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聖剣と魔女のミュトロジア  作者: 八雲 辰毘古
第三章 イドラの魔女
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第2話 魔女のかくれざと

 うす暗い天井だけが視界にあった。石でできた空間がくらやみに包まれている。温かい空気が溜まっている。水がしたたる音が、心地よくルートの耳を叩いている。

 目を、覚ました。混乱した記憶だけが頭のなかを閃光のように駆けめぐった──


「気がついた?」一度聞いた少女の声。


 首だけを横にするとあの少女がいた。

 赤金色の髪、赤金色の瞳。

 そして頬に刻まれた魔術刻印。


「ヴェラステラ」


 魔女は微笑んだ。


「〝ここはどこ? どうして?〟──そう言いたげな顔だけど、その質問には後で答えるわ。いますぐ支度して来なさい。会わせなきゃいけないひとがいるの」

「……?」

「いいから、はやく」


 ルートはうす暗がりのなかで、自分の衣服を正し、それから顔や身体を確認した。

 べつに怪我をしたわけでもない。魔獣に襲われた形跡もなさそうだった。


(魔女に助けられた……? だとしたら、クリスタルさんは……?)


 首を振った。


(いいや。いちおう計画どおりだ。やってやろうじゃないか)


 藍色のローブの裾を延ばす。

 ヴェラステラに従って、部屋を出た。


 次第に目が慣れてくると、ふしぎなことにこの空間自体がかすかに発光しているかのように手元足元がよく見えた。

 見渡す限りの石、石、石──何ものかが血と汗を流したとしか思えないほどのていねいなつくりの石洞が、城館の廊下や部屋を模して続いているのだった。


 そのなかを、カツーン、カツーンと靴音を反響させつつ進んでいた。

 途中でひとと何度かすれ違った。

 男もいたし、女もいた。

 面白いことに、みな粗末なローブだったり麻糸のチュニックだったりした。


(どこの領民なんだろう。こんなにたくさんのひとが住んでいるなんて、ふつうの洞窟じゃありえない……)


 やがてたどり着いた石の部屋は、領主の館の大広間にも似た高い天井と、それに反してまばゆい温かい光に満ちていた。

 石の柱が等間隔で続く回廊、その奥にある調度はさながら城市で旅芸人が歌ったり踊ったりする舞台そのものだ。


 ただ、あまりにも大仕掛けだった。


 ルートが目の当たりにしたのは、巨大な天球儀だった。

 中心には叙事詩圏世界。その周囲を回るのは恒星と惑星、それから月の模型が複雑な軌道を描いて回転し続けている。


 耳に絶えず、せせらぎの音が流れ込む。

 それでルートは、この模型が水車の歯車仕掛けで動く巨大な時計装置でもあることを察知した。その精巧(せいこう)なつくりに息を呑む。


 きっと北方辺境にあるという、王立の天文台であっても──

 こうも立派で作り込まれた天球儀はなかったにちがいない。


 そう確信するほどに。

 ルートは、圧倒されていたのだった。


「ようこそいらっしゃいましたね」


 呼び止められて、見る。

 貴婦人が座っていた。


 ルートはこの婦人に接したとたん、頭を下げなければならないと察した。

 こうべを垂れる。同時にヴェラステラも頭を下げている。


「おもてをあげなさい。べつに取って食いなどしないのですから……」


 ルートはあらためて貴婦人を見た。


 髪留めを駆使した複雑なシニョンでふたつの丸団子を作った髪型。

 宝冠を思わせる被り物。

 そしてその身を包む礼服。身体をほとんど晒さない独特なドレスで、時代錯誤とも思えるほどの厳粛なたたずまいだった。


 なによりも、左右色違いの()──かたや金に輝き、もういっぽうが銀にきらめく。蠱惑的な視線に惹き寄せられてしまう。

 金目銀目(ヘテロクロミア)の魔女は、そっと微笑むと、ヴェラステラのほうを見やった。


「ありがとう。わたくしのかわいい娘よ。おかげで世界は大いなる悲劇からは免れるでしょう。われらが母たちが受け継いできた教えは途絶えずに残すことができます」

「…………」

「ヴェラステラ、しばらく席を外していてくれませんか。エスタルーレの()の選択は、確かにわたくしたちにとって重要なことですが、まずなによりも、最初の最初から説明して差し上げなければなりません」

「はい。わかりましたわ。教母さま」


 ヴェラステラはそう言いつつも、ルートに対して軽く舌を見せた。

 べ、と小ばかにするしぐさを受けて、ルートも少し負けん気が出る。


 しかし彼女はさっさと引き下がってしまった。つか、つか、つかと靴音が遠ざかる。

 急に知っているものがだれもいない空間に、ルートはひとり取り残されてしまった。


 その心細い気持ちを察したかのように、〝教母さま〟は微笑んだ。

 緊張はない。むしろなつかしの血縁者にでもあったような、柔らかい印象である。


 貴婦人はおもしろいものを見るようにほんの少しだけ眉を動かした。


「さて、どこからどう、話せば良いのでしょうか」


 やさしい言葉だったが、拒絶することができないような響きだった。

 ルートはすっかりこの〝教母さま〟に身を預けて話してしまったほうが心地よい──と思ってしまった。


 だが少し考えた。

 そして。


「……あなたは、」と、ルートは言ってしまって後悔しかけたが、最後まで言い切ることにした。「いったい。いったい何ものなんですか?」

「最も古きもののひとりです。上古代(かみついにしえ)の《記憶》を語るもの。そして世界のいしずえを見て知っているものです」

「…………」

「さようなつまらない質問をするために、ここに来たわけではないのでしょう?」

「ええ、まあ」


 一瞬うつむいてから、おもむろに言う。


「でも、本題に入る前に、知りたいことがたくさんあります」

「そうでしょうね。特に、エスタのことについては──」


 おもむろに魔女は立ち上がった。


「どこへ、行くんですか」

「あなたのお母さんのところですよ」


 ごくり、と息を呑んだ。

 図らずもルートは核心に近づいている。



     †



 貴婦人は自らをマグダレーナと名乗った。

 問わず語りに、自分こそが結社〈イドラの魔女〉の頭領であることも語った。だが、ルートはその事実にあまり驚かなかった。そうだろうという気がしていたからだった。


 あの天球儀の間から、さらに奥に続く通路を、連れ立って深いところまで降りていく。

 ルートはおそるおそる、魔女のあとを追いかける。だんだんと、石洞の構成も変わってきたのか、歩いて踏みしめたところから、ほのかに青白い輝きをまといだした。


 先行するマグダレーナの光る足跡をたどりながら、ルートも歩みを進める。


 やがてたどり着いた場所は、洞窟の深淵に位置する暗がりの舞台だった。

 青白い輝きを秘めた鉱石が織りなすその空間は、地底であるにもかかわらず満天の星空の下にあるような静かな輝きをたたえた。


 その中心に、同心円上になった岩の舞台がある。二重三重に階段状にのぼるその最も高く中心の円のなかに、ほこりでも被さったような一つの影がうずくまっている。

 マグダレーナはその近くにたたずみ、まるでひさしぶりに出会った友人のようにやさしく語りかけた。

 

「エスタルーレ。あなたのかわいい()が来ましたよ」


 ルートは早鐘を打つ心臓をにぎって押さえつけるように、胸に手を置いた。そして必死に段差を駆け上がり、その人物を見た。

 醜い、醜い老婆のような身体が、祈るようにうずくまっている。


 枯れた木の枝のように渇いた手が、脚が、ぼろ布のようなローブだけを身にまとってそこにあった。

 顔はもはや見るに耐えない。

 目も開いておらず、ただ眠りこけたようにうつろに頭を揺らしている。


 もはや人間というより、地下に根を生やした植物といった具合で、いまにも枯れてしまいそうでありながらかろうじて生にしがみついている。


 そういったほうが適切だった。

 涙すらも出てこなかった。


「お母、さん」


 ゆっくりとその手に触れ、驚いて手を離した。自分でも(おのの)いた。そして罪悪感に打ちひしがれた。なぜ。なぜ──

 なぜ。その気持ちは、強い炎になってマグダレーナを見据えた。


「そうですね。あなたは怒る正当性があります。存分に怒りなさい。(ゆる)してくれなくても結構ですよ。しかし、こうすることを決めたのはエスタルーレ自身でした。わたくしはそのことを知らせると共に、あなたにあるお願いをしなければならないのです」


 ルートは黙ったまま、マグダレーナをにらみ続けていたが、やがて言った。


「続けてください」

「ええ」


 マグダレーナはうなずいた。


「まず大切なことから伝えなければなりません。〈エル・シエラの惨劇〉──その場にはわたくしもおりました。あれは聖櫃(せいひつ)城と魔術結社の対立などという、かんたんな図式では語れないほどの重大な事件でした」


 ルートはうなずいた。


「〈エル・シエラの惨劇〉で行われたのは聖櫃城の騎士による一方的な人殺しです。わたくしが知っている限り、魔女であった人間もそうでなかった人間も、関係ありませんでした。まるで知ってはいけない秘密を全員が知っているかのように、問答無用だったのです。ですが、かれらの目的はたったひとつでした──女王候補の抹殺です」

「女王……候補?」

「要するに世継ぎ争いだったのです」


 ルートはあっけに取られた。


「そんな事件に、どうしてお父さんとお母さんが……」

「ノエリク・ガルドについては、少し考えればわかるはずです。なにせ神殿都市エル・シエラへの潜入捜査と、先代女王の落とし(だね)の殺害の命を受けたのは、ほかならぬノエリクだったわけですから──」


 ルートは自分の想像を絶する話題に、とてもついていける気がしなかった。しかしマグダレーナは容赦なく畳み掛けた。


「しかし、ノエリクは真相を知って任務を放棄しました。それが〝同朋殺し〟と呼ばれた理由です。われわれは、ひとりの捨て子を守るためにともに戦いました。そして、その背後に(うごめ)いている厄介なものを知ってしまったわけです」


 ところで──と魔女は話の流れを切った。


「あなたは魔女の力がどのようなものかはご存知ですか?」

「〝草花と薬の記憶に触れて、知恵に長けている〟──そう聞いてます」

「教えてくれた人がいたのですね」


 ルートはユリア婆さんのことを思った。


「ですが、ふしぎに思いませんでしたか? それがあなたの知っている〝白魔術〟と根本的に大差ないことに」

「……それがどうしたんですか」

「じつのところ、〝魔女〟とは作られた呼び名にすぎません。魔術を用いる女──その程度の意味でしかないのです。わたくしたちも、その力をさも邪悪なものであるかのように振りかざしていますが、事実用いているのはあなたがたが言うところの〝黒魔術〟と、その原理はなにひとつ変わりのないもの」


 だんだんわからなくなってきた。

 ルートは眉をひそめる。


「つまり、何が言いたいのでしょうか」

「あなたは黒竜を倒す方法を、われわれの魔術体系のなかから答えを得ようとしている。そうでしょう?」

「……その通りです」


 だって、もしそうでなければ──

 繋がらないのだ。すべての事実が。


 なぜメリッサ村に界嘯(かいしょう)が起きたのか。

 なぜ〝ラストフ〟がいなくなったのか。

 なぜ魔女結社が魔法陣を作成し、星室庁からふたごの存在を奪取しようと試みたのか。


「あなたがたはその魔術をもって黒竜デォルグを封印していた。そしていまも、封印し直すことを諦めていないはずだ」

「一部正解、でも──」


 マグダレーナは首を振った。


「百聞は一見に如かずです。いまから《記憶》をご覧に入れましょう。あなたなら、それでおおよそのことが理解できるはずです」

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