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聖剣と魔女のミュトロジア  作者: 八雲 辰毘古
第一章 旅立ち
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第1話 忘れじの花を、忘れられたあなたに

 長いあいだ、夢を見ていた気がした。

 それはとてもはかなく、美しい幻──まるで(ちょう)のはばたきか、花片(はなびら)の吹き荒れる一陣の風、あるいは懸命(けんめい)に動きまわる影絵芝居のように心惑う風景が、少女の前にはあった。


 ()き通るような青、その下に広がる(あわ)い白の世界が押し寄せる。花片の舞うあたり一面、人の踏み入れない秘密の花園(はなぞの)だった。

 少女はまだ(おさな)い。息切らして走るのは、なぜだろうか。自分でもよくわからない。


 ただ、行かねばという気持ちがあった。

 だれかを探さなきゃという焦りがあった。


 風に呼ばれた気がして、立ち止まる。かすかに声の混じった風音が、激しく耳を通り過ぎる。懐かしい声。確信がある。その場所に向かって、少女は向きを変えた。

 だが、風は少女のゆくてを阻んだ。白い花片が、吹雪さながら視界いっぱいだった。立っていられない。逆風はやがて強くなり、少女の重みすら軽々と持ち上げて、それから。


 突き落とした。


(リナ、リナ……)


 声が聞こえる。知ってる声。でもそれは霞んで消えて、音だけになってしまった。


(いまはまだ……忘れないでいて……)


 水に落ちたときのように、世界が暗色に沈んでいく。花片の景色は遠ざかり、少女はひたすら背中から落ちていく。閉じていく。

 くらやみの、底の、底へ。

 落ちて、落ちて、落ちて──そして。


「ねえリナ! いいかげん起きてよ!」


 目を開いた。


 西日がまぶしくて、手でかばった。陰から少しずつわかったのは、ここはあの世でもなんでもない、いつもの場所だということだ。

 タケダカソウが生い茂る、村のはなれの入会地。草刈り場に積んである干し草の山に埋もれて、いつしか眠っていたようだった。


「ようやくお目覚め?」


 声の主は、黒いツヤ髪の少年だ。


「ん……おはよう。ルゥ」

「おはよう? いま何時だと思ってるの」

「うーん。昼は過ぎたかな」

「もうじき日没だよ。あっきれた」


 女性でもうらやむような美貌が、ふくれっ面をつくって台無しだった。


「それに、あれなに?」


 ルゥが指し示したのは、納屋のほう、破れた(かや)()き屋根があからさまに目立っていた。


「ウーン、ナンダロウナ」

「とぼけても無駄です。壊したのリナなんでしょ。あとで村長と司祭さまには言うから」

「こ、この非情もの。実の姉を密告するだなんて……ッ」

「だったらはなれ山への放牧も、冬用のサトムギの支度も、ちゃんと手伝ってよ」

「しょうがないだろ、だって……」

「だって……?」


 言いかけて、リナは何か大事なことを言い忘れているような気持ちになった。


「あれ、なんだっけ」

「どうかしたの?」

「なんか言わなきゃいけなかったんだけど、なんも出てこない」

「なにそれ」


 ルゥは口を(とが)らせる。こうなるとリナの頭では敵いっこない。

 同じ年、同じ月、同じ日。そして同じ母から生まれた。そのはずだった。でもどうしてこんなに似ていないのだろう。リナはルゥの顔をかたどる数々の部位をぼんやりと見る。青い(ひとみ)も、鼻の高さも、だいたい同じ。でも背の高さと髪の色、そして髪質が違う。ついでにいうと、頭の出来も雲泥(うんでい)の差だ。


「だいたいさ、いま思い出せないってくらいなら大したことないんじゃないの?」

「そんなことない、はずなんだけどなあ」


 ぽりぽりと頭を掻く。寝起きのせいか、やたらかゆかった。

 まるで手探りで頭の中身をまさぐるように、リナは金色のクセっ毛を掻き回した。しかし結局なにも思い出せないままだった。


「ま、いっか」

「ほらみろ。やっぱりだ」

「るせえ」


 起き上がり、上衣にまとわりついたタケダカソウの枯れ草を払う。

 先行ってるね、と夕日に向かって歩みを進めるルゥを目で追いながら、リナはやけに全身に切り傷や擦りむき傷があることに気がついた。遊びで野山を駆けまわることはあったが、何か盛大なへまをしたのだろうか。


 でもそれが思い出せれば、そもそもの苦労はしていなかった。


 風が強く吹いた。俗に言う〈竜の息吹(いぶき)〉──生暖かく冷たい風がリナの鼻をくすぐる。二回、繰り返し盛大なくしゃみをする。


「ちきしょう、なんだってんだよ」


 我ながら女っ気のない。思わず笑った。笑ったと同時に、涙が出てきた。なぜかはわからないまま泣きたい気分になっていた。

 それを腹の底に呑み込むと、リナはようやく前を向く。夜はまだ、来ていなかった。風だけがその予感を運んでいたのだった。



挿絵(By みてみん)



     †



 ふたごの住む村には、メリッサという名前が付いている。

 辺境のまた辺境、(じょ)()()(けん)としては〝さいはて〟と言われても仕方のない地域に、ぽつりとある村落で、サトムギとわずかの野菜を育て、家畜を飼って暮らしを立てている、そのようなつつましい場所であった。


 ここを治める荘園の主は、聖櫃(せいひつ)城から辺境伯の爵位(しゃくい)を戴いているオイリゲン・フェーガスである。しかし一般にフェール辺境伯と呼びならわすこの人物は、メリッサからも数里離れた城市(まち)に居を構え、年に数度の収穫期に衛士を寄越すのみだった。

 だからなのか、城市の庇護下にあるとはいえ、この村はどことなく寂れた感じがする。家屋(おもや)の数わずかに五、六軒程度。はなれ山と森を入会地とした、素朴で呑気な農と畜の集落。人間よりもけもののほうが数が多い。


 そんな村だ。


 たそがれの光のなか、はなれ山からゆるやかな傾斜をくだっていくケヅノシシの群れを尻目に、ふたごはせっせと駆けていた。村人が声を掛けるのを、あれやこれやとかいくぐりながら、ふたりは川沿いの道を進む。


「でさあ」とルゥがおもむろに、「リナはいつ〈戴冠の都〉に旅立とうっていうの?」


 リナは眉をしかめた。


「だって、なりたいんでしょ? 騎士に」

「そりゃそうだけどさ。女はなっちゃいけないんだって」

「どうして? 別に女のひとの騎士がいなかったわけじゃないと思うけどな」


 そう言いつつ、聖典から歴史上の数々の女騎士の名をあげつらう。リナにはわかる名前もあれば、よく知らない名前もあった。


「知らねえよ。どうせこないだからの魔女騒ぎで、おんなおんなってみんな目くじら立てているからさ」

「ああそういえばそうかもだ」

「否定してくれないのかよ」

「魔女狩り、怖いよ?」

「あーもう」


 リナはがっかりした。ルゥも魔女騒ぎに暗に加担するのかと苛立ちもした。


 彼らの生まれるより前から、聖典の敵として見なされた魔女たち──彼女たちはいつしか魔術結社を立て、城市を渡り歩き、聖櫃(せいひつ)城が示す王権を覆しかねない勢力へと育っていた。叙事詩圏のなかでこれに匹敵しうるのは、商人たちが寄り合うギルドだけだ。

 ふたごが物心ついたころには、聖櫃城の騎士たちは魔獣退治にくわえ、魔女結社の摘発に精を出すようになっていた。かくして魔女狩りは激化し、疑わしきは(ばっ)するという風潮がそこかしこに蔓延(はびこ)った。


(だからと言って、カンケーないアタシの進路まで邪魔してくれなくていいのにな)


 もともと魔獣退治に余念のない聖櫃(せいひつ)城は、そのお膝元(ひざもと)である〈戴冠の都〉で騎士の養成施設──通称〝騎士学校〟を設置していた。腕に自信のあるものなら、従士として採るにやぶさかではない。その言葉を真に受けてリナが夢を語ったのははるか昔のことだ。

 だがリナの洗礼親でもあるヘルマン司祭の弁によると、それは建前であって実際には厳しかろうとのことだった。


 リナは、それが気に食わない。


「どーせおんなに生まれたのがまちがいでしたよ、だ」

「ひがまないでよ」

「ついで言えばルゥみたく教導会での将来を約束されたわけでもねーし」

「やめてよ。ボクはべつに……」

「はン。知ってるよ。うまいことやってブナンな暮らしをしたいんだろ」

「よくわかってるじゃない」

「このやろう……」


 あっけらかんと受け止められると、風と相撲を取っているみたいで、むかっとした。


「ボクはゆっくり書物が読めて暮らせればなんでも良いんだよ」

「老けたシソーしやがって」

「いいじゃん、べつに。面倒くさいもん。オトコは潔く──みたいなやつ」

「ケッ、だからいじめられんだよ。もっとこう、ガツンといったれ」

「ボクはリナほど〝筋肉〟じゃない」

「あーもう知らない絶交だ絶交」

「さてここで問題です。リナが仕事をサボり、野山をほっつき歩いてるあいだ、お勤めを果たし、掃除洗濯料理すべてこなしているのは誰でしょうか?」

「くそったれ。そのまま嫁入りしてろ」

「ふーん?」

「へんだ」


 この底意地の悪さ、明るみに出たらヘルマン司祭からの印象もさぞかし悪かろうと思うリナだった。


 はなれ山からの道が切れる。ふたごの前にはシシ垣に囲まれた山の集落が見えていた。傾斜に沿って段々に、石塀(いしべい)で区切られた畑が居並ぶ。そのなかにぽつぽつとある家屋(おもや)の屋根は(かや)()きだが、夕焼けの輝きのなか、すっかり秋色に染まり切っていた。

 シシ垣の裏木戸を開け、ふたごは水車小屋を目指して歩き出す。


 村の歩道を横切ると、あばら屋とも見まごう教導会の寺院が現れた。粗末なつくりだが祈りの(いしぶみ)だけはしっかりしている。ルゥがふだんお勤めをする場所だ。

 リナは行かなくていいのか、と確認したが、ルゥは首を振った。


 ふたりはそのまま広場の傍道に逸れた。川沿いの水車小屋を横目に小さい橋を渡ると、その先にふたりの住む家──鍛冶(かじ)師である父と暮らす工房付きの小屋がある。彼らの目指す場所はそこだった。

 ところが小径(こみち)に入ったとたん、ルゥははたと足を止める。彼の目線につられてリナが見やると、その先にはヘルマン司祭がいた。いつものあごひげ、いつもの赤ら顔。しかし今日はなんだか雰囲気がちがった。目を細め、困り果てた様子で首をかしげているのだった。


「ラストフはどうした」


 司祭の質問に、ふたごは目を丸くする。


「ラストフ?」とルゥ。

「誰それ」とリナ。


 司祭は目を見ひらいていた。口をポカンと開け、なにを言われたのか、まるで理解できないようだった。


「お前たち、本当に知らんのか」

「いえ、べつに」

「そもそも名前も初めて聞きましたよ」

「そんなバカな……」


 (ふる)える手で、伸ばしたあごひげをさする。

 落ち着きのない仕草が、何かとんでもないことが起こったことを示している。不安になったルゥは、おそるおそる尋ねた。


「もし良ければ、お手伝いしましょうか?」

「ああ、そうだな。きみたちにはちゃんと手伝ってもらわなきゃならん。なぜなら──」


 と、しばらく目を閉じてから、おもむろに口を開いた。


「ラストフは、お前たちの父親だからな」

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