雪夜に食べるミルクとクッキーは暖炉より暖かい
子の明日の守ろうと巣に籠るフクロウ夫婦や我が道を拓きながら明日を追う北極熊の親子、
そんなものに気に病む時間は無駄だと言わんばかりに喜楽に雪の中へと飛び込むキツネやそれを木々の狭間から眺めるトナカイの群れ。
様々な生命が己の欲しさをわがままに叶えてくれる――太陽から供与されたほのかな温もりを月から盗もうとする吹雪で覆われた深い深い夜の森の奥、
森の身勝手な便意を拒むが如く煙突から居心地の良い煙を立ち上げ窓から温和な明かりをさしつつ辺りを照らしながら建っている、異様に手入れが行き届いたとあるログハウスへと背の高い女性が膝上まで積もった雪道を超え足を運び扉を開き中へと身を押し入れる。
「…ぅっ……ぇへっぷしぃゃあ!…ず……んぁあ、寒っ」
豪傑なくしゃみをするログハウスの訪問者は寒さを振り払おうとまず身を震わせ体に付いた雪を振り払う。
落ちる雪粒は家の素朴な温もりで床に落ち前にすぐ溶け水滴となり、廊下のウォールキャンドルの灯りに色鮮やかに彩られる。
「ルーお姉ちゃん、何みてるのぉ?」
その様をぼーっと眺める女性の前に突如現れた赤いパジャマが似合う初々しい幼子は小さくしゃがみ込み透き通る碧眼で女性の目線の先を追いながら彼女に問う。
「んぉ、クラウス!お前、起きてたか。こんやろ!」
「きゃははは!」
曇りのない純白の問いかける幼子をクラウスと呼びかける女性は明るい声で表現したりなかった嬉しさを表情に表せながら幼子を持ち上げくるっと一回転し、そのまま抱きかかえ廊下を歩く。
「ルーお姉ちゃんおハナが赤いよ、お外さむい?」
紅葉のような手に息をかけ、女性の赤い鼻に当て温めようとするクラウスに笑みを浮かべながらクラウスの額に自身のを当て和やかに擦る女性。
「クラウスのおかげで暖かくなったよ、ありがとう」
「へへっ、どういたしましてぇ」
女性から礼の言葉を聞いたクラウスは赤いパジャマの袖をいじりながらソワソワし始める。
「…ははーん、なるほどね~。言葉じゃ足りないってか、あぁ?」
「えへへへ」
「素直な反応しやがってよこのガキ」
抑えられない満面の笑みを自身の懐に隠そうとするクラウスに心の底まで温まった女性は廊下の先、石造りの暖炉でほんわかな温度に包まれたリビングルームへとたどり着く。
着いた途端、懐から飛び降り小さな足音を立てながら暖炉前のローテーブルへと向かうクラウスを見て自身はキッチンの方へと足を運ぶ女性。
「ええと、オープンシートは~…あったあった」
得体の知れない音符を言葉に乗せながらエプロンを着ける女性。
キャビネットからオーブントレイとシートを取り出し、事前に作っておいた生地を冷蔵庫から取り出す女性はトレイの上に丸く切った生地を並べた後、とんとん拍子にオープンに入れ焼き始める。
「クラウス~?15分くらいかかるからその間リビングのお掃除でもしよう…ん?」
エプロンの紐をほどきながら振り向く女性は膝下まで伸びた小さなクラウスに気づく。
「…あのね、ルーお姉ちゃん……」
「どうしたんだ?そんなにモジモジして。トイレでも詰まらせたのか?」
「してないよ!そうじゃなくって…」
漏れそうな笑いを堪える女性に耳まで赤くなった赤面のクラウスは彼女のズボンを引っ張りリビングへと連れて行く。
あまりにもか弱い利己さにいつも負けてしまう自分に一笑する女性は毛糸や色とりどりのラッピングと紐に激しく散らかられたリビングの床に足を踏み込む。
「……ク・ラ・ウ・ス……?」
足の裏にくっついて簡単に取れないテープに思わずクラウスに怒鳴ろうとした瞬間
「はい!ルーお姉ちゃんにあげる!」
「これって…?」
「開けてみて開けてみて!!」
不器用にラッピングで包まれた箱を渡された女性はクラウスの輝く焦りに散らかったソファーに腰を落とし丁寧にラッピングを解く。
緊張と期待
どっちの感情が先に決勝線を通ったか胸を引き締めて箱を開けると、
そこには丹精塗れの無駄に長い赤と白の毛糸の何かが優しく置かれていた。
「これは…手編みの靴下?」
「ひひっ!あっ、でもこれははくものじゃないよ?これをね、こうするの!」
箱から自分で編んだ靴下を持ち暖炉へと持って行き、暖炉の横にはしごを使い壁棚にそっと置くクラウス。
「こうすればじゅんびおっけーえぇ…ふぁ~あ……」
あくびをしなから意気揚々をあらわにするクラウスの怒涛の親指と満面の笑みセット攻撃に当てられた女性はソファーに体をゆだね横になる。
「本当に…お前ってやつは……」
「あれ、ルーお姉ちゃん…どこかぐわいわるいのぉ?」
火照る顔を荒れた手で覆う女性に近づき彼女の頭を撫でるクラウス。
その小さな手が
傷一つないそのやわな手が
なんのシミにも浸った事のない無垢な手が
「分かってる」
どれだけ愛おしいか、
「分かってるから少しだけ黙って」
どれだけ儚いか、
「もう少しだけでいいから」
チンー
空気を読めないオーブンにはどうでも良いことだった。
クッキーが焼き上がったとの知らせにクラウスのモチモチした頬を軽く詰まんでソファーから立ち上がる女性は、軽くストレッチしキッチンに足を運ぶ。
オーブンからクッキーを皿に乗せ冷蔵庫から牛乳を取り出す女性。
「クラウス?あったかいミルク飲むよね?……クラウス?」
「……ぅ~……すぅ…すぅ」
牛乳をコップに注ぐ寸前、睡魔に濡れた息に気づいた女性はクッキーを布で被せリビングにまた戻り、さっき自身が寝転がっていたソファーに寝転がっているクラウスを見つける。
「……そうよね、クッキーは明日にしなきゃね」
どんな夢を見ているのかにやけ顔を落とす気配が全くない天使のようなクラウスを軽々く持ち上げ、暖炉前に置かれたロッキングチェアに彼をそっと寝かせた女性は彼のサラサラな前髪を指でどかして額に口づけを残し
「おやすみクラウス」
跡を残すほど切なさを吸い上げた言葉を言い残し、指パッチンで暖炉以外すべての灯りを消して自身の寝室へ向かう。
・・・・・・
時針、分針、秒針が空の方角へと重ね合わせ、息をするものやしないものまで日の出を渇望し始めるそんな時間ーー暖炉前でロッキングチェアに巨体を委ね自然と前後に揺らす老人が鼻歌を歌いながら暖かい飲み物を喉に通す。
まるで特定の誰かを導かせようとするーー
どこか楽しく、どこかあっけなく、どこかはしゃぎ出て、どこか有頂天な音の繋。
老人の意図がなんであれ、彼の音楽は暖炉の温かさに浸るすべての物に響き渡れ挙句、その音の目的地へと無事に辿り着いたか間もなく扉が開かれる音が老人の独奏に食い込む。
「はぁ……毎年の事だけど普通に起こしてくれてもいいんだぜ爺さん。なんなんだその鼻炎交じりの気だるい鼻歌は」
豪傑な声音で批評しつつ重たいブーツと床をぶつけ合いながら老人へと近づく若い女性
「ホゥホゥホゥ!だから君が焼いてくれたこのクッキーとあったかいミルクで気力を取り戻しているんじゃないか」
「あっお前!クッキー全部食べたのか?!あれって今夜まで持つつもりでつくったんだぞ!」
「今は夜じゃぞ?」
「単語で遊ぶな!!」
「ホゥホゥホゥ~」
仲がいいか悪いか、若い女性の無礼な言葉遣いにのらりくらりと言葉を送り返す老人は一気に暖炉の温もりより温かな感情で二人を囲む。
「さてと、そろそろ行かないと皆が起きてしまうぞ」
「そうじゃの~」
ロッキングチェアから重たい身を起こす赤が似合う顔を追う豊富な白髭の老人。
「行こうかの、お姉ちゃん」
「ゥえっ、やめろ反吐か出る」
「ホゥホゥホゥ~」
女性は老人の手を取り暖炉のあるリビングルームを出て、数時間前より長く感じる廊下を渡り、昨日より重たい扉を開きログハウスを出る二人。
静かな雪原を前に綺麗に片づけられた道の上、ぽつりと立っているサイドカー付きの赤いバイクへと二人は早歩きで向かう。
女性はバイクに、老人はサイドカーに
それぞれ見慣れた動きで準備を整えた二人は冷たい空気を飲み込んで思考を研ぎ澄ませる。
「走れルドルフ、子供たちに夢を与えに」
そして二人はバイクの轟音だけ残し夜空を切り裂きながら走る。
「ああ、任せとけ」
いつの時代も我々の夢を見せに、与えに、叶えに来るのが夢である二人。
「爺さん」
サンタ・クロースとルドルフ。
もし二人に会いたいならクッキーとあったかいミルクを食卓に置くといい。
何せサンタはまだまだ足りてないしルドルフはまだ食べてもいないから。