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聖剣と魔女のミュトロジア  作者: 八雲 辰毘古
第五章 竜殺しの英雄
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第1話 暗雲、たれこめて

 タリムの夜明けは次第に暗くなっていた。日に日に日没が早くなり、あけぼのの輝きがひたすら恋しいほどの寒さで(ふる)える。夜が長くなり、くらやみは深く厳しい。

 竜殺しの密使が城市(まち)を出てから、すでに三日ほどが経っている。その間戦線の拡大は続いていた。もちろん勝って戻ってこれればそれに越したことはない。しかし失敗したとしても、いや成功したとしても、界嘯(かいしょう)によって産み落とされた大量の魔獣を駆逐する掃討作戦が必要だった。兵力の増強は必至だったのだ。


 モレド・カヴァーナは東の防護柵越しに、雪でも降りそうな曇天を見上げた。


「不安かね」


 振り向くと、フェール辺境伯自身が立っていた。それでようやく肩の力が抜けた。


「あなたも人が悪い。わざわざ味方を脅かすことはないでしょう」

「べつに気配を隠していたつもりはないのだがね」

「ふつう、司令官というのは後ろでどっかり座っているもんです。あなたという人は、最初から最後まで現場に立って、あまつさえ自分で地面を振り返すようなひとだ。部下としては困ったものですね」


 辺境伯は笑った。無邪気な少年のような笑顔だった。


「だが、辺境を治めるというのはこういうものだと父から教わったものでな。習性が抜けんのだ。もともと私は世継ぎとして生まれたわけでもない。許してくれ」

「まったく。しかしおかげで私のようなやさぐれた人間にも居場所があるってものです。ところで先代の命日がお近いのでしたか」

「そうだな。あさってか、しあさってだったはずだが」


 フェール辺境伯は遠くを見た。


「モレド、おまえには苦労をかける」

「いいえ。私のような粗忽ものには中央の政はわかりかねます。その点、こちらのほうがうんと楽ですよ」

「そのことだけじゃない。シュヴィリエールやアデリナのことだ。きみが()()に良い思いを持っていないことを、私はちゃんと知っている」

「…………」


 よしましょうよ、きな臭い話は──そういうこともできた。

 しかしモレドは黙っていた。否定するつもりはさらさらなかった。辺境伯はその面持ちを認めると、自分の明察を自慢するかのように微笑んだ。


「きみはどうも、昔気質だね」

「あなたも人のことは言えますまい」

「だが、そうも言ってられんだろう。良い才覚と意志がある。それは適切な場所で、適切に発揮されるべきじゃないかね」

「お言葉ですが。私はそういうつまらないことにこだわっているつもりはないのです」

「ほう」


 辺境伯のけげんな顔に、勇気を持ってモレドは口を開いた。


「われわれは名誉ある戦士です。しかし表向き〈女神の平和〉をうたっておきながら、戦士にはれっきとした死の任務が存在し、それがいまなお名誉とともに戦われ続けている。われらはもちろん、守るべきもののために戦います。しかし、根本を正せば戦わなくて済む世界でなくてはならないはずです。それを誤魔化したまま、名誉ある戦士にあこがれ、命を捧げようとする若人を見るのは堪えられんのですよ」


 言うだけ言って、俯いた。モレドが抱えている疑問は、口にするだけでも鼻で嗤われるような内容だった。

 現に魔獣がいて、魔女がいる。界嘯があって、理不尽がある。このような世界のなかで、戦わないということが在り得るのか? モレドの疑問は究極そういうことだった。


 フェール辺境伯は決して笑うつもりはなかった。ただ質問が見据えている規模の大きさに圧倒され、言葉を失っただけだ。だがふと我に返ると、あらためて言葉を紡ぐ。


「むろんそうだが、しかし魔獣や魔女がいない世界というのは、戦わなくて良い世界なのかね?」


 今度はモレドが押し黙る番だった。


「どうも私は、〝この世の不幸や不条理になにか理由や原因があって、それさえ正せば無辜(むこ)臣民(たみくさ)に豊かな暮らしを与えてやれる〟というようなものの考え方が得意ではないな。そういうふうに考えることもできるだろう。魔術がそういうふうにものを考えるから、ついきっと魔術師ではない私たちも、そういうふうに何か考えることができると思い込んでいるだけなのかもしれん。だが、われわれは魔術師ではない。魔術師ではないんだよ。そのことをもう一度、考え直してみてくれ」


 ここまで言って、フェール辺境伯はため息を吐いた。


「彼女たちが戦うことを選択したのは、もちろん戦いが必要で、彼女たちに意味があるからだ。それはわれわれの生きている時代がそうさせたのかもしれないし、われわれとは関係ないところでそうせざるを得ないからかもしれない。しかし戦うことを奪うことはできないよ。それは生き抜くことを否定することじゃないか」


 風が吹いていた。そのなかに、生暖かいものが含まれているのを察知して、辺境伯は眉をしかめる。しかしあえて最後まで言い切ることにした。


「いまに彼女たちは先駆者になる。女が騎士になってはならぬとは聖典のどこにも書かれていないはずだからな。そのときにゆっくりと何かが変わっていくだろう。あるいは、それでも変わらないなにかがあるのだろう。私は領主だ。ひとりでも多く臣民を生き延びさせることを支持する」

「お考えは……わかりました」


 モレドは無精髭をさすった。つまらない意地を張ったものかと呆れもしたが……かれは防衛戦線を構築する投石機や大型弩砲を見つめていた。

 そのとき、フェール辺境伯の表情が変化した。その目は曇天の彼方にある──何かを見据えている。


「モレド」

「わかってます。辺境伯は指揮を」


 うなずく。フェール辺境伯は踵を返した。その背中越しには、月狼(マナガルム)の群れをはじめとした無数の魔獣が行進しているさまが見えたのだった。


「全員配置につけ! やつらの第二撃が来るぞ!」


 夜明けをめぐる戦いが、始まる──



     †



 ふたごは眼の前で起こっていることが信じられなかった。


〝母……さん〟

〝お母、さん〟


 同時に呟いた。それがあまりに息ぴったりだったので、魔女エスタルーレは微苦笑を浮かべた。


〝わたしがいなくなってから、ちょっとは成長したのかと思ったけど、全然変わんないのね、ふたりとも〟


 アデリナはとっさに何かを言おうとした。ルートも何かを話したかった。けれども何を言うべきか、ふたりともわからなかった。

 急に、ふたりは自分の言葉が泡のように儚いものと直感した。きっと何を発しても、意味をなさないだろう。ただの音。それだけに過ぎないのだ。


 しかも──ふたりは決して、のんびりなどしていられない状況だった。


〝……貴様は〟


 魔王オールドーは不機嫌な音を発した。


〝保護者です。子どもたちを変な道に誘わないでくれるかしら〟


 ツヤのある黒髪が首とともに傾げた。

 さらりと落ちる髪。

 鋭く心の底を見抜くような青い瞳。

 勝ち気で、獰猛で、知的でもある。


 どんなにたくさんの言葉でも、彼女を言い表すことは出来ないだろう。魔女は、まさに存在感そのものだった。

 彼女は大胆に歩み寄ると、ルートの肩に置かれた魔王の手を払い除けた。その動作はあっけなく行われたが、むしろそれが魔王の驚愕の的になっていた。


〝なぜだ……お前は何者だ〟

〝あててごらんよ〟

〝ええい──〟


 魔王は〈ムの場所〉では自在にすがたかたちを変えた。立っているときはひとの影のようであり、憤怒に燃えるときは猛獣のようでもあった。たちまちにしてそのあらわれは四つ脚のけものとなり、舌を出すように火炎を吹いている。

 しかし魔女エスタルーレは涼しげな様子で火の前に立っていた。


炎よ、とまれアダムハシプラ・フレイア


 すると、まるで炎が凍りついたかのようにそれは凝固した。


 けものは眼を瞠る。


〝まことの言葉……〟

〝一回魔術の王に変身術がどこまで通じるか試してみたかったんだよね〟


 そう言って、エスタルーレは指を鳴らした。ぱちんと鳴ったその指先が羽になり、両腕が翼になった。翼は大空をはばたき、魔女は〈沈黙の地〉を舞う大きな鳥に変化した。

 オールドーは負けじとけものの背中に翼を生やして対抗した。


 ふたごは呆然として、世界樹の根からふたつの影が飛び出すのを見ていた。だが、しばらくしてルートが我に返ると、地に伏していたマグダレーナの元に駆け寄った。


〝マグダレーナさん、無事ですか〟

〝…………〟


 驚くべきことに、息はあった。

 魔女は首の傷を手で抑えながら、声にならない声で何かを喋ろうとしている。しかしふたりにはそれが聞き取れない。


 突然、魔女マグダレーナは根の外の世界を指さした。


〝逃げなさい〟


 それだけが、はっきりと聞こえた。

 ルートはそんな、と言いかけた。

 しかしアデリナは状況を理解した。


〝いくぞ〟

〝でも〟

〝わかんないのか。母さんだって死んだようなものだ。この世界で生きているのはアタシたちだけなんだ〟

〝そんな、言い方──〟

〝言い方?〟


 アデリナは()()となった。


〝母さんとの思い出にとらわれるな〟


 びくっとした。図星を突かれて、その言葉になによりも鋭いところを刺されて。


〝アタシが父さんにこだわっちゃいけなかったように。お前も母さんにいつまでもしがみついてちゃいけないんだよ〟


 ルートは泣きたい気持ちになった。顔がくしゃくしゃになる。アデリナはイライラした。その気持ちが痛いほどわかったのだ。時と場所が良ければそれでもよかっただろう。しかしそうではないのだ。

 そして、緊急の場合──しっかりしなきゃいけないのは、アデリナの方だった。


 アデリナはルートの手を取った。

 そして魔女の指さした方へと駆け出す。


 来た道を戻るだけ──それだけの道のりが、ありえないほどの距離に感じた。


 世界樹の根をくぐり抜け、上り坂を進み、〈沈黙の地〉の表面にふたたび舞い戻る。そこは相変わらずの闇の世界だった。空は輝きを失い、魔獣の気配すら漂う。花の薫りだけがふたりを包んで、かろうじて自分たちが生きていることを自覚する。

 とたんにアデリナは息が苦しくなった。肺が締め付けられるような感じ──いったいこれはなんだ。まるで自分が自分でなくなるような……


 がっくりと膝をつく。

 今度はルートがアデリナを揺さぶる。


〝リナ、リナ……!〟


 アデリナは言葉を失っていた。

 意味を発していた口からも、いまやふたたび泡ばかりがボコボコと音を立ててあふれている。おまけに彼女の周囲だけ地面が水のように溶けていた。底なし沼の表面に踏み入れたかのように、ふたごは身体が沈んでいるさまを目の当たりにしていた。


〝そんな……こんな、こんなことが〟


 ルートはいままでこの地に来て、戻るときに上昇していた。

 それは死後の世界としての〈沈黙の地〉が地下にあるものだと思っていたからだ。


 第一、墓は地面を掘り下げて、遺体は穴に埋めるものだった。

 だから、〈沈黙の地〉から出るときは上に向かっていくものと思い込んでいた。


 しかし──アデリナにとって、それはどうだったのだろう?


(リナは何度もこの場所に来ていた……でもそのことを憶えていなかった。それはきっと〈忘れの河〉の水を呑んだからだと言っていたけど、まさか)


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ルートは沈みゆくふたごの姉を抱きながら、その落ちていく先に向かって青い瞳を凝らしていた。深い湖の底のような青が、真実を見つけたのだ。

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