王国反乱 その1
英雄とは何だろうか。
英雄とは、通常人間では為しえない「何か」を、人間の身で為した、その成果を持って贈られる名誉ではないだろうか。
もし、全ての英雄たちに共通する特定の性質を、「何もなさずとも」持っていた人間がいたとしても、それは英雄ではない。
だが、逆にこうも考えられないだろうか。もし「何もなさずとも」英雄と同じ性質をもった人間がいるのであれば、その人間は英雄になれるのではないか。
そしてこうも言えるのではないか。もし英雄の性質を意図して得られるのであれば、誰もが英雄になれるのではないか。英雄とは運命ではなく、自らの意思でなれるものではないのか。
-英雄とは、つくれるのではないか。
◇◇◇
「じゃあね、ジャック。また会ったら助けてね」
「それなら、俺は二度とお前に会いたくない、シンシア。それじゃあな」
まったくつれないな、と言わんばかりに苦笑してから、女は街の雑踏に紛れていった。残った男は軽くため息をついた後、先に離れた女とは別の方向に歩き出した。
男の見た目は少年と呼ぶには少々いかつく、男性と呼ぶにはその目は険しすぎた。同年代の青年たちと比較しても、そのくすんだ銀の瞳の鋭さは少々度を超えている。それでも男が門番に不要な警戒心を与えず問題なく市街に入れたのは、ひとえに前髪がその鋭すぎる瞳を覆っていたからだろう。髪の色は完全に燃え尽きた灰のような色であるにも関わらず、ときおり何故か真っ黒な炭のようにも見える、不思議な色合いであったため、その奥に宿る瞳まで門番たちも目がいかなかったのかもしれない。実際人相を確認することこそが彼らの重要な仕事の一つであるにも関わらず。もしくは出で立ち自体は傭兵のそれと酷似しているため、見慣れてしまっているのかもしれない。現在この街はそういった人種が多くあふれているのだから。
青年は先ほど門番から聞いた斡旋所の方向に足を進めた。現在この街、というよりこの国は内乱に突入しており、この街は反乱軍の拠点として常時傭兵を募っている。このヴィジクスという国は、大西洋と北海を分け隔てるように存在する大きな島の南方に位置する国であり、統治体制としては貴族政と官僚制の悪いところを煮詰めたような酷い状況にある。大半の場合統治体制が長く硬直的になった場合内側から腐敗するが、この国も例に漏れず、中々な発酵度合いとなっている。一方で、そんな支配者階級の腐敗を機会ととらえ、強かに成り上がるものも多く出てきており、そういった者は「騎紳」と呼ばれ、現在この国の経済は彼らを中心に回るようになっている。当然と言えば当然である。領民のことを一顧だにしない貴族より、労働に従事する限り「人」として扱う騎紳とでは、使われる人間から見た印象が天と地ほども差があり、そのため多くの領民が騎紳を選んだ。結果元々貴族が得ていた税収は騎紳に集まり、権威を振りかざすだけの貴族に対して騎紳は納税などしない。当然の帰結として、経済を回し、よりお金を多く持つ騎紳の方が、貴族より強い発言権を持つようになっていった。勿論一部の貴族はこの流れに対応し、騎紳とうまく付き合うことで自身の領地を富ませることができていたが、大半の貴族は肥大化した矜持を持つが故に、八つ当たりともいえる不満をただ募らせていった。そして最終的には困窮した王室が発した、騎紳と教会へ課税のみを行う税収改革が引き金となって、現在まで続く内乱が勃発した。
そんな内乱中ではあるが、勿論年中毎日戦っている訳ではない。もはや内乱というより戦争に近い規模ではあるが、だからこそ軍隊は簡単に動けない。そのため内乱中とはいえそこまで市街は荒れておらず、傭兵が集まるので治安は悪くなる場所さえあれど、多くの民衆は問題なく生活ができていた。
青年は、そんな「治安が悪くなる場所」である斡旋所を目指して歩いていた。青年は自分を傭兵だとは思っていないが、目的を達するには傭兵として振舞った方が早いのである。斡旋所は門から近い位置にあり、斡旋所とは銘打っているものの、ただ屋根をつけただけのテントにも似たような見た目である。決して人通りの少ない場所ではないにも関わらず、また狭い区画ではないにも関わらず、斡旋所はひどく閑散としていた。だからだろうか、傭兵の出で立ちをした見慣れぬ青年が入ってきたことは非常に目についた。
「こんにちは。斡旋所へようこそ。反乱軍への参加登録でよいでしょうか」
斡旋所で受付を担当していると思われる女が、青年に話しかけた。荒くれ者が多い傭兵の斡旋所にしては、やたら清潔感と品のある妙齢の女性だ。青年は少々不審に思いながらも、用件を済ますことにした。
「ああ。傭兵として登録してほしい。名はジルヴァ、槍遣いだ。傭兵団には所属していない。登録するのは俺1人だけだ。」
「有難うございます。槍遣いとのことですが、失礼ながら武器はお持ちでないように見受けられます。貸与をご希望ですか?」
槍遣いと言いながら、見た目片手剣しか持っていないジルヴァの出で立ちを疑問に思ったのだろう。だが、
「問題ない。槍ならここにある」
先ほどまで徒手空拳だったジルヴァの右手には、まるでそこだけ景色を切り取って塗り潰したかのような、深淵のごとき色合いの大槍が握られていた。
「-え?」
突然目の前に現れた異様な大槍に受付の女性は目と心を奪われた。と、同時に、このような芸当が可能な技能にすぐに思い当たった。
「-魔術、ですか?ですが、物体をしまったりできるような魔術は、それこそ本職の魔術師でないと扱えないはず・・・」
「これは魔術というより呪いだ。いや、呪いと言い切ってしまうのはさすがに不敬か。だが、槍があることはわかっただろう。どこから出そうが問題はないと思うが」
「・・・確かに、そうですね。登録証をお渡ししますので、少々お待ちください」
受付の女性からすれば、そんな簡単な話ではない。武器を好きに隠したまま市街を歩かれるのだ。先ほどの振舞の自然さをみれば、武器を預かったところで好きなとき、好きな場所で手元に戻せる可能性が高い。仮にこの傭兵が王国軍側の人間だった場合、それは非常に脅威となる。だが一方で、現在近辺の戦場を考慮したとき、王国軍側がそこまでする必要がないのと同時に、反乱軍側は少しでも戦力が欲しい状況でもある。もし、仮に、という根拠のない疑いで、魔術が使える貴重な傭兵を手放すのは愚策のように、受付の女性には思えた。そのためここは不安や警戒心は一旦置いておいて、傭兵としての登録だけは先に済ませることにした。
「こちらが傭兵の登録証になります。登録に際して、こちらに血で拇印を押していただければと思います。」
「魔術的な割符なのか?随分と手が込んでいるな」
「傭兵の方との報酬のやり取りでは、諍いが起きることはしょっちゅうです。そのため当領では登録した方にしか報酬を支払わないこととされております。幸いにも当領の領主様はこういったことに理解のある方なので、費用を出していただけております。この登録証は決して他人に渡したり、なくしたりしないようにお願いします」
ジルヴァは受付の女性の話に頷き、登録証をしまいながら、気になっていたことを訊くこととした。
「斡旋所にしては傭兵が少ないようだが、大半の傭兵はもう登録が済んでいるのか?こちらの方で戦いがある、という話が流れてから、まだそこまで時間は経っていないように思ったが」
「・・・ご存知のように、近々王国軍との戦端が近くで開かれる予定です。規模こそ大きくはないですが、おそらく小競り合いでは済まないかと思います。」
受付の女性はそこで一旦呼吸をおいてから、続きを話した。
「ご説明しないのは不義理にもなりますのでお話いたしますが、その戦場において王国軍から英雄が派遣される、と言われております。勿論王国軍が流したデマの可能性もありますが、現状英雄の多くは王国軍に所属しておりますので、デマだと決めつけることもできません。」
受付の女性はそういって口を閉ざした。