。
それらが、俺に常に最大限の、そして一瞬たりとも緩めることのできない緊張を強い、僅かでも気を抜くことを決して許さなかった。
ゲームでは、死ねばセーブポイントから、まるで何事もなかったかのように簡単にやり直せた。だが、この世界では、死は絶対的な、そして取り返しのつかない終焉を意味するのだから。
数週間に及ぶ、筆舌に尽くしがたい、そして誰にも頼ることのできない、あまりにも孤独な困難な旅の果て、俺はついに目的の秘境の入り口である洞窟へとたどり着く。
それは、崑崙山脈の、地図にもその存在が記されていないような、人間が長年足を踏み入れることなど想定されていないかのような、あまりにも奥深い場所にあり、まるでこの世の理から完全に忘れ去られた、古の、名もなき隠者の庵のように、巧妙に自然の岩肌や、鬱蒼と、そしてどこか不気味なほどに静まり返って茂る木々に溶け込み、注意深く、そして「知って」いなければ、その前を百回通り過ぎたとしても、あるいはその上に立っていたとしても、決して見つけることのできないような、小さな、そしてまるで異世界へと、あるいは冥府へと通じているかのように、吸い込まれるような、不気味なほどに静かな洞穴だった。
周囲には、鳥の声一つ、虫の音一つ、風の音すらも聞こえない。まるで、この場所だけが、世界の法則から完全に切り離され、時が、そして生命の営みそのものが止まってしまっているかのようだった。
洞窟の入り口からは、ひんやりとした、そしてどこか甘いような、しかし同時に、獣の腐臭にも似た、あるいはもっと根源的な、魂が本能的に生存のための最大の危険を告げるような、奇妙な匂いの空気が、淀みなく、そしてゆっくりと、しかし確実に流れ出してきていた。
洞窟の内部は、一寸先も見えぬ、まるで冥府の入り口か、あるいは世界の裂け目のような、底知れぬ、そして一度足を踏み入れたら二度と戻れないのではないかと思わせるような、吸い込まれそうな漆黒の闇。
頼りになるのは、俺が持つ松明の、心許ない、風が吹けばすぐにでも消えてしまいそうな、揺らめくオレンジ色の灯りが照らし出す、せいぜい数メートル四方の、限られた、そして頼りない円形の視界のみ。
湿った、そしてどこか鉄錆のような、あるいは古い、乾いた血のような不快な匂いのするカビ臭い空気と、何かが暗闇の中で蠢くような、あるいは息を潜めてじっと、そして粘り強く獲物を待ち構えているような、肌を粟立たせ、背筋を凍らせる、心臓を直接鷲掴みにされるかのような不気味な静寂が、洞窟全体を重く、そして息苦しく支配している。
時折、遠くの、おそらくは天井の高い場所から滴り落ちる、粘性の高い、そしてどこか不気味な光沢を放つ水滴の音だけが、まるで死への冷たい、そして無慈悲なカウントダウンのように、やけに大きく、そして不気味に、洞窟の壁に反響する。
音もなく、まるで水の中を滑るかのように、あるいは闇そのものが意思を持って形を成したかのように背後から忍び寄り、鋭く研ぎ澄まされた、そして強力な麻痺毒が念入りに塗られた毒牙で、一瞬にして俺の命を奪おうと、正確無比に首筋を狙って襲い来る、巨大な、そして全身が、まるで闇夜に溶け込むかのような、艶のない漆黒の鱗で覆われた蛇型の妖獣。
洞窟の壁の色に完全に同化し、獲物が油断してその前を通りかかるのを、粘性の高い、触れれば骨まで溶かすと言われる、強酸のようなおぞましい消化液を、その不定形の体から、まるで涎のように滴らせながら、じっと、そして恐ろしいほど辛抱強く待ち構える、おぞましいスライム状の魔物。
それらを、俺は長年の遊侠経験で培った、殺気や悪意、そして生命の持つ独特の、微細な波動を、まるで肌で感じるかのように敏感に感知する能力と、記憶にある詳細な、寸分の狂いもない敵の配置知識(ゲーム内で、この最高難易度ダンジョンを、それこそ寝る間も惜しみ、食事も忘れて、現実の生活を犠牲にしてまで数えきれないほど周回し、出現する全ての敵の正確な出現パターンや、その弱点、好んで使う攻撃方法、そしてドロップする希少なアイテムの確率に至るまでを、完全に、そして完璧に記憶していた)で、最小限の動きで、しかし的確に急所を、例えば蛇の眉間にあるという、硬い鱗に覆われた中で唯一柔らかい、僅かな鱗の隙間や、スライムの体内に一つだけ存在する、拍動する心臓のような核の部分を狙って突き、あるいは戦闘そのものを、まるで風がしなやかな柳の枝を優しく、そして音もなく避けるかのように、巧みに、そして気配を消して回避していなしていく。
無駄な戦闘は極力避ける。今の俺の、そしてこの過酷な、そして孤独な旅の最大の目的は、あくまでも「転生の儀」を成功させ、新たな力を、そして新たな可能性を得ることだ。ここで無用な消耗をし、万が一にも取り返しのつかない深手を負うわけにはいかない。
足元に巧妙に、そして極めて悪意に満ちて仕掛けられた、踏めば鋭利な、そしておそらくは強力な遅効性の毒が念入りに塗られた錆びついた刃が、瞬時に、そして音もなく飛び出す、原始的だがそれ故に極めて効果的な罠。
天井から、まるで夏の夕立のように、しかし音もなく、そして一切の慈悲もなく降り注ぐ、触れれば全身が瞬時に麻痺し、完全に動けなくなり、生きたまま魔物の餌食になるしかないという、緑色の不気味な光を放つ毒針の雨。
それらも、今の俺には、まるで盤面を一手先、いや三手先、五手先までをも完全に読み解き、相手の全ての思考を先読みし、そしてそれを逆手に取る老練な棋士のように、全て手に取るようにわかる。その巧妙な配置、巧妙な作動条件、そして最も安全な、しかし一見すると危険に見える回避ルートまでもが、脳裏の立体的なマップに、寸分違わず、そしてリアルタイムで表示されている。
俺は、一切の無駄な戦闘や、不必要な消耗を避け、最短かつ最も安全なルートを選択し、この複雑怪奇で、そして悪意に満ちた迷宮の最深部へと、一歩一歩、着実に、そして静かに、しかし心の奥底では燃え盛る、決して消えることのない、そして何よりも熱い炎のような、確固たる意志を持って進んでいった。
時折、松明の炎が、洞窟内を不規則に、そして気まぐれに吹き抜ける、冷たく湿った、そしてどこか死の匂いのする風に煽られて激しく揺らめき、洞窟の壁に映る俺自身の影が、まるでこの世ならざる、おぞましい不気味な怪物のように、大きく、そして歪んで、まるで俺の覚悟を嘲笑うかのように、あるいは俺の行く末を暗示するかのように踊る。
これは、誰にも頼ることのできない、孤独な、そしてあまりにも危険な戦いだ。だが、不思議と絶望はない。いや、もはや絶望している暇など、俺には微塵も残されていない。
俺の心の中には、あの忌まわしき、俺の人生を、そして俺の可能性をがんじがらめに縛り付けてきた天命盤を、この俺自身の力で、そしてこの俺だけの知識で書き換えるのだという、熱く、そして何よりも力強い、そして絶対に諦めないという希望の炎が、赤々と、そして激しく、そして何よりも誇り高く燃え続けている。
そして、ついに。
どれほどの時間が経過したのか、もはや昼夜の感覚すら曖昧になり、肉体的にも精神的にも、本当に限界が近づきつつあった、そんな時。
俺は、この迷宮の最深部に、ようやくたどり着く。
そこは、これまでの狭く、息が詰まるような、そして常に死の気配が漂っていた通路とは異なり、僅かに天井の岩盤の、まるで天窓のように開いた隙間から差し込む、月の光にも似た、あるいはもっと神聖な何かの光のような、淡い、しかし力強い光に照らされた、比較的開けた、そしてどこか清浄で、神聖な雰囲気すら漂う、円形の空間だった。
その空間の中央に、壁と完全に一体化した、まるで最初から、この世界が創造された時からそこにあったかのように、この世の物とは思えぬほど滑らかで、そして清浄な、内側から発光しているかのような、淡く、しかし神秘的な光を放つ、**月長石にも似た、あるいは磨き上げられた星白石**とでも呼ぶべきか、いずれにしても俺が前世でも、そしてこの世界でも一度も見たことのない、未知の鉱物でできた、巨大な石碑が、静かに、そして圧倒的な、神々しいとすら言える存在感を放って佇んでいた。
碑文はなく、何の模様も刻まれていない、ただ静かに、しかし何か強大な、そして不可侵の、絶対的な意志を秘めて佇むその石碑は、ただの冒険者――いや、この世界の財宝や、あるいは儚い名声を求めてこの危険な場所に、愚かにも、そして命知らずにも迷い込んだ、そしておそらくはここで運の尽きたであろう哀れな盗掘者などであれば、何の価値もないただの美しい、そして少し変わった、しかし何の変哲もない岩壁として、気にも留めることなく見過ごしてしまうだろう。
しかし、俺は知っていた。そして確信していた。
この石碑こそが、次なる段階への、俺の新たな、そして輝かしいはずの人生への、唯一無二の、そして最後の、希望へと続く鍵であることを。
俺は、記憶にある通りの、寸分の狂いもない、そして一分の隙もない正確な順番で、石碑の表面に、肉眼ではほとんど見えないほど微かに、しかし確かに刻まれた、いくつかの小さな、まるで夜空に輝く、運命を司る星々の配置を模したかのような窪みを、特定の、そして絶妙な力加減で、そして古の失われた、しかし魂に直接響くような呪文を、心の内で低く、しかし厳粛に唱えるかのような、特定の、そして神聖な順序で、一つ一つ丁寧に、そして全ての希望と、これまでの人生の全てを祈るように押し込んだ。
一つ、また一つと窪みを押していくたびに、石碑の表面から、まるでそれが永い眠りから覚醒し、生きているかのように、あるいは俺の魂の叫びに、そして渇望に呼応するかのように、微かな、しかし心地よい、そしてどこか懐かしい、母の温もりのような温もりが、俺の震える指先に伝わってくる。そして、石碑全体が、内側から淡い、しかし確実に力強い、まるで新たな生命の息吹にも似た、希望の光を放ち始めた。
そして、最後の窪みを、これまでの全ての苦難と、これからの全ての希望と、そして何があっても揺るがないという確固たる覚悟を込めて、強く、しかしどこまでも優しく押し終えた、その瞬間。
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
まるで大地そのものが怒り狂い、あるいは新たな生命の誕生を心から祝福し、天に向かって高らかに咆哮するかのような、凄まじい、そして地獄の底から響き渡るかのような地響きと共に、目の前の、清浄な、そして希望に満ちた光を放っていた石碑そのものが、ゆっくりと、しかし何者にも、そしてこの世界の理にすらも抗いようのない、絶対的な力で、左右に、まるで巨大な門が開くかのように分かれ始めた。
その奥に、武勲五十――すなわち、この世界の武の極みに達し、そして天に選ばれし者だけが、その門を開くことを許されるという、重々しい、そしてどこか神聖な、そして同時に畏怖すべき雰囲気を漂わせる、未知の、鈍い、しかし深淵のような光沢を放つ黒銀の金属で作られた、巨大な隠し扉が、まるで新たな時代の到来を、そして一人の男の、壮大な、そして波乱に満ちた運命の転換点を、高らかに、そして厳粛に告げるかのように、荘厳な姿を現した。
扉の隙間からは、これまでこの洞窟のどこでも感じたことのない、清浄で、暖かく、そしてどこか懐かしいような、魂の最も深い部分を優しく、そして力強く揺さぶる、不思議な、そして希望に満ちた、まばゆいばかりの光が、まるで手招きするかのように、ゆっくりと、そして確かに漏れ出している。
世界の根源的な理へと通じる入り口が、今、静かに、しかし確実に、俺の目の前に開かれようとしていた。
俺は、ごくりと乾いた唾を飲み込み、まるで破裂しそうに、早鐘のように激しく、そして痛いほどに打ち鳴らされる心臓を、震える左手で強く抑えつけながら、その黒銀の扉へと、震える足で、しかし確かな、そして未来への揺るぎない希望に満ちた一歩を、力強く踏み出した。
俺の、二度目の人生の本当の始まりは、間違いなく、そして絶対的に、この扉の向こうにある。