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聖剣と魔女のミュトロジア  作者: 八雲 辰毘古
第四章 過去と思索
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第8話 本当に失われたもの

〝死んでない〟その表現の仕方に、アデリナは妙な引っ掛かりを覚えた。


 質問に答えてないのでは? と思った。

 その疑問はもっともだ、とマグダレーナは微笑んだ。


〝矛盾しないのです。伝説と同じです。たしかにアスケイロンが邪竜ユーベルを倒し、叙事詩圏世界の平和の礎を築くきっかけをつくりました。しかし、その物語には脚色があります。竜はそのとき死んでいなかった。そしてついに、死なずに生き延び続けていたのですよ〟

〝生きてたのに、何もしなかった?〟

〝そういうことです。いうなれば、いまのあなたと同じ。その霊魂をここ〈沈黙(もだし)の地〉に逃していたのでしょう。肉体は大地に埋もれ、けものが冬眠をするように、深い眠りに落ちていた──〟


 マグダレーナはそれでようやく思い出した、というふうに話を続けた。


〝あなたがたは、竜属と古代種のほんとうの違いを知っていますか?〟

〝いいえ〟

〝まあそうでしょうね。古代種というのは、もとは人間なのですよ〟


 ふたごは互いに顔を見合わせた。


〝古代魔法文明では「魔法使い」と呼ばれた人間が多数いました。われわれが「魔術師」と呼ぶものとはかなり異なります。かれらは現代のような魔術体系が成立するまえに、直観によってその場所を把握し、精霊と言葉を通わせることができました。そのため、何をしても絶大な力を発揮したのです〟


 マグダレーナはため息を吐いた。


〝ですが、魔法使いはよく利用されました。そのため幾人かの魔法使いは、国や権力者の拘束を嫌って自らをヒトならざるものへと変身し、二度とヒトに戻らなかった。中でも最も恐ろしい存在だったのが古代種の竜です。かれらは自らが想像しうるもっとも強く頑強な怪物に身をやつしました。ゆえに、古代種の竜は魔法を用いますし、自身も魔法によって生きていますから、わたしと同様、不老長寿に生きながらえてきたわけです〟

〝ってことは、デォルグは……〟

〝もうその呼び名はやめましょう。かれはユーベルです〟


 魔女は金目銀目(ヘテロクロミア)のまなざしでふたごを交互に見た。


〝ここ〈ムの場所〉は──言うなれば霊魂を持つものがすべてつながりを持つ壮大な場所です。そのうち〈沈黙(もだし)の地〉と呼びうるこの領域は、人間の死とその記憶が生み出す巨大な構造を指します。仮にひとりの人間が死んだとしても、その係累はその人物のことを憶えています。だれかが憶えている限り、その《記憶》は生き続けるのです〟


 しかし、と彼女は続けた。


〝しかしヒトは忘れる生き物です。せっかく先人の知恵があっても、それを記憶した人間が全滅したら永遠に消えてしまいます。思い出す()()()が必要なのです。だから人類はその文明を築くにあたって《記憶》の作り方を学びました。歌、物語、紙、石碑、書物……あらゆる表現が、媒体がそこにあり、あらゆる筆記具が、《記憶》を次の世に送り出すために手掛けられました。わたしたちが生きている世界とは、過去ありとあらゆる人間が名付けた言葉をなぞり、もう一度()()を思い出すことによって互いに了解しあうよう、約束された世界なのです〟


 ルートはこの壮大な物語についていける数少ない人間のひとりだった。


〝マグダレーナさん。でも、そんなにたくさんのことを、ボクたちは憶えていられないし、知ることは難しいと思うよ〟

〝ええ。そうでしょうね。いま話したことのすべてを、伝わると思っているわけではありません。それは必ずかたちを変えて、なにかちがうものになってしまう……わたしたちは、後の世のなかになにかを遺したいと思っていても、叶わないのです。なぜなら……〟

〝……『結果的に何が後世に残るのかを決定するのは、われわれだけじゃない』〟


 アデリナがおもむろに放った言葉に、魔女は驚きながらもうなずいた。


〝わたしたちはそれを〈忘れの河〉と呼び、死者が次の世に赴くときに必ず通過する場所として、()()を記憶しました。それは物語となって、叙事詩圏世界にも語り継がれていますが、もとは魔法文明が『死後の世界』を考えたときの名残でもあります〟


 聖なる伝承(いいつたえ)にいわく──


 死者の日に〈忘れじの花〉を流れに乗せよ。水面(みなも)がその白き花片(はなびら)にて(うず)もれ、〈沈黙(もだし)の地〉へ続く飛び石となるように。さすれば()の地に旅立つ霊魂(みたま)たちが、ふるさとを(おも)い出すだろう。花は〈忘れの河〉に架ける橋に他ならない。その水にくるぶしを浸すことなく、彼らが河を渡らんがため。

 

 教導会の名のある神学者は、〈忘れの河〉が人間の輪廻転生(うまれかわり)をうながすための場所である、と考察していた。

 一説によると前世のけがれを落とすため、またある説に基づくと来世への渇望がその水を欲すると言われている。しかしこの河の水は、死者のたましいが生者の世界を(おとな)うことを例外なく妨げた。生きているものしかこの河を渡ることができないというのが、この伝承の残す要点なのである。


 では、生者のたましいが死者の世界を(おとな)うことに関しては?


〝ヒトは二度死ぬと言われます。ひとつは肉体が滅んだとき。そしてもうひとつはみなの《記憶》から消え去ったときです。しかし、二度死ななければ完全に消滅しないというのなら、その順序はどっちが先でも大差ありません。その盲点を突いたのがユーベルだった。かれはアスケイロンに殺されかけたとき、どういう機転によってかはわかりませんが、とっさに《記憶》から誤った事実が定着するのを待っていた〟

〝……まってくれ〟


 魔女と少年は、アデリナを見た。

 当の本人は、あることに思い至った。


〝もしかして、黒竜の復活は完全じゃないんじゃないのか?〟

〝どうして、そう思うのです?〟


 アデリナは、メリッサ村で見た異端:青空派の祭壇のことを語った。

 及びヘルマン司祭のことを。

 ルートは目を瞠った。


〝まってよ。それじゃあ──〟

〝黒竜を目覚めさせたのはヘルマン司祭だ。それがいつなのかはわからないけど、たぶん最近のことじゃないかと思う。だって、あの山はアタシと父さんが()()()()()()()()()()()()()()()()()から、異変があったらすぐに気づくと思うんだ〟


 アデリナの脳裡でカツーン、カツーンと火打ち石を叩くような音がする。

 それはいつもの幻聴のようなものだった。

 しかし、ふだんとちがうのは、その音の意味がいまのアデリナにはよくわかっている、ということだった。


 ルートはふたごの姉の確信した面持ちに、素早く感づいた。


〝リナ、もしかして〟

〝いいよ、もう。いつかはちゃんと思い出さないといけなかったことなんだ〟


 アデリナは急に俯いた。

 だが、意を決してもう一度顔を上げる。


〝父さんは──あの場所で死んだ。アタシを守って。アタシはそれを思い出したくなかったんだ。だから《水》を呑んだんだよ〟



     †



 火炎が何度も中空を横切った。シュヴィリエールは必死に石の陰に隠れて、直撃を免れていたが、この火勢を叩きつけられてはたまらない。熱が周囲の草を蒸発させる。蒸し焼きにされてしまいそうだった。


 この火炎が物理的なものであれば──つまり竜属固有の可燃性のガスに基づくものならば、息継ぎをする瞬間を狙うのが好機だ。

 しかし、いっこうに火炎は切れない。

 ふつうの生き物が吐きうる息をはるかに凌駕して火炎放射が続いている。


 おかげで森のなかにあるその廃墟は、いわば密室の熱溜まりだった。


 出口はすでに破壊され、塞がれている。

 せいぜい後続の騎士たちが巻き込まれていないことを祈るばかりだ。


 だが、他人を思う気持ちも起こらないくらい、彼女は危機に瀕している。

 シュヴィリエールは思いつく限りの悪態を脳裡に浮かべながら、そこにいるであろう黒竜のすがたを思い浮かべる。


 報告に拠ると──竜は古代種で鱗の色は黒。飛翔するための翼を有し、高さは九(ひろ)(※十六メートル強に相当)ほど。

 両翼を拡げたときの幅はきっと十六ぐらいで尾を含んだ全長は推定十二。


 使用する魔術の類いは、現状見る限りは火炎などを駆使する。元素分類としてはありふれたものだが、単純である分、強い。

 古来魔獣は火の明るみを嫌う。魔獣の本来の性質が(めい)──暗がりや影に属するものだからだ。それは下に向かい、事物を冷たく、死の方向に位置づけられている。


 ところが、ごくまれに例外がある。

 竜属がそれだった。

 特に古代種の竜は飛翔し、火炎を自在に扱う。つまり闇を恐れず、熱にも強い。


 原則の通じない肉弾戦──それが竜属との戦いなのだった。


 もう限界だ、とシュヴィリエールは考えた。まず図体で敵わない。剣で戦うことも、近寄ることも、魔術に対抗する術も持たない。

 単独で対峙すればまちがいなく死だった。

 それでもいまの瞬間まで生存しているのは、シュヴィリエールがとっさの判断で「ただ逃げる」ことに徹したからだ。


 もう傷つけるとか、一矢報いるなどということは考えなかった。

 まず死なないこと。そのうえで敵との正しい間合いを詰め直すこと。


 めまぐるしく考えるうちに、唐突に火炎が止まった。

 汗だくになり、気管すらもやけどしそうななか、シュヴィリエールはぜえぜえと息を切らしていた。いまが好機だというのに動けない。息継ぎができないのは自分のほうだ。焦る。心臓が冷える。


〝小娘〟竜の思念が語りかけた。


 シュヴィリエールは黙ったまま応えない。


〝そこにいるのはわかっている。もう逃げ場も逃げる力もなかろう。顔を見せろ〟


 少しためらいがあった。

 しかし、時間稼ぎが必要だった。

 物陰から出る。

 剣は提げたまま、両手を上げる。


 黒竜がいた。


 全身黒──そのように見えながら、暗がりの空の下でも独特な光の反射を受けて存在感があった。まるで闇そのものが実体を得て、彫刻されたかのような印象を受ける。

 その中で鱗がゾワッと逆立つと、わずかな星の光を乱反射して身の毛がよだつほどの妖しい輝きを放つ。まるで自分は隠れる必要がないのだと高らかに宣言するかのように、それはそこに存在していた。


 赤い眼が、まるでほくそ笑むように細くなった。


〝やはり血は争えないな〟


 この独り言に、シュヴィリエールは目を細めた。


〝アスケイロンの一族に子があり、それが子々孫々〈竜殺しの英雄〉を名乗っていたことは風のうわさで聞いていた。滑稽なことだ。当の竜は殺されていないというのにな〟


 騎士はハッと顔を上げた。


「おまえは……」

〝ざんねんだったな。真実を知ったところでもう遅い。かつて神話や伝説があったことを証明するため、わざわざご足労なさった聖女の使徒がいたものだ。おかげで我の目覚めが早くなったが、余計ないざこざになりかねなかった。だから先んじて滅ぼしたというのに、まさか復讐したい相手がそちらからノコノコやってくるなぞとは、思いも寄らなんだ〟


 牙を見せて、嗤う。


〝あの忌々しき男の末裔が、女とはな。みじめなものよ。赤子の手をひねるより容易いことだ──〟

「わたしは……わたしは女などではない!」


 とっさに言って、それから胸がちくりと痛んだ。

 いままで何度、その言葉を口にしたことだろう。

 いままで何度、そう自分を奮い立たせてきただろう。

 いままで何度、そう言わざるを得ない状況を呪ったことだろう。

 それは決して心の底から出た意志ではなかった。


 シュヴィリエールは剣を抜いた。

 もう死ぬのが避けられないとしても。

 全身が悲鳴を上げて、戦えないとしても。

 それでも剣を握らずに死ぬのは絶えられない。


 その死が後世に「だからアスケイロンが滅んだのだ」と後ろ指差されるようなことがあってはならない。


(不名誉な死……)


 かつて父クナリエールが〈エル・シエラの惨劇〉で死んだ時、彼女はまだ三つか四つの頃だった。

 だからクナリエールがどのような人物だったのかの記憶は、かなり薄い。


 騎士の任務に忠実な人間だったらしい。

 陽気で闊達で、少々酒にこだわりがあったらしい。

 子どものことを盛んに口にして、親バカとさんざん言われていたらしい。


 漠然とした意識の中で残る父の残像は、優しかったように思うし、厳しかったように思う。どちらにしても、不確かなものだ。

 だが、なぜか父はシュヴィリエールを()ということにして育てるよう、家中のものには言い伝えていた。だから、彼女は騎乗の術といい、剣術といい、一端の男と同様の、いやそれ以上の訓練を強いられた。


 なぜそうなのかを問う暇すらなかった。

 そういうものだと思ってすらいた。

 しかし、あとから騎士修行のために各地を遍歴する段になって、「跡取りのための意図的な改ざん」と言われるようになった。


「男じゃないと跡取りじゃないからな」


 そう。父はシュヴィリエールに家を継いでほしかったのだ。


 その父は、思いがけずエル・シエラで不名誉な戦死をした。

 ついでに家宝の剣も、エル・シエラの湖の底に眠ってしまったと聞いている。


 家宝の聖剣アンスラード。

 〈神の声に応えるもの〉。

 その意味を持つ魔法の剣。

 シュヴィリエールは、かつて竜を突いたというその剣を、見たことがない。


 不名誉に継ぐ不名誉。


 聖剣を用いる一族が、聖剣を握らずに、祖先が殺したはずの竜に殺されるなどとは。


「こんな……」


 歯ぎしりをしても、声が漏れる。


「こんなところで死ねるか!!」


 無謀とも言える、突進を仕掛けたその時。

 出し抜けに、シュヴィリエールの傍らを通り過ぎる影があった。

 

 あまりに(はや)く、あまりに急だ。

 目にも止まらぬ勢いでそれはシュヴィリエールを追い越してしまうと、鋭い一蹴りで高く飛び上がり、黒竜の顎に向かって強烈な衝撃を与えたのだ。


 間一髪だった。

 危うくその一撃は、黒竜の逆鱗の下──急所を貫くところだったのだ。


〝な……なぜおまえがここに〟


 黒竜は愕然としていた。

 そしてあらためて、眼の前に、シュヴィリエールの傍らに舞い戻ったもうひとりの騎士に向かって、思念の叫びを発した。


〝おまえはわたしが殺したはずだぞ! ノエリク!〟

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