表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖剣と魔女のミュトロジア  作者: 八雲 辰毘古
第三章 イドラの魔女
27/47

第4話 血脈にもとづく力

 風が木々の影を揺らした。それが警戒の合図になってから、数刻経っていた。


 身構えた騎士一同。

 数秒後にため息を吐く。


「あーあ、まったく。驚かせやがって」


 イリエ・シュヴァンクマイエルが悪態をつく。その目線の先にはナキムシクイの鳴き声が残響し、こずえの影に消えた。

 風はいたって長閑なものだった。

 ときおりこうして激しく吹くことはあったが、たいていはそよ風だった。コケラブナやアザモミ、タナウラカエデが生い茂る広葉樹林が騒ぐ以外には静かなもので、エレヴァン率いる騎士一行はかろうじて隠密行動を続けて来れたのだった。


 途中、街道を逸れたのには理由がある。


 一つ、魔獣との遭遇を避けるため。

 二つ、魔女との遭遇を避けるため。

 三つ、瘴気を避けるため。


 特に最後の項目──界嘯(かいしょう)に伴う忘却の霧は、すでにメリッサ村の近辺を覆う悪夢と化していたのだった。

 タリムからの街道を東に進み、メリッサ村への枝道に逸れると、道端に枝が結ばれているのをエレヴァンは発見した。その仔細を改めて、かれは「そろそろ街道をはずれよう」といったのが、いまの道中の始まりだ。


 いわく。瘴気が蔓延した土地は魔獣が活性化し、魔法も効果を増す。これに対してまともな装備もなく人間が立ち入ると、たちまちにして気を失ってしまうらしい。


「つまり、ここから先に行くと瘴気がいっぱいだからだめだ、というわけだな」


 シュヴィリエールがアデリナに説明する。続けてエレヴァンが言った。


「先行しているクリスタルからの忠告だ。ありがたく参考にして、脇道からメリッサ村へと向かおう」


 ちなみに、瘴気のなかで活動するための手段は騎士団が認可を得て開発した。

 じつは叙事詩圏のあらゆる城市・集落では〈祈りの(いしぶみ)〉と呼ばれる石碑がある。これは教導会が聖なる乙女への祈りをささげるために作った祭壇なのであるが、碑の素材となる鉱石は特殊なものだった。ひとの想いに触れて輝き、瘴気の霧を晴らすのだ。だからこそ教導会の教えは魔獣の絶えないこの世界において重要な役割を果たしていたのだった。


 その碑をつくる鉱物は〈思念結晶〉と呼ばれていた。


 もちろん万能ではない。今度の黒竜のような大型の魔獣にはこの鉱物が放つ輝きは牽制にだってなりはしない。

 だが、ふたごが見た情報がそのまま正しいと見るならば、メリッサ村の祈りの碑は壊されてはいないはずだった。だからまずはそこを目指せば安全地帯は確保できる──そう見立てていた。


 ところが瘴気はすでにメリッサの集落を覆い尽くし、下山道に掛かっていたのだ。


「想像よりも瘴気の進行が早い」


 そう、一同は判断した。

 エレヴァンはイリエ、シュヴィリエール、アデリナの全員に、ここから先はよく注意してからゆけと言い渡した。


 こうして長い歳月にも錯覚するような、そんな時間を過ごしていたのだった。


「じきに夜になるぜ、エレヴァン。森で寝るってのはあまり得策じゃねえ。それに戦う直前まで冷たい飯をかじるってのも、やりきれん話だわな」

「わかってる」

「けっ、おまえは言葉が少なすぎるんだよ」


 エレヴァンはちらとイリエの顔を見たが、無表情のまま前方の点検に戻った。


「アデリナ」

「あ、はい」

「この近辺に洞窟などはあるか」

「んー、少し川を下れば、アタシがむかしよく遊んだ洞穴があるよ」

「ちょうどいい。案内してくれないか」


 アデリナは、しかし現在地を捉えるのに苦労した。


「街道があったのが……あっちだろ?」

「ちがう」とシュヴィリエール。「あの木立ちのカエデの葉があるあたりだ」

「は? きっしょ。なんでわかるんだよ」


 シュヴィリエールは自分の懐から短刀を出した。鞘をはめたままのそれで、木の幹を指し示す。

 目を凝らすと、そこには傷があった。


「迷わないようにしるしを付けた。来た道はこれで戻れる」

「うわー、あったま良い」

「愚か者。土地勘があるといえど、瘴気の満ちた場所を頼りなく歩くとは──」

「いや、今回へまはお前だ。シュヴィリエール」


 イリエが割り込んだ。

 シュヴィリエールは眉をひそめた。


「相手が魔獣だけなら、木にしるしを残すでも良かったがな。今回魔術使いの人間様がいるんだぜ。たしかにこの叙事詩圏世界で人間同士が表立って争うようなことはめったにないが、これはバレる手口だ」

「イリエ、そのことだが──」


 エレヴァンがおもむろに口を開いた。


「魔女がわれわれの邪魔をすると思うか?」


 かれの疑念はイリエにとっても複雑な想いを抱かせた。

 出立の直前、一同はフェール辺境伯からなぜルートが旅立ったのか、その仮説の数々を聞かされたのだった。だが、そこには矛盾する事実と筋道たった説明が同時に存在しており、しょうじき「よくできているが、仮説にすぎない」という印象すら抱かせた。


「結社がじつは界嘯(かいしょう)の修復に回っているっていうのは、どうもイマイチ信じられねえ話だぜ? いままでおれらはやっこさんから直接害を受けたわけじゃあねえが……でも、だとしたらなんで星室庁や聖櫃(せいひつ)城が魔女結社を摘発しなきゃなんねえのか、余計にわからないじゃんか」

「そりゃ、そうだが」

「第一、用心はするに越したことはねえ。例のイシュメルの件もそうだ。あいつら、どんな手品を使ったか知らねえが警戒してるおれらの陣地にこっそり入ってきやがった。これであいつらの目的が辺境伯の暗殺だったらどうなると思って。手心加えられたんだよ、やつらその気になればなんだってできる」


 イリエはここまで言ってから、アデリナにはやく行ってくれと手で指示した。

 そこにエレヴァンが付き添って、前方に瘴気の霧が発生していないか、確認しながら道なき道を模索していく。


 落葉が降り積もって、足元は滑りやすかった。シトリゴケやヘビカズラの()した土を踏みしめて、転ばないように歩く。

 ときおり、段差があった。

 高低差が激しく、岩がむきだしになっているような箇所のことだ。そこには清流が注ぎ込んでいて、山あいによくある急流に合流している。


 岩場が目立ってきた。

 と同時に、生き物の気配も減った。


 霧だ。

 白いもやが足元から這い寄る。


「瘴気が近いな」


 エレヴァンは警戒するように促した。

 耳を澄ます──すると。


「いる」


 アデリナのひと言で、残る騎士たちは得物を抜いた。

 はたして、ボタ、ボタ、ボタ……と重い袋を引きずっていくような異音が近づく。かすかに風切り音がするのは、アデリナにも聞き覚えのある(はね)の音だ。


「リュウノコケラだ」


 エレヴァンが言った。

 イリエが「まじかよ」とぼやく。


「この期に及んで、ヒトクイムシじゃねえかよ……ッ」

「逃げるのも得策じゃないな」


 いっそ〈思念結晶〉で追い払うのも手だが、あまりやりたくない手だった。

 大人たちの狼狽を眼の前にして、アデリナは不思議に思った。あれは以前、自分が直接退治した魔獣だったからだ──


(やべえ魔獣なのは知ってるけど、そこまでやばいのかな)


 だが、これはアデリナのうぬぼれだった。

 彼女はあのとき自分が手に持っていた剣を、いまは手に持っていない。魔女の獣(ストリーガ)と戦ったのちに、それは消えてしまったからだ。しかしいまそれを手に取ろうと心の裡で念じたところで、剣は現れなかった。いま彼女が持っているのは、実物の剣。実物の短刀だけだ。あとは身動きを重視した革を張った鎧に、ブーツといったいでたちだ。


(やってやろうか)


 少しだけ勇み足が出た。それで、彼女は自分の剣をすらりと抜いて、構えるのだが。


「ばか、やめろ」


 叱られる。


「一体倒せば五体いると思え。そして間違いなくリュウノコケラを食べて育つ大型魔獣が背後にいる。そいつらを刺激したら、われわれの作戦は台無しだ」

「でも……」


 言っているあいだに、もやの中から影が現れた。ブーンと翅音がする。それを見た彼女は確信を持って立ち向かおうとしたが、続くさらに大きい影を発見して、意気喪失した。


「は……なんだありゃ?」


 いままで気配すらなかった。

 音もなく、影もない。

 それは唐突に現れて、(むし)を捕らえた。

 持ち上げ、かじる。噛みちぎる。


 (むさぼ)る音が清流の音に混じって不快だ──


「そらおいでなすった。貪る羆(ノーヴェ)だ」


 暴食と悪食を絵に描いたような魔獣が、のっそりと徘徊(はいかい)し、霧にまぎれて蟲を食う。グチャグチャと鳴る不愉快な咀嚼音が、かえってアデリナの勇み足に冷水を浴びせた。


「こいつまで出てくるとなると、なあ」


 いつの間にか隣に来ていたイリエが、エレヴァンに目配せする。

 エレヴァンもまんざらでもなさそうだ。シュヴィリエールも緊迫した面持ちだったが、決して怯えてなどいない。


「どう思うね?」とイリエ。

「さすがにこの規模のやつがいるとなると、少々無理はしなけりゃならん」


 ぐるるるる、と唸り声をあげて周囲を嗅ぎ回る──魔獣がこちらに気づくのは時間の問題のように思えた。


「シュヴィリエールよ、援護頼むぜ」

「わかりました」


 部隊のなかで年少とはいえ、()()は騎士のひとりだった。

 シュヴィリエールが支度を始めるのと同時に、イリエがおもしろ半分で話しかけた。


「アデリナ」

「はい」

「おまえさん、なんで英雄家が数ある名家のなかでも一等格別の地位を有しているか知ってるか」

「それは、伝説の……」

「過去の栄光だけでいまの地位があるなら、苦労はしないさ。英雄家ってのはな、王族と同じように血統によって受け継ぐ特殊能力があるんだ。それはほかのだれにもできない、ことアスケイロンの血筋は魔獣退治に特化した力なんだよ」


 見る。

 シュヴィリエールはブツクサとなにかを呟いている。


 その手は祈りのかたちをなしていた。

 指──右の薬指に嵌められた紋章が次第に光を帯びて、やがてそれは現れた。


 角張った枝分かれしたツノ。

 磨き上げられた黒蹄。

 全身を覆う体毛。

 斯様(かよう)四足獣(シシ)が光とともに現れたのだ。


「よく見ろ」


 言われなくたって、アデリナは見とれた。

 だがイリエが言いたかったのは次のことだった。


「あれが紋章獣──英雄家がその血の契約とともに使役した、使い魔の魔獣さ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ