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聖剣と魔女のミュトロジア  作者: 八雲 辰毘古
第二章 魔女と騎士
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第6話 影と一緒に踊りましょう

「どういうことだ?」


 ガーランドは怒っていた。自分でも自覚しない沸々とした熾火(おきび)が、腹の底でくすぶる。その爆ぜる音はかれの言葉を借りて出た。


 タリム西側、場末の大衆酒場〈駒獣(コマ)の水飲み場〉亭でのことだった。あたりは暗くなり、城市(まち)のなかとはいえ、灯火は控えめにするようにお触れが出ている。

 吊り下げ式の鉄の台座が風に揺られつつ、ガーランドは隣をにらみつけた。デニスは一顧だにせず、その横顔に明滅するような陰影に身を任せている。


「どうもこうもねえよ。今言ったとおりだ。〝ノエリクのご令嬢・ご子息については、黒竜討伐任務に同行させ、その活躍次第で便宜(べんぎ)を図ってよい〟とのことだ」

「ばかな。まだ子供だぞ」

「子供でも、さ。あいつら黒の術の秘奥に触れたんだ。おれたちでもそう簡単に再現できないあの秘密に。そうだろ?」

「……」

「現状、辺境伯の事情聴取には協力的というじゃないか。だったらむやみにその生命を散らす必要はない。()()()()()()()()()()()()()?」


 ガーランドは気色ばんだ。


「その過去を蒸し返すな」

「へへッ。おまえのそういうところ、可愛いぜ」


 そう言って、デニスは立ち上がった。


「じゃあな。上層部の決定は伝えた。だからおれはお役御免だ」

「…………」

「そう怖い顔するなよ。この先何をどうすればいいのかは、おまえが一番知っているじゃないか」


 ガーランドは単眼鏡(モノクル)越しにただ、冷徹にデニスを見た。亜麻色の髪、無精ひげに顔を覆い、終始ニヤけ面を浮かべているその顔を、これほど殴ってやりたいと思ったことはなかった。

 だが、かれを非難してどうなると言うのだろう? ガーランドは内心で急速に冷静になる自分を自覚した。師匠のことを思い出す。この世界は、一度異端になった人間に対する眼が厳しい。かれはあらためて自分が何を守るべきなのかに想いを馳せた。


「じゃあな」と言うデニス。


 ガーランドにできる唯一の反抗は、わずかに首をかしげることだけだった。



     †



 しばらく時間をつぶしてから、尾行を避けて〈ルリツバメの泊まり木〉亭に戻る。

 すでに夜は深くなっていた。城門は閉じていて、最低限のかがり火以外に照明もない。火明かりが点々と石の壁に影を落とし、ガーランドの淋しい背中をやたら誇張していた。


 ふだんなら秋の収穫物を運んだ荷車と隊商の往き来が激しい時期である。当然その夜は大いに酒盛りが始まる時間だった。

 だが、騎士団及び辺境伯の指令によって、城門を閉める時刻を過ぎてからの市街地の活動は控えるよう、お達しがあったのだ。


 こうなると大通り沿いでもひと気が減る。

 閑散とした石の森に、ガーランドのほかには風だけが通るばかりだった。


 ガーランドはもう一度入念に周囲を点検すると、扉を開けた。暗がりの一階を通り抜け、二階にあるふたごの居室に向かう。その途中にある階段は古くて板がよく鳴るつくりになっていたが、ガーランドは持ち前の技術でまったく音を立てずに登りきった。


 二階の廊下には灯火があった。その明暗の落差にガーランドは、目をかすかに細めた。

 先を進む。ところがその背後から唐突に気配を感じた。


「戻りましたか」

「……ッ!」


 シュヴィリエールだった。


 密偵の訓練を受けたガーランドですら、気配に気づくには一瞬だけ遅れを取った。青年は唖然として、まだ若い騎士を見る。

 (みどり)の瞳が、アデリナとは異なる上品な金色の髪が、その人物の気品の良さと、同時に油断ならない手練(てだ)れの覇気をまとう。そのたたずまいには、たとえガーランドが悪漢だったとしても容赦なく対処できたことを示すものがあったのだが、一見するとなにげなくそこに立っているだけだったのだ。


(大したものだな。英雄家の子息は)


 ガーランドは()()のことを知っていた。


 聖櫃城は、聖女の一族を王として見なして確固たる王権を築いている。

 しかしそれは領主の中の領主としての地位でしかない。暗黒期にそれぞれ所領を持っている貴族・領主たちは依然として、やれ隣りの領国との間に架ける橋だとか、水車小屋だとかの建造をめぐって絶えず()め事を起こした。その優先度を決定し、落とし所を模索するのも王族の立派な仕事だった。


 だが、そのすべてが逐一聖櫃城に奏上(そうじょう)されてはたまらない。そこで地域ごとに領主・公家が集まって事前にものごとをすり合わせる機関ができあがった。

 それが公領主議会(ランドスラード)だ。そこでは家格(かかく)に応じた序列があった。


 旗持ち騎士。

 小領主。

 大領主。

 爵位持ちの名家たち。

 そして、英雄家。


 この階層秩序(ヒエラルキー)のもっとも高位に位置するその〝英雄家〟──

 それこそは〝建国の英雄〟として名を馳せる存在を始祖とする大貴族だったのだ。


 シュヴィリエール・アスケイロン。

 それが()()の正しい名前だ。


 聖典上のアスケイロンといえば、邪竜を剣で突き殺したという勇者の名である。

 聖なる乙女を守護する誓いを立て、自身もその想いを貫き非業の死を遂げた。


 ゆえにかれの血筋は、直系ではない。アスケイロンとともに前線を戦った弟がその血縁の祖に当たる。

 しかし重要なのはそこではない。かれらはその伝説的な活躍と功績を称えられ、爵位とは関係なく末代まで女神の加護が与えられることが約束された。代わりに英雄アスケイロンの一族は、もっとも優れた騎士として君臨し続けることを誓約したのだった。


 もちろん努力なしに騎士たりえるほど、容易なことではない。

 シュヴィリエールはそのなかで、男ではないにもかかわらず、()として育てられ、激しい訓練を受けてきた。


 その成果を、ガーランドはいまもって初めて実感したのだった。


(これほどの隠し玉を配下に据えている辺境伯もまた、油断ならない相手だと言わざるを得ないが、な)


 そんな()()がなぜ、このような辺境伯のもとで騎士をしているのか。

 ガーランドは事情を知っている。それを思うと運命のイタズラに複雑な想いを抱かずにはいられなかった。


(いずれかれらは知るだろう。すべては〈エル・シエラの惨劇〉に結びつかざるを得ないのだから──)


 だが、()()はまだその事実を知らないままだった。

 ガーランドの面持ちの裏にあるものを察知できず、小首をかしげる。


「……なにか」

「いいや。ふたりは無事だね?」

「はい。少々、手荒な絡み方をされたので実力行使をさせてもらいましたが」

「実力行使?」

「百聞は一見にしかず、かと」


 シュヴィリエールは青年を案内した。

 ガーランドがそこで見たのは、さんざんの乱闘ののちにベッドでのびているアデリナのすがたと、その隣りで眠っているルートのすがただった。


「これは……?」


 シュヴィリエールは問われるままに、アデリナとの格闘の経緯を語った。


「そうか」


 話を聞いていて、ガーランドはあることを思いついた。

 しかしそれを決定する権限はかれ自身にはなく、事情を考慮するとより危険なような気がして、口にするのははばかられた。


(星室庁長官の決定事項を()()が聞いたらどう思うだろうか)


 ガーランドはやはり、と首を振った。


(遅かれ早かれ、()()は知るだろう。だが、その時はその時だ。明日辺境伯に決定してもらえばいい)


 果たして──

 翌朝、ふたごが目覚めると、ガーランドは支度をするように命じた。シュヴィリエールを含めた四人で、辺境伯の滞在する野営地に向かう。何度も通った道、何度も見た廃れた屋敷跡だった。


 盤上のコマは連日見るたびに進行していた。このあいだの聴取では、メリッサ村の付近に赤い陣が展開しており、いまとなっては街道沿いにも拡がっている。

 訊かれずとも、これは魔獣の出没地域を示しているのは明白だった。


 その盤面に向かい合い、フェール辺境伯が腕組みをしている。それがいまになって気付いたというていで、四人組を見た。


「ほう。今日は聴取の日ではないのだが」

(とぼける演技もなかなかだな)


 第一この野営地に入った瞬間に伝令が辺境伯に報告している。それをこのかたちで受け答えするのは、余裕を示しているのか。


 ガーランドは咳払いをした。


「星室庁長官:オーディン・トルクの決定を通達する」


 フェール辺境伯はこのときになって初めて眉をひそめた。


「星室庁はふたごの身柄を完全に辺境伯に譲渡し、いっぽうはその武勇の志をもって、もういっぽうはその知恵と魔術の才をもって、黒竜討伐の任に同行することを()()する」


 このときふたごは驚きに満ちた表情でガーランドを振り返った。


「え……つまりどういうこと?」

「リナ、へんなこと言わないでよ」


 ルートはふたごの姉を制した。その目は動揺しつつも、同時にガーランドに対する失望を湛えている。


「ガーランドさん。無茶だ」

「珍しく意見の一致を得たな、少年よ。わたしもどういう経緯でそうなったのかを説明していただかないと、納得せんぞ。場合によっては公領主議会(ランドスラード)に提示し、教導会側の不当関与を訴えてもいいくらいだからな」


 フェール辺境伯の物腰は柔らかだったが、真綿の中に針を潜ませているかのように険しいものをはらんでいた。


 しかしガーランドは平然と言ってのけた。


「簡単なことです。かれらは黒の術を会得しています。訓練次第で即戦力になるかと」


 とたん、シュヴィリエールの目つきが変わった。

 フェール辺境伯が、一瞬途絶えた会話とつなぎなおす。


「……ほう。興味深いなガーランドどの。星室庁がみすみす異端を放置なさると、おっしゃっているのかね?」

「毒を持って毒を制する、というものです。ひとつ重要な秘密をお知らせしましょう」


 ガーランドは左目に掛かっている単眼鏡(モノクル)を、()()()人前で外した。

 現れたのは、右目と異なり、始めから色彩を失ったかのような左の瞳だった。


「わたしもかつて禁忌を犯した身です。大学都市である研究にいそしみ、結果として聖典の外側に逸脱しました。この目はそのときに触れた摂理(せつり)より、応報を受けたものです」

「……ッ!」


 アデリナとルートは、その言葉の意味を知って、戦慄した。


(ガーランドさんが、かつて異端だった? 黒魔術に触れて目がだめになった?)


 まるでその心の声が聞こえたかのように、ガーランドはふたごを見た。


「この目は特殊でね。単眼鏡(これ)を付けていないとろくにモノも見えない。ほんのちょっと、ほんのすこしだけ触れただけでこれなんだ。だからこそ断言できる。こんな術などこの世にあってはならない、とね」


 ガーランドはそこまで言って、ついでにシュヴィリエールのほうを見た。()()もまた、ガーランドの言葉に驚きを隠せずにいる。


「これはわたしの個人的なねがいなのですが──」


 言いながら、かれは単眼鏡(モノクル)を付け直した。


「わたしのようになる前に、かれらには力の使い方や制限の仕方を学んでほしい。そして、すでにこうしたものに触れてしまった以上、事態は星室庁が単独で隠蔽(いんぺい)するべきことではなくなったように思います。魔獣一体退治するのに掛かる労力は、とくに、正常な騎士を寄せ集めて戦うことでは割に合わなくなってきている……ちがいますか?」

「フム。否定はできんな」

「ですから──これは長官からのお言葉です──魔獣掃討作戦における黒魔術の実戦を()()()()()()()()()と、そう思うのです」

「なるほどな」


 フェール辺境伯は苦々しい表情になった。


「要するに実験台になれというわけだ。貴様ら白魔術の徒輩が考えそうなことだな」

「しかし、ねがってもみないことでありましょう?」

「…………」


 フェール辺境伯はここで大胆な行動に出た。


「きみたちはどう思うかね?」

「えっ?」


 とっさに声が出たのはアデリナのほうだった。辺境伯は平気な顔で、ふたりに重ねて質問をする。


「わかりやすく言えば……この申し出を受ければ、きみたちは騎士と白魔術士の見習いとしてわれわれと行動をともにすることになるだろう。いきなり実戦に出てもらうことになる。決して容易な戦いではない。それでも、かまわないかね?」


 アデリナは即答しようとした。が、ルートが先手を打ってふたごの姉の口を封じる。


「その場合、ガーランドさんはどうなるんですか?」

「どうもしないさ。わたしの仕事はそこで終わり。引き続き魔女結社の捜査を続ける」

「そんな無責任な……!」


 ガーランドは肩をすくめた。


「だが、これはきっといちばんきみたちにとっても利益のある選択肢だと思うね。やってみる価値はあると思うが」

「やります。やらせてくださいッ!」


 アデリナが、ふたごの弟の手を振りほどいて叫んだ。


「アタシは騎士になりたくて頑張ってきたんだ。推薦状だって持っている。だから、父さんが教えてくれたことに応えるこのチャンスを逃したくないッ」

「推薦状、とな?」


 ガーランドはほんとうにいいのか? と問う目をアデリナに払うのを忘れなかった。しかし無垢で世間知らずの少女は、その目配せの真意を気づかずにうなずいたのだった。

 ガーランドはそれでノエリク・ガルドが(したた)めた、騎士団長トリスタン・ヴァラへの書簡を取り出した。騎士学校への推薦状。表向きはそうとしか読めなかったが、字面を見たとたん、フェール辺境伯は立ち上がった。


「ノエリク・ガルド。そうか」


 かれは出し抜けにシュヴィリエールの名を呼んだ。


「アデリナの従士試験の試験官代理となりたまえ。父の仇の子だ。遠慮は要らんぞ」


 父の仇の子ども──その言葉によって、アデリナとシュヴィリエールは予期せず視線が交差する。いっぽうは困惑のまなざし、そしてもういっぽうは怒りと憎しみのまなざしによって。

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