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聖剣と魔女のミュトロジア  作者: 八雲 辰毘古
第一章 旅立ち
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第6話 うつむく眼

 ふたごは驚愕(きょうがく)していた。なんで、という声まで漏れた。


 いにしえの時代ならともかく、いまとなっては竜は大型魔獣の一種だった。(うろこ)を帯びた()(ちゅう)(るい)のような種から羽毛を持つ種まで、そのすがたかたちが似ていることを指して〝竜〟とくくられている。

 この生物は、基本的には知能は低い。ほかの特徴としては、可燃性のガスや毒液を収める袋を内臓として持ち、飛べるかどうかさておき(つばさ)の類いを骨格として有する。


 ところが古代種と呼ばれるごく一部の竜は別格だった。


 まず知能がある。言語を理解し、魔法の力を我がものとする。

 おまけに不老長寿で、飛行能力を持ち、あまつさえ凶暴だった。


 黒竜は、まさにその古代種の生き残りだ。


 さながらおとぎ話で妖精の国を蹂躙(じゅうりん)した、恐るべき怪物そのもの。

 ふたごもその存在が実在するとは聞いていたものの、実物を見るのは初めてだった。

 だが、紛れもなくそれは聞かされた通りの存在だった。見間違いようがなかった。


 動悸(どうき)がする。視界が揺らぐ。

 黒竜はこちらに気づいてない。

 だが時間の問題だった。

 大きく凝視している眼は、樹々の陰の奥底まで見透かすように、探りを入れている。


 けだものの瞳ではない。

 むしろヒトの残忍な目つきに近しい。


 ルゥは怯えた。しかしリナは──


 リナは。


「デォルグ」


 憎々しげに呼んだ、その音は名前だ。そしてリナの声に反応したのは、黒竜だった。

 眼が、瞳孔がこちらにゆっくりと焦点を合わせる。


 目を丸くした。そう言っていいほどの感情の機微が、そこにはあった。


〝ほう。騎士と魔女の娘か〟


 竜の頭部に生えている角がかすかにきらめき、思念が直接響いてくる。さながら玻璃(はり)の器に爪を立てて音を鳴らすようなもの。精神を容器に見立てるなら、ルゥにはそれが耳に障るほど甲高く、不快な音として、内側へ乱反射するのを感じ取った。

 リナだって、実際には耳を抑えたいほどだった。苦痛に顔を歪めている。しかしそれに抗ってなお、怒りの感情があふれていた。


 なぜだろう。

 ルゥはかえって冷静だった。


〝なぜここに来たのかね。ここにはもう、なにも残ってないのだぞ〟

「くそっ、黙れッ」


 と徒手空拳で殴りかからんばかり。


 だが黒竜は一顧だにせず、急に両の翼を拡げ、全身から突風を巻き起こした。

 翼はむやみに羽ばたかせない。ゆっくりと天と地の均衡を切り刻むように、優雅かつ破壊的な音で、空気を破り捨てた。


 ふたごは吹き飛ばされないようにするので精いっぱいだった。

 近くにあった枝に手でつかまり、体重ごと持っていかれそうな身体を固定する。リナはルゥのローブをつかみ、ぐいと引っ張る。そのまま手をにぎりなおし、引き寄せた。


「絶対離すな!」

「うんッ」


 だがルゥにはその握られた手首が痛くて仕方なかった。


 限界はすぐにやってきた。

 枝が、折れたのだ。


 すり抜けた指が、空中をまさぐる。

 左手は決して離さない。これがふたごの──唯一無二の家族との絆だから。


 とはいえ。


 子供ひとり分、重くないわけがない。自身の体重を支えるだけならへっちゃらなリナとても、ルゥの身体を離さずに保たせるのは至難の業だった。

 右手を伸ばす。何かをつかむ。心許ない。それでも良い。とにかく、にぎる。今度こそは離すまいと、力を入れる。


(あの時、手を離しさえしなければ──)


 訳もなくこんなことを思った。

 なぜそう思ったのか。

 何がリナにその想いを抱かせたのか……

 それは一瞬のことだった。

 だからあっという間に通り過ぎた。


 ぱりん、と何かが割れる音がした。つぶったまぶたにも刺すような強い光が差し込む。青く柔らかい光が、けたたましく吹き荒れ、それから身を包むを感じた。

 悲鳴にも似た竜の咆哮が、降り注いだ。土砂降りのように重くのしかかる。


 とたんに風が止んだ。

 宙に放り出される。

 つかのまの無重力が、夢のなかで見た何かを連想した。


 何だったのだろう。

 それをもう一度手に取りたかった。

 確かめたかった。

 失くしたくなかった。


 けれどもそれはほんのわずか、だれかのドレスの裾をつかみ損ねるかのように。

 かすかな匂い──甘い花の薫りだけを手のひらに残したのだった。


「──父さん。ごめん」


 リナが地に伏して、口にした言葉。


「……え?」


 だがルゥはその真意を知る間すら、与えてもらえなかった。

 重たい水袋をふたつ、地面に叩きつけるような音が響いた。牙が()み合う音と、鋭い()音とが空気を振動させる。


 見る。


 ルゥはその魔獣の名を知っていた。

 リュウノコケラ。コザネドクムシ科の一種で、竜の表皮に寄生している蟲だ。肉食で、ヒトを(おそ)うとされている。


 竜が脅威なのは、その強靭(きょうじん)な生命力や、一領国の兵士を束にしてもやすやすと蹴散らさられる圧倒的な力だけではない。

 一挙手一投足にいたるしぐさが周囲の事物を破壊する巨体──そこに住まう無数の蟲に、その蟲たちを餌にする小型魔獣、竜の破壊の痕から屍肉を漁る中型魔獣。などなど。続々と類属を惹きつけるその特性だ。


 もはや──

 竜自体が一個の生態系なのだ。


 竜が通り過ぎる。それだけで城市(まち)がひとつ滅びる。そんな話は、決してホラ話でもウソでもないのである。


 ふたごが直面したのは、まさにその恐怖の片鱗、先触れにすぎない。


 ガチガチと鳴らされた細長い牙は、子供の血肉を平気で噛みちぎるだろう。

 ブルブルと振動するその(はね)は、いざ背を向けて走っても容易に追いつくことだろう。


 ルゥは初めて恐怖に身がすくんだ。ヒトを襲い、殺す魔獣に遭うのは初めてだ。


 仮に。


 いくら魔獣図鑑のかたちで存在を知らされたとしても。

 いくらその原理と生態を知識として理解できたとしても。


 その恐怖は、目の当たりにしてようやく実感し記憶に刻み付けられる。あらゆる冷静さを振りほどいて、逃げ出したいという本能を目覚めさせるには充分すぎるほどだった。


「リナ……」


 ようやく口を開いた。

 唯一頼れる、でも、かよわい味方。

 その存在の名を呼ぶ。


「リナッ!」


 呼ばれて、我に返った。ハッと息を呑む。まるで瞬間的に緊張を()み込んだかのように、首がさがり、鋭く前方を視認する。

 青い()が、()い目のほつれた世界をついにとらえた。


 焦点が合う。

 目に輝きが戻る。


 そして。


「ちきしょう、なんだってんだよ」


 口走った言葉とともに、右手に握ったものを見る。

 それは剣だった。黒と黄金の柄。(つる)模様を刻んだ十字(つば)、それから古代文字を刻んだとおぼしき剣の刃の部分の溝──


 いつのまに? どこから?

 疑問は絶えない。

 だが、ふしぎとよく手に馴染んだ。

 構える。すると。


〝なってないな。ほら〟


 リナの肩越しに声が聞こえた気がした。思い出のなかから追いかけてくる、遠く懐かしい声だった。何度も厳しく言い聞かされ、何度も優しく手ほどきを受けてきた。

 剣の構え方。その握り方。肩を上げすぎるな。身体の軸を揺らすな。足はいつでも飛び出せるようにしておくこと。


 全てを言葉にするよりも前に、リナの身体が実現してくれた。


 これが。

 生き残る手段。

 現実と戦う術。

 そして、彼女が望んだ道。


「無茶だ」


 ルゥは尻込んだ。

 だがリナは、決して臆さない。


 リュウノコケラが飛び出したのは、瞬きひとつの時間だけで事足りた。

 すかさず組打つように刃が一閃、後から翅音がブーンと過ぎっていった。


 リナの背後に分裂しながら落下するのは、すでに切断された蟲の亡き骸そのもの。


 続けざまに刃を振り向け、もう一体に踊りかかる。これを迎えてリュウノコケラが威嚇(いかく)の翅を拡げるが、むしろそれが仇となる。

 袈裟(けさ)()けに、翅ごと斬る。すっぱり切り取られたその有り様は、むしろ滑稽だった。


 瘴気(しょうき)の血煙が上がる、その場を少し退いてから、ふたごはようやく胸を撫で下ろす。


「いまのは、なんだったの?」とルゥ

「わかんね」

「わからないって」

「気がついたら身体が動いてた。で、これが使えるって思ったんだよな」


 右手の剣を見る。


「そもそもなんでこんなものが出てきたんだ? あそこから出てきたようにも見えねーし」


 碑を見る。


「それこそ、わかんないよ」

「だろ?」


 そして、ルゥを見る。


 まっすぐな青い瞳。ふたごの姉の、そっくりな色味。青空の深みに飛び込むような。そんな輝きが、そこにはあった。

 だがルゥはちょっと後ろめたい気持ちがよぎって、ついにうつむいてしまった。


 リナは笑った。ひじで小突く。


「なんだよ」

「なんでもないよ」

「いやなんかあンだろ」

「なんだっていいじゃない」


 ルゥはリナを押しのけた。その力の強さに、かれ自身、自分でも驚いてしまった。


「……そういえばさ」


 リナは、それでもルゥの気持ちの奥にある揺れ動きには鈍感だった。


「さっき夢でも見るみたいに、父さんの声がしたんだ」


 さながら自分自身に言い聞かせるように、続ける。


「あれは間違いなく……父さんの声だったと思う。剣の使い方だったんだ。いきなり思い出して、気がついたら戦えた」

「てことは、なに? お父さんがリナに戦い方を教えたってことなの?」

「たぶん、そうだと思う」

「たぶんって」

「だめなんだ。全然ちゃんと思い出せない。けど、さっきデォルグが……」

「それだよ。なんでリナがあの竜の名前を知ってるの? それに、騎士と魔女の娘って言ってた。あれはなに?」

「それがわかったら苦労しねえっての」


 頭をくしゃくしゃと掻く。


「とにかく! あの竜が父さんがいなくなった理由と関係あるはずなんだ。アタシが憶えてるってことは、相当ヤバいことが起こったってことだと思うから」

「自分でそれを言っちゃうんだ」

「だってもう、アタシたちがどうこうできる段階を通り越してる。小さいことに構ってられるかよ」

「まあ、そうだけど──」


 ルゥは言いかけて、我に返った。


「そうだ! 村に帰らなきゃ!」


 口にしたそのとたん、彼らの頭上はるか彼方に無数の翅音が重なって、降り注いだ。

 見上げる。

 岩壁の隙間から、影が差し込む。

 目を凝らす。

 そして、目を疑った。

 青空が消えていたのだ。代わりにあるのは、先ほど目の当たりにしたリュウノコケラが群になって飛び立つ、その景色だった。

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