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聖剣と魔女のミュトロジア  作者: 八雲 辰毘古
第三章 イドラの魔女
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第7話 蟻塚の中のカブト虫

 ヴェラステラとルートが天球儀の間を出たとき、回廊の奥から騒ぎの声が聞こえた。

 喚く声、悲鳴、それからドタバタと駆け回る足音……やがて通路の向こうからローブをまとった女性たちが走ってきて、ふたりの前を通り過ぎようとしていた。


「なにごとですか」


 そう問うヴェラステラの声は、まるで王女のように気品のある立ち振舞だった。

 女性陣のうちひとりが、立ち止まった。壮年の女性で、彼女はヴェラステラを〈聖なる乙女〉の司祭であるかのように有難がった。


「曲者です。星室庁の手の者が侵入してきたのですよ」

「侵入?」

「はい、ええ。ええ……」


 ヴェラステラはチラと女性が逃げてきた先を見る。それからルートの手を引いて「来なさい」と言った。

 言われるままに少年は連れて行かれる。

 引きずられるようなかたちになった。


「ねえ、ちょっと」

「……」

「どこにいくんだよ」

「じきにわかるわ。たぶんあなたの知ってるヒトよ」

「え……まさか」


 その「まさか」だった。


 あとで知ったことだが、ルートがいる巨大な地下世界は、〈蟻塚(ありづか)〉という名前だった。その名の通りツチムシの一種が地中に掘るという巣の複雑な構造に似ているためそう呼ばれる。

 聞かされたところに拠ると、これも魔法文明の遺構だそうだ。それもそうだ。ルートの知る限りでは、叙事詩圏の白魔術はこれほどの地下空間をつくるまでには進歩していない。せいぜい、落盤やガス・水漏れなどの事故を回避するべく、不完全ながら地脈・水脈をさぐる術があるのみだ。


 だから、天球儀の間や、かれらがいま入ったばかりの大広間などのように、天井を高く、幅と奥行きをもたせる──さながら城市(まち)にある大聖堂でもつくるような空間を、掘削なんてできっこなかった。

 きっとつくろうとしても、すぐに崩落してつぶれてしまうだろう。それがいま、かれらの眼の前に巨大な口を開けていた。


 吹き抜け構造が、かれらの立つ場所に垂直の座標を生み出した。

 上にも通路。

 下にも通路。

 杭とロープが要所要所に張り巡らされて、不要な落下を防いでいる。


 天頂部分には中天を架ける月明かりが差し込んで、人々の暮らしの場所を照らした。

 さながら天からの御使いが手を掛けて降りるはしごのような──そんな光の底に、男が縛られて突っ伏していた。


 きざはしがその場所に向かって降りている。ヴェラステラとルートは、ゆっくりと段をくだって、男のそばに近寄った。


「遅かったじゃないか、ヴェラ」


 イシュメルだ。

 そのイシュメルが、足蹴(あしげ)にする男は金髪で、ボロまがいの外套(マント)に身を包んでいる。


 その顔が上がった。

 ルートと目が合う。


「……ガーランドさん」


 イシュメルは意地悪く嗤った。


「そら、〝感動の再会〟ってやつだな」


 ガーランドは寂しげに微笑んだ。だが、それもつかの間のことで、すぐに引き締まった、沈黙に意を決した面持ちに切り替わった。

 すかさずイシュメルの蹴りが加わり、苦痛にうめき声が上がった。


「牢につないでおけ。目隠しとクツワを噛ませるのを忘れるなよ」


 言われて、連れて行かれるのを、ルートは見届けるしかなかった。


「あの人、なんでここまで……」


 言いかけて、後悔した。

 イシュメルが言葉を拾う。


「やつはもともとこのための密偵だったのさ。〈エル・シエラの惨劇〉で失われた聖女の力を、魔女から奪い返すためのな」

「……ッ!」

「フフフ……皮肉なもんじゃないか。なぜ〈エル・シエラの惨劇〉以来、魔女への弾圧と捜査が拡大したのかといえば、それから続く魔獣の増加と、魔女結社の活動が活発化するのがほぼ同時だったからだ。天候不順、疫病もあった。なにもかもうまくいかなくなって、初めて自分たちが権力争いをしてる場合じゃないと悟ったのさ。わたしはそれに嫌気が差して、結社に入ったんだ。魔獣をいちいち退治することに、いったいなんの意味があったというんだ」


 イシュメルの目に怒りの炎が燃えていた。

 ルートは、初めて魔女もまたひとりの理性を持った人間であることを直感した。


「魔獣がこの世界を跋扈(ばっこ)するのは、当然さ。やつらは過去の誤ちによって生まれ、ひとつの文明世界を滅ぼした。その誤ちはいま現在をもってなお何ひとつ償われていない。償う気がないからだ。誤ちを後世に残すという意志が存在しないからだ。この知識はついにだれの口も経ず、だれの記憶によっても語られなかったよ、少なくとも、白魔術と騎士のいた世界ではね」


 ルートはイシュメルを見た。


「だからあなたは、いっそ魔法文明と同じようにいまの叙事詩圏世界が滅んでしまえばいいと思っている……」

「よくわかっているじゃないか」

「マグダレーナが言っていたことだ。ボクの発想じゃない」

「そうか、そうか」


 ヴェラステラは黙ったまま、あえて壁に寄りかかっている。まるで自分がその話に入っては話がまとまらなくなることを、自覚するかのように彼女は複雑な表情で見つめていた。


 おもむろに、ルートは口を開いた。


「ボクは、その意見には賛同しません」

「ほう」

「あなたが滅びていいと思っているその世界には、ボクやリナや、たくさんのヒトが住んでいる。その全員にまで、あなたと同じ絶望を振りまかないでください」


 とたんにイシュメルは噴き出した。思わぬことにヴェラステラも笑いを押し殺している。

 なにがおかしいんだ──その悪意の嘲笑とも言える笑いは、一斉にルートに襲いかかって、かれの善意を(もてあそ)んだ。


「きみはよっぽど冗談がうまいんだな」


 その目はちっとも笑っていなかった。

 出し抜けに、イシュメルはヴェラステラと目配せをして、ルートを連れ出すことを決めた。彼女たちは吹き抜け構造の最下層からしばらく歩いて、枝分かれした通路に入る。その後すぐに扉を開いた。中に入る。


 個室だった。だれもいない個室──

 石の部屋であるにも関わらず、獣毛の敷物やキヨメガシ材の椅子やテーブル、衣装棚などがあり、女性ひとり分の部屋だと伺える。


 その中に入ったとたん、イシュメルが服を脱いだ。

 背後ではヴェラステラが扉の番をした。

 とっさに目を覆うルートだったが、イシュメルはすかさずにその手をつかんだ。力づくで視界を開き、つぶっている目に向かって語りかける。


「見ろ」


 ルートは恐る恐る目を開き、彼女を見た。

 傷だらけの身体がそこにはあった。

 無数の刺し傷が、切り傷が、ただれた皮膚と、それを代わりに覆う金属片もあった。彼女の身体は生きた身体ではなかった。さながら甲冑の一部に、人体が繋ぎ止められたようにも見える。いびつなツギハギだったのだ。


「これはな、魔獣にやられたのではない」


 イシュメルはどうもうな笑みを浮かべた。


「人間だ。ヒトの意志が、ヒトの悪意がそうした。わたしはある作戦行動中に大怪我をして置いていかれた。撤退に間に合わなかったからな。そこで魔女に拾われ、けがの手当をしてもらった。だがときは折しも〈エル・シエラの惨劇〉の直後でな、営舎に戻ったところ、〝魔女に洗脳された〟ということで拷問を受けることになったのさ。拷問をしてきたやつらは、いまとなっては全員殺してやったがな……それが〝裏切りの証拠〟ということで確定した。この身体とともに、わたしは魔女になったのだ」


 その後イシュメルは上衣を着て、装備を直した。板金を織り交ぜた革鎧──よく見ると彼女の〝金属〟の部分を避けた特注品だった。それらを付けて、ベルトを締めると、彼女はまた口元にだけ笑みを浮かべる。


「わたしを(おとし)めた魔女への偏見を、いまさら〝誤りだった〟と認めるなんてことがあると思うかね? そのような害を加えた連中の中に、自分の居場所があるなんて戯言(ざれごと)をほざけると思うかね?」

「…………いえ」

「絶望? 振りまく? 滑稽(こっけい)だ! そんな生易しい言葉をよくうそぶけたものだ!」


 ルートは心臓がバクバク鳴るのを実感した。これほどの怒りと憎悪を浴びるのは初めてだった──息切れし、苦しくて、指先まで痺れるほどの冷たさが全身をさいなむ。

 それでも、ルートは慎重に言葉を選んだ。


「それでも、それでもです……ボクたちは折り合う場所を見つけないといけない……」

「アハハハハハハハハッ」


 イシュメルは、饒舌だった。


「ならもうひとつ──おもしろい話を教えてやる。〈エル・シエラの惨劇〉が聖櫃城の後継者争いだったことは知ってるな? あれで力を失って殺されかけた世継ぎこそ、そこのヴェラステラさ。ヴェラは〈惨劇〉のなかで、樹の番をするための《鍵》を失ったんだ。だからこうして、エスタルーレに〝代わり〟をしてもらわなくなった──」

「お義姉さま」


 ヴェラステラが初めて口を開いた。

 イシュメルが眉をしかめた。


「あなたはわたしたちの間にも溝をつくるおつもりなのかしら」

「……ふん。いまさら隠すほどのことでもないだろうに」


 ヴェラステラは無表情だった。


「まあいい。要するに、だ。きみのような秀才は、極端な考えを持った人間に出会うと、驚いてこう思う。〝なんでこうなったんだろう〟と。わかったところでどうする? どうせすぐに自分たちの考えている()()()()世界に連れ戻して、〝大丈夫、またなんとかやれるよ〟とかはげますつもりでいるんだろう。だがそれこそが思い上がりなんだ。自らの誤ちから目を背けて、わかってもらえたと思って、それで終わりなのだ。本当に大事なことはなにひとつ前進しない。そうなれば、当然また、おまえたちの生きているなかで不都合が生まれて、大きなトラブルが生まれる。すると、今度は悪いやつがいるからそうなる、というふうに考え出す。そいつらを排除すればなにもかもが解決すると思い込む。かつてはそれが魔獣だった。今度はそれを〝魔女〟と呼ぶ。次はどう呼ばれるのか──楽しみだ」


 すっかり笑い疲れたというふうに、イシュメルは首を振った。それから部屋を出る。

 あとに残されたルートは、あまりの感情の雪崩を浴びた疲れでぐったりと膝を付いた。しばらく震えて、獣毛の敷物の表面をぐしゃりと握りつぶす。ヴェラステラはその背中に歩み寄って、同様に膝を付く。


「大丈夫?」

「平気さ」

「嘘はよくないわ。唇が真っ青」

「かまうもんか……」


 ゆっくりと、力が入ることを確かめるように、ルートは立ち上がった。

 ヴェラステラは目線だけでその背中を追いかける。その目が、部屋から出ようとするルートを見つめていると──瞳に少年の決意のまなざしを反射した。


「ガーランドさんに、会わせてください」


 二回の瞬きが、ルートのたたずまいが嘘でないことを写し取っていた。

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