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聖剣と魔女のミュトロジア  作者: 八雲 辰毘古
第三章 イドラの魔女
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第8話 〝わたし〟が騎士になる理由

 少女は夢に近づいてた。だが、そこはまだ夢のなかだった。


 アデリナはもうそれが夢であることを知っている。

 けれどもなぜそうなのかがわからない。かつては夢中で必死になって泳いでいるだけだった。いまは自覚があるだけで、意識しているというだけで、この夢に意味があるのかどうかすら、確信がないのだった。


 風が彼女を煽っている。

 はやく気づけと警鐘を鳴らすように。

 なにに気づくべきなのか──

 アデリナにはその謎だけがある。


(なんだっけ、なんだったっけ……)


 なにか大事なことを聞いていた気がする。それはとても大切な約束だったはずなのに。


〝……リナ、リナ〟


 呼ばれて振り向くと、アデリナは夢の中の世界にひときわ高くそびえる樹を目撃した。

 天と地を結ぶ柱のような、巨大な樹。

 世界樹という名を、少女はまだ知らない。

 その樹はいまや彼女の眼の前にあって、圧倒的な存在感を見せている。その根は太く、ひとつひとつが尖塔のようだった。


 この樹の根に腰掛ける女がいる。

 黒いツヤのある髪、青い湖と空を合わせて映す水鏡のような静かな瞳──


〝もうじき時が来ます〟


 女の口からその言葉は発せられていた。


〝あなたが来てくれれば、きっとノエリクを助けられるかもしれません〟

〝助ける?〟声は泡になる。


 女の声は静かに、きれいに届く。


〝あなたが来てくれないと……〟

〝父さんは生きてるんだな?〟


 喚くように尋ねる。

 その疑問すらも泡として昇っていく。

 けれども女は聞こえているかのようにゆっくりとうなずいた。


〝《鍵》はあなたのなかにあります。その時が来たら、ここで──この場所で……〟


 風が、強く吹いた。

 少女はとっさに訊き返す。しかし女は全く意に介さずに話を続ける。


〝もう迷わないで。わたしたちの未来はあなたの手に掛かってるから〟


 さらに風が強くなる。そして花片の波しぶきとともに少女を押し飛ばした。

 とっさに手を伸ばす。しかしその手はだれの手を取ることもできず、ただ少女は落下の一途をたどった。


 足の裏が離れ、まるで穴に落ちたかのように。

 重石を付けられて、水の底に沈むかのように。


 ただひたすらに落ちるその過程で、アデリナは無数の既視感(デジャヴ)に悩まされていた。


(なんだっけ……なんだったっけ……)


 思い出さないといけないこと。

 忘れてはならなかったこと。

 そして、悲しくて辛くて、苦しいこと。


 りいん、とベルの音がする。そして──


「あ、れ……?」


 目が、醒めた。


 焚き火の痕跡が近くにある。ぬくもりが残る石室のなか、外套(マント)をくるんだ寝袋に入って、無数の騎士と雑魚寝していたのだ。

 ふと喉の渇きを覚えて、アデリナはもぞもぞ動いた。寝袋を脱すると、周囲の寝たままの人間の邪魔をしないように忍び足で洞穴を抜け出す。


 見慣れた経路のはずだった。

 しかし緊張感が違う。

 魔獣の気配はなかったものの、思わぬところにいるかもわからない。アデリナはこっそり舞い戻って、荷物置きから思念結晶の入った龕燈(カンテラ)を取ろうと手を伸ばした。


 そこに、手首をパッと掴む腕が現れる。

 思わず息を呑んだ。

 悲鳴を出さなかったのは奇跡的だった。


「なにをしている」

「……なんだァ、シュヴィリエールかー」

「勝手な行動はつつしめ」

「いや、のどが渇いてて」

「……そうか」


 言いながら、シュヴィリエールも水袋が空になっていることに気がついた。

 シュヴィリエールは「そこで待ってろ」と言ってから、エレヴァンのもとに向かう。それから二三話したかと思うと、戻ってきた。両手いっぱいの水袋も携えて、である。


「水くみに行こう。許諾は得た」

「ん。ありがとな」

「今後はことわりを入れてほしいものだな」


 しぶしぶついていく、という具合だ。


 ふたりは洞穴を抜け出る経路を取った。その途中で水音のする箇所に出ると、アデリナはまっさきに清流に首を突っ込んだ。ぐびぐび飲むアデリナのその態度に、シュヴィリエールはあきれながら、隣に膝を付く。ひとつひとつていねいに手で柄杓をつくって、水をたなごころに掬ってやると、まるで上品にスープを()むかのように彼女は水分を摂った。

 一通りのどを潤すと、アデリナはプハーッと息を漏らしてのけぞった。その大胆ともズボラとも言える振る舞いに、シュヴィリエールは一瞬むせるほどの拒否反応が出かけたが、すっかり飲み込んだ。水がしたたりそうな口元を手の甲でぬぐって、それからようやく口を開いた。


「そんなにのどが渇くのか?」

「ん? ああそうだな」

「…………」

「なんだよ」


 ジッとにらむアデリナを尻目に、シュヴィリエールは水袋手にとった。最初それを清流に沈めて給水していたのだが、やがてアデリナの手が動いていないのを見て、半分入った水袋を突き出した。


「きみもやるんだ」

「あ、はい」

「こういうのは下っ端や気付いた者がやるんだ。今度から気をつけたまえ」


 アデリナはしぶしぶ水袋への給水作業を開始した。最初のうちは淡々と実施していたが、次第に沈黙に絶えきれず、喋りだす。


「騎士っていうほど華やかなモンじゃないんだな」

「当たり前だ」即答だった。

「だってさ、吟遊詩人やおとぎ話じゃあこういうことは教えてくれないぜ?」

「それはそうだ。吟遊詩人は村人や町民の日々にある〝つらいこと〟や〝めんどうなこと〟を忘れるために、歌を歌うものだ。それに、おとぎ話のほとんどは『いま』でもなければ『ここ』でもない話をする。だからなんだ。かれらが歌う〝騎士〟という存在は、かれらが謳っているほどかっこいいものでも、美しいものでもない」


 言い切って、シュヴィリエールは急に我に返った。なぜこんなことを()()になって返答しなければならないのだろう?

 冷静な目でアデリナを見やる。当の本人は珍しいものでも見るような目つきだった。


「シュヴィリエールって頭いいんだな。そんなこと、アタシは考えたこともなかった」

「…………」

「前にアタシに言ったよな。アタシには向いてない、みたいなこと。いまになってみるとわかるような気がするよ」


 確かにアデリナは戦う技術を、能力を鍛えたかもしれない。

 しかし実戦に一度でも参加し、こうした生存を賭けた環境に身を置いていると、いつ、どうなるかが常にわからない不安にさらされる。そうした場に挑み、戦い、勝つ──これをつねに求められる肩書を、騎士は背負わないといけない。


 だから、その資質に適しているのか。

 それを問われるのは当然のことなのだろう、と。


「でもさ、だからこそ、ちゃんと知りたいって思うんだよね」

「嫌だとは思わないのか?」

「まさか」


 アデリナはようやく満杯になった水袋を置いて、もう一個の補給作業に取り掛かる。


「いや、こういう〝地味な作業〟が好きか嫌いかでいうと嫌いなんだけどさ。だったら、それが村で四足獣(シシ)の世話したり、獣とウンコ臭い納屋とだだっ広い畑と菜園とを農具持って往復したりするような生活とどこが違うのかって話でさ。やりたいからやってる仕事と、やらされてる仕事とどっちがマシなんだって話でさ。結局それしかないんだったら、〝やりたくないからやらない〟みたいなこと、言ってる場合じゃないじゃんか」


 あっけにとられて、シュヴィリエールは少女を見ていた。


 あまりにぼうっとしているものだから、今度はアデリナのほうが不安になって手を止めた。シュヴィリエールを見る。


「なんだよ」

「いや、なんといえばいいのか……」


 悄然(しょうぜん)とした面持ちで、俯いた。


「どうやら謝らなければならないのはわたしのほうだったようだ」

「なんだよ急に。気持ち悪い」

「わたしは別に騎士になどなりたくはなかった」


 出し抜けの告白に、アデリナは水袋をひっくり返した。せっかく貯めた水がせせらぎに返っていく。


「意外か? まあそうかもしれないな。英雄家の御曹子、英雄家の育ち。血統に由来する優れた異能──こういうものがありながら、まさにおとぎ話の中の人物でありながら、望まないなんて贅沢な悩みかもしれない。だが別にそうあろうと思ってそうなったことは一度だってありはしないんだ。わたしはただ望まれて生きてきた。いまもそうだ」

「…………」

「ほかの生き方というものが存在しないのだ。農民になれというわけでもなく、船乗りになるわけでも、商人になりたいわけでもない。騎士の家に生まれ、騎士として望まれた。その意味がどういうことかは、わかるな?」


 アデリナはうなずいた。

 女は騎士になれない──


「魔獣退治の困難さが歴史的に証明されるにあたって、おのおのの領主や伝統的な騎士の家のものが、〝嫡子を死なせてはならぬ〟と出し惜しみを始めた。これが(ひるがえ)って、平民出の騎士、つまり騎士学校というものが出来た。あいにく教導会が〈女神の平和〉を宣言し、戦さも絶えて久しい世の中だったからな。それに、魔獣の知識を体系化し、教えるという形で叙事詩圏の守りはうんと向上した。だからただ武力に限らず、さまざまな知見や才能を持った人間を集めるようになった。騎士学校が女性を招き入れるのも、それがひとつ大きな要因になったと言われている」


 そうだ。だからアデリナは騎士学校にあこがれを持ったし、行けるなら行きたいと、そう思っていたのだった。


「だが、騎士として、兵卒を率い、領地を持ち、貴族の末席に名を連ね、それでいて戦うということを、いまだに〝女〟には許されていない」

「それは、魔女のせいなのか?」

「ちがう。〈エル・シエラの惨劇〉よりもずっと前から、それはあった」

「じゃあ、なんで魔女は悪いことになっているんだ?」

「そこまではわからない」

「なぜ? シュヴィリエールほど頭が良くても、わからないことがあるのかよ」


 シュヴィリエールは残念そうに首を振る。


「少なくとも、魔女が魔獣と大きな関わりがある限り、騎士は──この叙事詩圏世界の〈平和〉を守るために、やつらと戦わねばならないだろう。それは刃を交えるような戦いだけでは、ないのかもしれないが」


 アデリナには、シュヴィリエールの最後に付け加えた言葉の意味はわからなかった。


 やがて水くみは終わり、起き出した騎士たちの朝餉の支度が始まった──

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