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聖剣と魔女のミュトロジア  作者: 八雲 辰毘古
第二章 魔女と騎士
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第8話 魔女の名は。

 イシュメル・クロイスター。


 その名前を聞いて場は慄然(りつぜん)とした。

 なぜならこの名前にはふたつの意味があるからだった。


 ひとつは魔女結社〈イドラの魔女〉の幹部の一角をなす大魔女。

 そしていまひとつは──


「裏切り者がどうしてここに?」


 モレドが発した声は、憎しみを込めて放たれた。ノエリク・ガルド当人がそこにいたとしても、決してそうはならなかったであろうほどの、激しい怒りとともに。

 アデリナはその言葉の含みに他人(ひと)事ではない棘を感じ取った。それは心の奥底にはすでにばらまかれていて、うかつに足を踏み出すだけで容易に歩みを邪魔する針の絨毯(じゅうたん)のようにいきなり現れたのだった。


(裏切り者?)


 それを聞いてルートはこう思った。


(魔女結社に寝返った騎士が()()()()いる?)


 当のイシュメル本人は「裏切り者」という言葉を心地よさそうに受け流していた。


「懐かしい呼び名だ」

「この……ッ!」


 モレドほか複数人の騎士が剣を抜く。それはアデリナとシュヴィリエールの持っているものとは異なる、紛うことなき人殺しのための武器であった。

 すらりと抜かれ、魔女に切っ先を向けた白刃が、かがり火の明かりにさらされた。銀色に輝く身の部分が、乱反射して騎士の内心をギラギラとむき出しにしたかのようだった。


 イシュメルは騎士の一同を見回した。目の端は油断なく全体を見据え、ひい、ふう、みいと数をかぞえる。

 この一連のしぐさに、さざなみが立つように緊張が駆け抜けていった。


 やがて、魔女は鼻を鳴らした。


「止そう。わたしは戦いに来たのではない」

「なら、なぜ来た?」


 モレドが率先して尋ねる。


「そうだな。勧誘、といえばいいのか」

「あいにくだが、われわれは貴様のように魔道に堕ちたりはせんぞ」

「きみたちの話ではない。未来ある若者を(たず)ねてみようというだけの話だ」


 言い終わるや否や──


 風が、吹いた。

 砂や土煙をはらんだ、強い風だ。


 つかの間、騎士たちは目をかばった。その隙に乗じてかがり火が激しく揺れ動く。影がしきりに波打つと、同時にイシュメルの立ちすがたがぐにゃり、と影に包まれた。

 さながら夜の(とばり)そのものを裁ちばさみで切り取って、自らの外套(マント)()してしまったかのようだった。たちまちにして視界から消えたのだ。息もなく、音もなく、あっという間のことだった。


 次の瞬間、イシュメルは騎士たちの包囲網を突破して、じつにさりげない所作でアデリナの前に立ったのである。


「未来のあるものよ、名はアデリナと言ったか──」


 魔女は少女の目線にかがんで、言った。


「きみがあこがれてやまない〝騎士道精神〟など、しょせんはこの程度のもの。美辞(みみよい)麗句(きれいごと)を並び立ててはいるが、きみの内なる力を決して認めはしないよ。ここではきみは父君(ちちぎみ)薫陶(くんとう)を受けた〈やんちゃ娘〉でしかないのだよ。こと騎士の世界に身を投じるなら、それはずっとついて回る」


 ずっとね──

 確信を込めて続けた言葉が流星の尾のようにアデリナの心に残響した。


「どうしてなんだ? どうして」

「さあ。なぜだろうな?」


 イシュメルは首をめぐらせて騎士たちを見やった。

 張り詰めた沈黙に、さらに声を投じる。


「〈聖なる乙女〉を秩序の頂点(いただき)に持つこの叙事詩圏世界で、〝女を騎士にすべきでない〟とするその不文律はどこから来るのだろうな……?」


 図らずも、そのまなざしはシュヴィリエールをとらえた。

 シュヴィリエールは前に踏み出て、魔女の背に剣を向けた。


「そのものに、異端の教えを吹き込むな」


 魔女の目が細くなる。


「……ほう」


 立ち上がる。彼女はシュヴィリエールを頭からつま先まで見つめ、微笑みを浮かべた。


「なるほど。アスケイロンの()()()か。流行りの衣装はどうだね? その身体には狭苦しいだろう」

「……ッ!」


 シュヴィリエールは逆上した。

 全身の毛を逆立てる獣さながらの激情だった。まなじりが弓のように引っ張られ、放たれた矢のように刃が振り下ろされた。


 いくら感情的とはいえ、技術的にはキレのよい斬撃だ。

 ところがイシュメルは容赦なく片腕でこれを受け止めて、あまつさえこれを掴んだ。


 目を見開くシュヴィリエール。


「ぬるい」


 ぐぐぐ、と力で剣を押し下げる。

 抵抗するシュヴィリエールだったが、イシュメルにはかなわなかった。つかの間の駆け引きの末、刃は地面に放り投げられ、魔女の足蹴を受けて埋められてしまった。


 左の靴が剣を踏みつけ、その身をたわませる。シュヴィリエールは得物に見切りをつけて手放すが、すぐに格闘の姿勢に入った。


 だが──


「よせ、シュヴィリエール!」


 モレドの声がする。

 シュヴィリエールは反応しない。


 余裕がないのだ。

 ただ眼前の敵に集中する。

 それ以外にない。

 モレドはその背中に畳み掛ける。


「そいつは──」


 ためらうが、ついに口にした。


()()()()()騎士学校最優秀成績者だ」


 その一言に、アデリナがハッとする。


「騎士学校……?」

「そうだよ。わたしはきみのあこがれの成れの果てだ」


 イシュメルはというと、シュヴィリエールなど眼中にない様子。そのままアデリナを振り返ると、ほくそ笑む。


「言っただろう? 〝女は騎士になれない〟と」


(〝女は騎士になれない〟……)


 アデリナは心の内側にこだまするその言葉に、過去から掛けられたさまざまな声が去来するのを感じ取った。

 ヘルマン司祭の声、村の同い年のこどもの声。ばかにする声、否定する声だ。そこには悪意があるが、善意もあった。やめておいたほうがいいよ。らしくないな。オトコ女に女オトコ……嫌な言葉ばかりだ。


 しかし温かく支える声もある。疑問をハッキリと口にする声もある。


 急に、思い出した、ルートの声を。


〝どうして? 別に女のひとの騎士がいなかったわけじゃないと思うけどな〟


 あれはいつのことだったか──


 『神聖叙事詩』の英雄に名を載せている女性の英雄の名前──そのひとつひとつはハッキリと憶えてはいない。だがその音の感じが、ひとつの場面を記憶の底から呼び醒ました。まるでいまのいままで、その感情が深い眠りに落ちていたかのようだった。


 怒り。

 その気持ちはそう名付けられていた。


 嫌なことを「嫌だ」と言う。

 己を侵食する善意に拒絶を宣言する。


 なによりも──おのれの内なる力を解放し、想いをかたちにすること。


 ちょうどそのとき逆風が吹いて、かがり火を激しく揺らした。そのゆらぎが少女の背中に深い影を落とし、千々(ちぢ)に乱れる。

 だがやがて少女の背後のくらやみから、そっと一本の剣が出現した。黄金の柄に、黒いにぎりが特徴的な十字架。聖なる乙女のひたいに刻まれた、原罪のしるしと酷似した形状が燦然(さんぜん)と手に乗ると、少女はひとりの戦士となって立った。


「アタシの道は、自分で選ぶ」


 イシュメルはこの一連の変化を目の当たりにして、最初は面食らっていた。

 が、ややもすれば事態の成り行きを理解したらしく、至極残念そうに微笑んだ。


「その道には苦難しかないぞ」

「うるせえ」

「まあ、止めはしないがな……」


 イシュメルは、素早くシュヴィリエールの手放した得物を足の操作で手元に引き寄せると、一瞬で片手に持ち替えた。

 その最後の動作を完了する前に、アデリナは先手を打とうと剣を振るう。


 だが、イシュメルの剣戟は速かった。

 返す刃で強く打ち払う。

 耐えたが、アデリナは思わぬ強い一撃に両手のひらがしびれ、戦慄(わなな)いた。


「ちきしょう、なんだってン──」


 悪態をつく間もなく絡め取られて、剣ごと地面に放り出された。すぐさま立ち上がって抵抗を試みるが、たちどころにイシュメルの接近を許してしまう。

 至近距離から剣の柄を握られる。手のひらの上から掴まれたそれは、血の気がなくなるほどの握力だった。


「まあいい。()()()の正しい使い方を教えてやろうと思っていたのだがな」

「くそっ。願い下げだッ」

「母親のことは知らなくてもいいのか?」

「……ッ?!」


 イシュメルは片眉を上げた。


「エスタは命がけでいまもなお、お前たちを守っているのだぞ。もうじき果てる命だがな……」

「どういうことだ?!」

「さあな。自分の手で見つけることだ」


 イシュメルはそれだけ言って、アデリナの胴を蹴飛ばした。

 頭陀袋のように放り出された少女は、三度転がってようやく身を起こした。


 そのときだった。

 カン、カン、カン──対魔獣防衛前線の(かね)が激しく打ち鳴らされたのだ。


「魔獣が、来たぞーッ!」


 見張り台に着いていた騎士のひとりがそう叫ぶと、一同はどよめいた。

 意識が外側に向かったその、ほんの一瞬にふと我に返ったモレドは、またイシュメルのすがたをさがしもとめた。


 しかしすでに魔女の姿はなかった。


 かがり火の揺らぐ光と影のなか、どちらにも寄り添うことも出来ずにたたずんでいる父の娘たちしか、そこにはいなかったのだ。

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