真夜中の補修作業④
中くらいと大きな盆に、それぞれ『八日月の蒸留水』を注ぎ入れて、大きい器の方には部屋から持ってきた小瓶の中から薬液を1滴・・・いや、2、3滴振り入れる。
「くるっとかき混ぜてっと・・・ よし 出来上がり」
「 何を入れたんだ ?」
机の上の小瓶を持ち上げて、ロイドが不思議そうな顔をしている。
「 ふふ、まあ見てろって 。 ロイド、ガルゼのじーさんの本とってくれる?」
手渡された皮表紙の古冊子を、中盆になみなみと張られた水の中にそーっと沈めていく。そして、ボトルにまだ残っている蒸留水を、小さな器ーーーまだもくもくと白煙を燻らせている、香炭と葉っぱ屑の乗ったたんこぶ部分に少しずつ流し入れていく。
ジュ~~~ーーーっ!! と、 断末魔の音を立てて水の中に沈んでいく香炭と葉っぱ屑から、酷い匂いの白煙がもうもうと湧き上がるのを見て俺はハッと顔を上げた。
「 ロイドっ! この煙臭いから気をつけて・・っ」
「 ・・・ふはっ! いや、遅いだろ注意」
くくっと喉の奥を鳴らしながら、ロイドが可笑しそうに笑う。
しっかりと口元と鼻を覆っている布から出ている目元にくしゃっと皺が寄り、一気に年相応の少年らしい、あどけない雰囲気になる。
ロイドは本気で笑うと、ほんとに優しい顔になるんだ。
天使みたいな容貌とは相反して、最近のロイドは体つきも態度も、すーっかり成長してすました大人ぶっちゃってて。
女の子たちからはそこがカッコいいとか言われてるらしいけど、俺はロイドだけ先に行っちゃった気がしてなんだか気に入らなかったんだっ
ちょうど5年と半年前、入学したての友達になった頃と変わらないロイドの笑顔に、俺は胸にぽかぽかと暖かい気持ちが拡がるのを感じていた。
そしてその、ぽかぽかしたままの気持ちを呪い歌にのせて謳うんだ。
こい こい こっちに来い
あっちのみずは にがいぞ
こっちのみずは あまいぞ
こい こい こっちに来い
あっちのみずは にがいぞ
こっちのみずは あまいぞ
こい こい こっちに来い
…
短い歌をちょうど3周し終えた頃。
『八日月の蒸留水』に沈めた香炭から、先程まで燻っていた白煙が水に溶かだしたかのようなもやが、中央盆に沈む古冊子に向かってじわじわと広がっていく。
水中でもやに覆われ始めた古冊子は、嫌々をするようにしばらくふるふると震えていたが、やがてもやの切れ目からするすると、次から次に糸のようなものが伸びて水中に出てくる。
「へえ・・・紙魚か」
ロイドの青い目がきらりと輝いた。
ふうーっと息を吹きかけながら、次から次に冊子からするすると抜け出てくる、千切れた糸屑のような紙魚を見守る。
「そ! 良かったー。 うまくできた」
もやを嫌がって、古冊子から抜け出した紙魚たちは、中央盆の中のもやの薄いエリアを目掛けてふよふよと逃げ回っている。一部、水面から出てこようとするチャレンジャーもいたが、部屋の中に充満する白煙を嗅ぎ取ると嫌がって、再び水中に戻っていく。
「なるほど、この臭い煙で空気中に出てこないように蓋をしているのか」
「そそ! 外に出てこられたらこの部屋でまた大捕物しなくちゃいけないからね」
紙魚は、水中にいるより空気中を飛び回るほうがすばしこいのだ。ロイドの部屋にも古文書的な、こ難しそーな(高そーな)本がたくさんあるから、万が一そんな本を台無しにするようなことになったら大変だ!
ま、キレイ好きのロイドの部屋はガルゼのじーさんみたいに汚部屋じゃないので紙魚の入り込む隙はないのだけれど・・・びんぼー苦学生の俺じゃ、とても弁償何てできないからね!
絶対に外に飛び出してこないようにしないと。
「中央盆と大盆の境界弁は閉めたままなのか?」
「うん? あー、これはね。・・・そろそろいーか」
試薬盆の大・中・小の盆の継ぎ目、境界部分には各々薬液が混じらないよう弁を付けることができる。今は小盆と中央盆の弁は開けたまま、中央盆と大盆の境界弁は閉めた状態だ。
大盆のほうには先ほど入れた薬液が溶けきって、うっすらピンク色に染まっている。
「ほら! "こっちのみずは あまいぞ" っと」
せいやっと勢いをつけて、中央盆と大盆の境界弁を抜き取る。
もやに追い詰められて、大盆との境目に集まっていた紙魚たちが一斉に大盆の方へと流れ出ていった。
そして、深く大きな盆の中に降り積もるように集った千切れたミミズのような紙魚たちは、徐々に「元の形」を取り戻していく。
「 っ! 崩れた紙魚を戻せるのか…!」
ロイドが驚きに目を真ん丸に見開いて大盆を見つめている。
宝石みたいな青目がこぼれ出てきそうだ。
ロイドのこーゆー表情も、昔から変わんない。
「この薬液は、栄養剤みたいなものなんだよね。でもちょっと・・・うまくいきすぎかな・・・」
形態変化するように、片割れを見つけてくっついては次々に形を変えていく紙魚たちを見て、はははーっと乾いた笑いが出る。
(ここまでうまくいく呪い、ばーちゃんのしか見たことねー!)
呪いは、ばーちゃんの十八番だ。
魔法政府からの依頼は未読スルーしても、ばーちゃんの呪いを頼って《この世の果て》に来た客であれば、子供だろーと、非魔法使いだろーと、客は客だと、薬や呪いを作って渡すのが『原初の魔女』たるばーちゃんの矜持らしい。
『あたしかりゃ見りゃ、あんたら全員赤ん坊と変わらんさ』って、事あるごとにばーちゃんが言ってた。
知識も魔力も莫大で、うん千年生きてるばーちゃんからすれば、たかが数年~数10年の年の差も、魔法使いと非魔法使いの違いも屁みたいなもんらしい。
《この世の果て》に来る修復系の依頼で、古書の持ち込みっていうのは珍しくない。大事に蔵や倉庫に仕舞いこんでいた本が、気がついたら紙魚にやられてしまうのだ。
その時にばーちゃんが使う呪いが、今回俺が使った呪いと同じもの。
だけど、出来栄えは全然違う。
ばーちゃんが呪うと、紙魚たちは1文節くらいの長さまで自己修復する。
俺が呪うのでは、欠損した文字を直すのがせいぜいだ。
魔力の差もあるが、ばーちゃんは紙魚の様子を見ながら《忌虫葉》の配合を変えたり、触媒を足し引きしたりしてたので、経験値の差も大きいと思っている。
それが、今回の呪いでは紙魚たちは単語レベルまで自己修復しているではないか。
これは、間違いなくロイドの八角形(プロ仕様)の試薬盆の功績に違いなく・・・
「・・・」
「どうした?」
無言になって、じっと大盆の中の紙魚の修復を見つめる俺に、ロイドが声をかける。
別に・・・。
金持ちは良いなあなんて、思ってないもんね------っっっ涙
お読みいただきありがとうございましたm(_ _)m