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聖剣と魔女のミュトロジア  作者: 八雲 辰毘古
第四章 過去と思索
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第4話 邪悪の意志に仕えるもの

 ガーランドは沈黙を破った。


「陰惨な場面でヘルマン司祭がつぶやいていた言葉は、今となっては思い出せない。だが、思うところはある。あの森は──〈不入(いらず)の森〉はむかしからあの地域の禁域だったんだ。それは、教導会が臣民を連れて入植するまえからそこに住んでいるひとびとの間で、信仰されているなにかだった」


 ルートは乗り出していた身を背もたれに戻した。腕組みをして、すっかり考え込んでいる。


「異端信仰ってこと?」

「ある意味そうだが、異なる。異端なのではなく、異教なのだ」

「異教……」


 ルートには想像もつかない。


 叙事詩圏では聖なる乙女を中心とする宗教がもっとも多く、これを扱う組織を教導会と呼ぶ。しかし聖なる乙女以前にも神々は存在し、ひとびとはそれらを自由に信仰していた時代がたしかに存在した。

 俗に暗黒時代と呼ばれた時代は、すでに四百年近くの過去となっている。その間聖なる乙女が人類の原罪を引き受け、〈白紙(タブラ・ラサ)の誓約〉によって大いなる王権を打ち立てた。その教えは聖女の記憶が語る言葉として司祭たちが伝え広め、教導会という組織を経てひとつの秩序として大成した。


 したがって、もともと力が強かったのは土着の領主たちであり、それらに根ざした異教の神々だったということになる。


「太陽神アデラミラルや月神ルクレフェデス、風の貴公子オールドーといった天空界の神々の名前も、聖典が定めた神の名前だ。かれらは暗黒時代から信仰があったが、聖なる乙女が神々と誓約を交わしたとき、その言葉によって名指しされた神々だった──だからいまもなお、われわれはその恩恵を受けている。だが、語らなかっただけで存在した神も、誓約を交わしていない神もいたかもしれない。そう考えるとキリがないんだ」

「それが、異教の神々?」

「そうだ。精霊、とも呼んでいた」

「でもそれは呼び名の問題じゃないの?」

「いいやちがう。タリムで話した魔術の原理をもう一度思い出してほしい」


 不思議を可能にする力──『霊』と呼ばれるもの。『真理』や『本質』を直接感覚するものとしての、『霊』。


「精霊というのは、なんていえばいいのか……その場所に宿る霊のことを言う。その土地がその土地であるために必要なもの。例えばメリッサ村がある土の感触や、吹きすさぶ風の温かみや湿った感じ、井戸で汲む水の味や、そこで生えた樹から切った薪のくすぶる火の勢いなんかから、かすかに感じ取ることができるものを『精霊』と呼ぶ。白黒問わず、魔術はこうした〝場所の性質〟を把握したうえでないと、なにひとつ効果をなさないものなんだ」

「ん……それは風が湿っぽい土地では火を起こそうとしてもぜんぜん燃えないとか、水の通ってない土地では作物が育たないとか、そういう話をしているんですか?」


 ガーランドはそうだ、と言った。


「こうした知見はべつに白魔術師だけが知っているわけじゃない。長年働いた農夫や木こりなら知っていることだ。しかし白魔術を修めたものがありがたがられるのは、それを名前で呼ぶことができ、説明し、それを引き出す術を体系的に理解しているからだ」


 名前の本質──〝呼びかけ〟と〝反応〟に基づく単純だけど奥が深い仕掛け。


「だから、精霊を〝なかったこと〟にすることはできない。ただそれをうまく馴らすための術があって、そのためには物事を知って調べなければならない。

 われわれ星室庁が過去行ってきたのはまさにそれだった。表向きは──世俗的には、各領主間の不穏な動きを調べる密偵の役割だと言われているが、それだけじゃないんだ」


 ガーランドは、むかしからその精霊の制御のために自身の師匠とともに叙事詩圏世界のあちこちを歩き回っていたという。

 だから、この話題になるとすっかり饒舌になって具体的な話をしてくれた。風車の回る村における土地の守り神のこと、それに教導会の教えに反していても無視できない習俗のことなど、調査事項は多岐にわたる。


 それでも、結局はそうした教えや精霊は、なんらかのかたちで調伏(ちょうぶく)されたのだった。


「精霊は場所に宿るが、わたしが〝場所〟と呼んでいるものは物理的な場所だけじゃない。言葉や肌感覚のなかにも〝場所〟の概念が存在するものだ。

 例えば、さっき聖典に名前が残る神々のうち、太陽と月は天空界のある重要な星の〝場所〟によって位置づけられているだろう? 星座もそうだ。夜、われわれは自分の居場所や向かっている方角を、星の場所を見つけることによって秩序立てている」


 場所感覚なしに魔術はない──そういうことを、ガーランドは言っている。

 かれはそのことを端的に説明するために、わかりにくいことを承知で〈コの場所〉という概念をあえて伝えた。


「〈コの場所〉というのは、自分を取り巻く場所感覚のことだ──〝前を向く〟ことや、〝上を見る〟ことはどこか良い方向や崇高(すうこう)なものに近づいている感覚があるし、〝後ろ向き〟になったり、〝下向き〟になったりすることは悪い方向や下卑(げび)たものに迫っているという実感になりやすい。こういうことは理屈じゃない。でも、魔術的には非常に意味のあることだ。だから個人の場所感覚を見直すために、〈コの場所〉というふうに呼んでそれを調整している。〈コの場所〉に宿る霊は、魂とも言う。わたしたち人間が、他の動物とくらべて知性や魂を、記憶を有しているのはこの自分の身体に宿る霊のおかげだ」


 ルートはなんとか追いついていた。


「いっぽうで、わたしたちは言葉を使って話をする。ときに歴史を借りて、ときに天空界の神々の名を用いて、いまこの場所に存在しないものを経由して意思疎通を図っている。この──〈コの場所〉同士を包む回路のことをわれわれの用語では〈アの場所〉と呼ぶ。

 〈アの場所〉はだれのものでもない。しかし〈アの場所〉に位置するさまざまな出来事を、言葉や感情によって思い出し、具体的に想像することで〝伝わるもの〟に変えていく──魔術が『霊』を理解し、それを名付けるのは、一度〈アの場所〉に埋もれてしまったものを取り戻し、利用するためにあるんだ」


 ガーランドは一回話を区切って、それから思い切って次のことを言い切った。


「そしてこの〈アの場所〉を黒魔術に適用すると、結界──ア空間がつくられる。ア空間はその範囲の中だけ、術者の持っている〈コの場所〉で法則を上書きすることを許す。つまり、個々人の持っている霊の力で、精霊を押しのけて支配した瞬間、黒魔術が作動する結界──ア空間が生まれるという理屈だ」


 だいぶ回り道をしたけど、本題に戻ろう──とガーランドはあらためて言った。


「メリッサという土地にはその風土が育んだ精霊があり、それは特殊なものだった。教導会以前の住民が語り継がずにはいられないほどの強い力だったんだ。

 言うなれば、あの〈不入の森〉はそれ自体が天然のア空間だったんだね。それが教導会による入植後に無力化したはずだった。〈聖剣の祠〉はかつてかなり昔に、その森の中に建てられたはずなんだ──」

「でも……ガーランドが確認したときには、それが破壊されていた」

「正確には……封印の要である聖剣がなくなっていた。だから、というのもへんだが、わたしはヘルマン司祭を問いたださなくてはならなかったんだ」


 だが、会話は成立しなかった。

 すでに正気を失っていたのか、怯えるように、慄えるように、ヘルマン司祭は喚き散らすと、ガーランドも魔獣の餌だと言わんばかりに指さしてこう言ったのだった。


〝邪悪の意志に仕えるものよ〟と。


「わたしはそのとき、邪悪なのは司祭のほうだと思った。げんに村人を殺していたのはかれのほうだったからね。おまけにかれ自身も魔獣に取り憑かれているみたいだった。だからもう、ひと思いに眠ってもらったほうが、かれのためだと思ったのさ──」


 言いながら、ガーランドは頭を抱えた。

 冷静だが、どこかくたびれた感じが漂う。


「だからといって、わたしのしたことが許されるとは思わない。必要に応じればわたしは反逆者を異端審問に送り込むことなど、尋問することもためらわなかったが、あのときほど後味の悪いものもなかったさ……」


 まさか誰が考えついたことだろう。

 教導会の関係者が、界嘯にまぎれておぞましいことに関わっていたということや、それを取り締まるためにした努力が、本庁によって握りつぶされていたことを──ガーランドはできごとを少しずつ振り返りながら、この界嘯自体が、黒竜の出現自体が魔術に造詣の深いなにものかによる作為であることを感じるようになったのだ。


「黒魔術に関わったものはまともな死に方をしない──そう言ったのは憶えているかい、ルゥ」

「はい、ええ」

「わたしが言えた口ではないが、わたしもその昔、魔術の研究がこうじて黒魔術に手を染めた。そして相応の代償を支払うことになった。今度はきみがそうなるかもしれない。きみがいま選ぼうとしている道は──言ってみれば世界のかたちを知ることだ。そこへ通じる手段は決してまともな手段ではない。だからこそ、代償を払わずには進めない困難で危険な道だ。それでも、やるというのかい?」


 ルートはゆっくりうなずいた。

 ガーランドは首を振った。


「情けないな……自分にできなかったことを、こうして自分よりも年下の人間に託さなければならないなんてね」

「そう言ってくれるだけでも、多少救われるものがありますよ」


 ルートははにかんだ。


「なんか、偉そうになってごめんなさい。でも、もういろん人の思惑に絡め取られて、あっちに行ったり、こっちに行ったりするのも、もううんざりなんです。ボクが知りたいのは、お父さんが無事なのかってこと。それと──」


 言いかけて、ルートは、背後からのヴェラステラの視線に気がついた。


「ずいぶん長話だったけど、もういいかしら」

「いいよ。なに?」

「樹の番人を受け継ぐ儀式の、支度が整ったそうよ。その気があるなら、明日の星のめぐりで調整するってことだったけど」

「わかったよ」


 ルートはそう言って、深い湖の底のような瞳で、虚空を見つめた。

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