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7 にゃららー、にゃらりらにゃっにゃーー

バッハ トッカータとフーガ ニ短調

(鼻から牛乳のあれ)

 早々に荷作りを終えたセシリアさんは、実家に戻ることもなく街の中の新居に引っ越した。この日を見越し、自身が作った魔道具を売って稼いだ金で建てたものらしい。

 魔道具を作っていることは夫のミルトンさんには内緒だった。もしばれて元々の条件、結婚していた間の収入を折半すると結構な額を向こうに渡すことになり、この新しい家を取り上げられる恐れがあった。だからこそあの住んでいた家を手放すことに躊躇しなかったのだ。

 ミルトン邸は見た目は豪華だが、家も家財道具も年季が入っている。しかも譲ったのは家だけ、土地はスコット伯爵所有のままだ。何年住むかはわからないが年々メンテナンスもかさみ、建物だけでは売るにもなかなか売れないだろう。

 スコット伯爵には譲った家の代金代わりとして新しい通信の魔道具の製作法とその販売権が渡された。その収益だけであの屋敷にかけた金の倍以上が見込まれ、これには伯爵も折れるしかなかったようだ。


 自分の収入であの家がまかなえていたと思っていた、世間知らずのミルトンさん。家令や料理人、馭者を雇い、馬を飼い、馬車通勤を普通だと思っているけれど、長官クラスならともかく、俺達の部署でそんな生活を送れるわけがない。当然セシリアさんが家計を補助していた事は秘密で、何かあればスコット家が補助していたと話を合わせてもらうことになった。



 猫を引き取りに来るはずの元夫の部下(俺)は現れず、十日過ぎても猫のままだった俺は、セシリアさんの家で暮らすことになった。侍女のサブリナさんも一緒だ。

 ミルトン家よりは小さいながらも、オレンジ色の屋根にレンガと白い漆喰でできたかわいい家だ。内装もかわいさ重視でそれでいて甘すぎず、居心地がいい。壁の真新しい腰板を見るとうずうずするが、爪を研がないように注意しなければ。

 時々猫が庭を横切っている。今度の家の周囲にはけっこう猫がいるようだ。縄張り争いに注意しないとまた怪我を負ってしまうかもしれない。猫は猫なりに近所づきあいもうまくやらなければ。



 セシリアさんからご飯をもらい、今日も抱っこされて一緒にベッドに入る。

「あなたのおかげで無事離婚できたわ。ありがとう、ちゃーさん。私ね、猫に好かれなくて、みんな私を見ると警戒してしまうの。あなただけだった、私を見ても逃げなかったのは…。ずっと一緒よ」

 頬に頬をすり寄せると、セシリアさんの手が伸びた。俺の額に顔を埋め、手がゆっくりと背中を、尻尾を撫でる。そして眠りにつく。安心した顔で寝息を立てて。

 守れるほどの猫パンチもないけれど、こうして安らいでもらえるなら、ずっとそばに…



「きゃああああああああ!」

 悲鳴を聞いて飛び起きると、起き上がったセシリアさんが布団を掴んだままわなわなと震えていた。

「なにごとで、…ぎゃああああああああああ!!!」

 駆けつけたサブリナも悲鳴を上げた。

 キョロキョロと見回せば、世界が小さくなってる。人間も、ドアも、家具も、そういえばこんな大きさだった。広げた掌には肉球がない。あの柔らかかった毛も、…

「も、戻れた…。人間に戻れたー!!」

 嬉しさに思わずセシリアさんに抱きついたが、セシリアさんに

「きゃーーーーーーー!」

と枕を投げつけられ、サブリナに箒でバシバシと叩かれた。

 ま、まずい。

「あ、怪しい者ではないです! まずは話を、話をーーー!」

 突如現れた全裸の男に、二人は容赦なかった。


 猫になった事情を説明させてもらえるようになるまで半日かかった。

 サブリナが男物の服を手に入れてくれ、久々に来た服はちょっと窮屈で違和感があった。

「俺の名前はジョエル・シーガー、王城で下っ端の事務官をしています。ミルトンさんの部下で、あの日、ミルトンさんに出張を命じられて、その打ち合わせの席で出されたお菓子とお茶を口にしたら猫になってしまい、この家に連れて来られたんです」

 猫だった間、世話してもらったこと、助けてもらったことを感謝したけれど、もうセシリアさんは以前のような笑みを見せてくれなかった。仕方がない。今の俺にはふさふさの毛並も、ピンクの肉球も、白いひげも、愛らしい尻尾もないんだから。

 俺はもう一度お礼を言って自分の家に戻った。当然見送りもなかった。



 久しぶりに出勤すると、長官に呼び出された。周りの同僚が俺がミルトンさんに出張を命じられていたのを覚えていてくれてたものの、ミルトンさんは何の手続きもしていなくて行き先も用務も曖昧だった。

 無断欠勤を疑われ、荒唐無稽な話だと笑われるのを覚悟で、正直に猫にされてミルトンさんの自宅に連れて行かれたことを話すと、

「それでか…」

と長官は安堵の息をついた。

「応接室におまえの服が残っていて、全裸で拉致されたのではないかと噂が立っていたんだ」

 …さすが、仕事のできないミルトンさん。手ぬかりだらけだ。


 後日、人を変身させる薬を使ったことでミルトンさんは逮捕された。変身薬は違法薬物だ。

 薬の入手先が捜査されたものの、行き当たった商会は既にもぬけの殻で、売った人間も、作った魔法使いもわからないままだ。


 魔法の薬に数日の誤差はつきものらしい。十日と言われていた効き目もあくまで目安で、前倒しだったら今頃セシリアさんは偽の浮気現場を押さえられ、あの男にごっそりと慰謝料をせしめられていたことだろう。新居だって取り上げられていたかもしれない。数日遅れたくらいでちょうど良かった。


 俺が猫になっていたことは秘密にするよう言われたが、ミルトンさんに拉致されていたことは認められ、偽出張も欠勤も処罰を受けることなく職場に復帰できた。

 元の一人暮らしの一事務官に戻り、誰もいない家で過ごす。ご飯もないし、頭を撫でてくれる人も、添い寝する人もいない。元々そういう生活だったんだ。

 このまま就職してからずっと続いている毎日に戻る、はずだった。

 しかし、俺はその後、違法行為に手を染めることになる。



 次の休日。

「あんな素晴らしい薬、負けられないわ!」

 変なスイッチが入ったセシリアさんに呼び出された。

 あれから週末ごとにやばい薬を飲まされている。

 その薬を飲むと、尻尾が生えたり、耳が生えたり、ひげが生えたり、俺の体のどこかが猫化した。しかしパーツとしては1時間ほど成功することもあるけれど、全身が猫になることはなかった。

 セシリアさんはパーツだけでも猫化した部分を撫でまくり、俺は罪悪感から触られるままにしていた。猫パーツがなくなった途端元気がなくなり、それがあまりに悲しげで、消えた後も髪や顔に触れ続ける手が離れるまでじっとしていた。


 実験結果の反省会は夕食をとりながら。この飯がうまい。あの家のシェフはセシリアさんに着いてきたようだ。

 初めは猫になる薬のことばかりだったけれど、時に開発中の道具の話を聞かせてもらったり、俺のしがない役人仕事の話や聞きかじった城の噂話も聞いてくれた。

 そのうち平日も夕食に誘われ、ついでに何かと用事を頼まれるうちに自分の家に帰るよりセシリアさんちに立ち寄ることが増えていき、やがて新居の一室が俺の部屋になっていた。少しづつ増えていく自分のもの。着替えも準備され、休日は朝一番で実験し、買物や薬の素材探しにも付き合った。


 引っ越してすぐの頃、家の周りをうろついていた野良猫たちはいなくなっていた。近所の飼い猫もこの家を避けている。猫耳になった時、猫たちが「あの魔女のいる家に近寄るな。あいつはやばい奴だ」と話しているのを聞いた。猫たちは本当にセシリアさんが苦手らしい。俺はセシリアさんの唯一の猫だったんだ。



 同居を始めて一年後、俺はセシリアさんにプロポーズした。

 居候の身で、収入は遙かにおよばないけれど、実験体としてじゃなく、チャーさんでもない、俺が俺としてそばにいることを許してほしい。

 すると、セシリアさんは二つ条件を出した。


  魔道具の製作を止めないこと。

  他の人の前で全裸にならないこと。(ただし猫化した時は除く)


 俺がその条件を即座に受け入れると、セシリアさんは唯一自分に懐いた猫の代わりに、懐いた男を夫にする決意をしてくれた。







お読みいただき、ありがとうございました。

誤字脱字、ご容赦のほど。


2023.12.18 親愛なるチャーさんに捧ぐ

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