第1話 ガーランドから見た真相
時系列を正しく並べ直そう──
ガーランドにとって、その村の名前を知ったのは、ある界嘯案件の調査が終わったのちのことだった。
一年前のことだ。
当時は活動拠点でもある大学都市セレス・アーカムに戻っていた。一時の休暇を挟んでいたところに、連絡員からの書簡が届いたのだ。
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エル・シエラの罪人、居場所分かる。
ただちに該当の教区へ向かい、調査せよ。
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獣皮紙片に記された要項は簡潔だった。
ガーランドはさっそく星室庁の作成した経歴をもとに、白魔術師の身分を粉飾すると、領国をまたいだ旅路についた。
冬を挟んだため、移動には二ヶ月掛かった。現着したときは春になっていて、麦刈りの季節と重なった。村長を通じて村に馴染んだのはそのあとだったのだ。
ガーランドから見て、その男ラストフの第一印象は〝影の薄い男〟だった。
左腕を失い、隻眼にもなっているその男の容姿は端的に言って奇特そのものだ。
しかしどことなく存在感がない。
つねに気配を消しているようでもある。
目を離したとたんにいなくなっていることもたびたびあった。当初ガーランドははやくも警戒されているのかと懸念したが、そうではなかった。それが常態だったのだ。
教区司祭はヘルマンという名前だった。
赤ら顔にあごひげが特徴的な初老の男──この手の人間には大きく二種類がある。
かつては教導会の出世競争に精を出していたが、ある時点で「勝てない」と見て隠遁生活に路線変更したもの。
もしくは、最初から世間に興味がなく、ただ周囲の要請によって教区司祭を任された惰性の人間である。
注意深く見たところ、ガーランドはヘルマン司祭が前者であることを見抜いた。
もっとも、あとから聞けばかれこそがラストフを告発したというのだから、油断ならない相手だというのはわかった。
「つまり、ヘルマン司祭は星室庁とつながっていたんですね?」
ここまで話を聞いて、ルートが相槌を打つかのように、そう言った。
ガーランドはすでに結社の許しを得て、地下牢から放されていた。ヴェラステラの責任のもとで〈蟻塚〉の一室を譲り受け、そこでルートと向き合って話を続けている。
質素な部屋だった。
かつて魔獣が跋扈し、人が地上に住むことすら困難だったという暗黒時代の生活を、連想するかのような空間だった。
「つながっていた、という言葉がどこまで正確かはわからない。わたしも組織の一員だが、その全体像までは知らないから。ただ、司祭は捜査官としてはあまりにも老いすぎていたし、いろいろ軽率なところもあった。それも、フェール辺境伯がかれを〝買収〟したことと関係あるかもしれないがね」
ルートが話せることは、もうすっかり話していた。ヘルマン司祭が辺境伯に取り込まれていたことや、ノエリクの名付けの帳簿を整理したのが辺境伯だということも、すべて。
だが、ガーランドにとってはそれほど意外なことではなかったようだった。「だろうな」と冷静に受け止めていた。
かれは続ける。
「少なくとも、最初からヘルマン司祭が星室庁の側の人間でなかったのは確かだ。でなければ十四年も経ったいま、急に告発なんてしてくるわけがない。なにかがこじれたか、なにかがうまくいかなくなったんだ。そう見るほうが適切だろうな」
「点数稼ぎってこと?」
「……きみはときどき、どこからそんな知識を仕入れてきたんだか、訊き返したくなることがあるよ」
ガーランドは苦笑する。
結局、告発が正しいかどうかを決めるのに二ヶ月近く掛かった。
叙事詩圏を席巻する巨大な権力を持つとは言え、星室庁がむやみに領民を尋問すると公領主議会との対立を招いてしまう。そのため、最低限尋問されても仕方ないと言わしめる証拠は必要だった。これが単なる魔女狩りならまだよかった。しかし、こと十四年前の逃亡者本人を同定し、かつ死なせてはならないという要望だったため捜査は慎重に慎重を重ねて進められたのだった。
「その過程で周囲の人と知り合った。リナやルゥ、ユリア婆、村長やほかのひととも」
「ボクはなんにも知らなかったんだ……」
「知っているほうがヘンなんだ。ふつうのひとには知られないように動くのが、われわれの仕事だからね」
ラストフがノエリクとわかったのは、やはりヘルマン司祭の手回しだった。
辺境伯は実に巧妙で、ヘルマン司祭の〝買収〟についても足がつかないように細心の注意を払っていた。名付けの帳簿の改ざんはまっさきに疑ったが、獣皮紙上の書き直しはほとんど判読不可能で、あったとしても言いがかりになる。おまけに情報提供者である当人も二の足を踏んでいた。
ガーランドは寺院にあいさつに来てからすぐに、ヘルマン司祭の飲酒の悪癖を見抜いた。しかし司祭はそれが〝買収〟の取引材料だったことまでは打ち明けようとはしなかった。ただ「信徒からの寄進」と言い張り、輸送の経路もただしくギルドを経由していたために根拠とはなり得ない。
代わりの材料が必要だった。
その旨を端的に告げると、ヘルマン司祭はさんざん思案に暮れた挙げ句、こう言った。
〝もし聖堂騎士であることが証明できたら、どうでしょうか〟──と。
「聖堂騎士であることの、証明?」
「結論から言うと、それはあったんだ。聖櫃城に所属する騎士である聖堂騎士のうち、特に名望ある人間は女王からの勲章を授与されることがある。宝剣を鍛造することもあれば、紋章に新たなけものを描き加えることもある。ハンカチや旗、指輪や髪飾りということもある。とにかくそうした贈与品は、歴史書にも記録を残すようにしていてね、今回それが大当たりだったわけだ」
ノエリク・ガルドがかつて聖堂騎士として活躍したときに、当代の女王から頂いたという刺繍入りのハンカチがあったのだ。
金の刺繍で縫ってつくられた〈黄金鳥〉の表象に、七芒星の王笏が刻まれた青染めの布──
ルートはハッとした。
「長持ちに入っていたのを見たことがある。あれはを持ったとき、お父さんが怒っていたけど、そういうことだったなんて……」
そして、そのハンカチは父親が失踪したあとは長持ちになかったものだった。
ガーランドはそれを懐から取り出す。ルートはそれを見て、一瞬嫌悪感を浮かべた。
ガーランドは眉を下げた。
「軽蔑してもらっても構わないよ。われわれはこうしてひとの留守をねらい、物を取り、魔術の痕跡をたどっていく。そういうものだからな」
「……続けてください」
「その物証が取れたあと、本庁からの指示を待った──が、待つだけ待って、しばらく連絡が取れなくなった。ようやく当人を発見し、聖櫃城へ連行せよと連絡が来たのが〈祝祭月〉の第二周期末のことだった」
例の日だ。
ラストフが失踪した、あの日。
「その日は普段通りに進行していたはずだ。ラストフは薪割りをしてから〈ソトバ山〉へ向かい、リナは畑仕事を手伝いつつも、ときどきサボタージュをしていた。ルゥだってそうだったろう?」
「……はい。ボクも、寺院で青の日の支度をして、お堂を清掃して、いつも通りにしていたと思います」
だが、水汲みの途中で山道に向かうヘルマン司祭を見たのは、変わらない。
あの真相を、その先を知る──ようやく整理しきったところの話を聞けると緊張した。
ガーランドは苦虫を噛み潰したような複雑な表情で、背もたれのある椅子に寄りかかった。
「ヘルマン司祭の様子がおかしかったのは、リナとルゥ、きみたちと分かれる少し前からだ。もともとラストフの失踪で落胆が一番大きかったのは司祭本人だったからな。当然だろう。自分で告発した犯罪者が、モタモタしているうちに逃亡したから──当初はそう思っていた」
あの日──あの後、ふたりは寺院の一室に入って、状況を整理しようと席を設けた。
ヘルマン司祭は落ち着きのない状態で、手をわなわなと震わせながら、出し抜けにブドウ酒の入った玻璃の器と、盃をふたつ取り出した。それでガーランドに飲酒を勧めるも、すぐに取り直して盃を一個だけにした。
〝飲まないと落ち着かないのだ〟
問わず語りで、そう言っていた。
ちょうどいまみたいな感じで相対していた。ヘルマン司祭はあごひげを、根菜でも抜くかのように何度も手ぐしで梳いて、言葉をさがしたが、それでも黙っていた。
「わたしはそのときラストフのゆくえに心当たりはないかを尋ねた」
〝知らない。わからない〟
かれはそう言ったという。
嘘だと思った。
少なくとも、ガーランドは。
「だから再三問い直したら、ちがう答えが返ってきた。〝自分はラストフを見殺しにしてしまったかもしれない〟と」
「見殺し?」
「すでに魔獣に遭っていたんだよ。少なくとも、ヘルマン司祭と、ラストフは」
ルートは身を乗り出した。
「〈不入の森〉にいたんですか?」
「そういうことになる」
「なぜ? なんのために?」
「そこからが、大事な話なんだ。ずいぶん前、わたしはきみたちに対して、村人を率いて〈不入の森〉に大挙して押し寄せたことは伝えたはずだよね?」
ルートはうなずいた。
メリッサ村を脱出した時のことだった。
「あのとき話したことに偽りはない。無理強いをしたのはヘルマン司祭だった。かれはなにか重大なことを隠したまま、とにかく村人たちに〈ソトバ山〉のその森に入るように言っていた。
わたしは途中からだんだん冷静になったよ。これはなにか裏があるのかと思ってね。結局、行くことになったんだが、わたしも来るように言われた。少し嫌な予感がしたんだ。だが断る理由もない。わたしはなんとか口実をつくって遅れて行くことにした。村の残っているひとたちに事情を説明する役を買って出たんだ。だが、それがよかったのかもしれないね。〈不入の森〉の入口に急いだとき、すべては終わっていたんだ」
「終わった? なにがですか……?」
ガーランドは少しだけ考えた。
だが、包み隠さず話すことを選択した。きちんとルートの目を見て、かれは言った。
「ヘルマン司祭が魔獣に跪いて、村人を生贄にささげていたんだよ」