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6 ニャ?

 猫になって十日目。本当なら出張から帰るはずだった日。つまり俺が猫でなくなるはずの日だ。

 俺は人に戻るのを恐れて夫人を避けていたが、夫人は見事に俺を捕まえ、手慣れた様子で抱っこした。夫を見送る時も俺を胸に抱えたままで、それを見てにやりと笑うミルトンさんは、間もなく人に戻るだろう俺に期待を寄せていた。

 しかし、ミルトンさんが珍しく定時に帰ってきても、俺はまだ猫だった。


 新しい赤い石に交換され、裸な俺と共にいる夫人の決定的な画像を待ち望むミルトンさん。せめてもの抵抗で居間の椅子の影にいた俺を夫人は難なく見つけ、抱っこして自室に連れ帰り、今夜も布団の中に入れられた。

 抵抗しても爪で傷をつけてしまうのが怖く、爪を出せない。柔らかな肉球の抵抗など、甘えているのと同じだ。

 そして今夜も寝静まるのを待つ。頬をすり寄せられ、夫人の頬に目の上をこすりつけると、ニタァと本当に嬉しそうな、気取るところのない笑みを見せつけられる。くるりと背を向けると背中に顔を埋められて、すはーっと息がかかる。

「ちゃーさん、…好き」

 だ、ダメです、夫人。あなたは人妻で、俺はただの猫…

「ぐぅぅぅ…」

 満足した夫人の寝付きの良さは相変わらずで、俺はこの日も理性的に腕の中から抜け出すと、掛け布団の上、今日は足元に丸くなって眠った。

 そして十日目を過ぎても、俺は猫のままだった。



 翌朝、俺の姿を見るなり、ミルトンさんは怒りを見せた。人に戻った俺と夫人の決定的な証拠が撮れなかったことを怒っているのだ。俺が人に戻れないことを心配しているような様子はかけらもない。

 乱暴に捕まれ、赤い石をもぎ取ると、壁に映像を映し出したが、どれも猫と戯れる女性の図だ。ミルトンさんは赤い石を床に投げた。

「くそ、高い金を払ってこの程度かっ」

 しかし、まだ諦めきれないのか、ついさっき投げた石を拾って再度俺の首につけた。

 その日もまた、俺が人に戻ることはなかった。



 その翌日、ミルトンさんは仕事を休んでいた。朝からそわそわ、イライラしている。一方で夫人とサブリナはご機嫌で、来客の準備に忙しい。

 俺は大人しくしておくように言われ、居間のソファの上で横になっていたが、こっそりと来客の準備をするサブリナを追いかけ、隙を狙って応接室に入り込み、人目につかないところに隠れていた。


 やがて来客があった。客は二組。どちらも夫婦だった。

 応接室に来客1組目とミルトンさん、来客2組目と夫人とに別れ、向かい合って座っている。年齢的にどうやらそれぞれの親らしい。

 その後男が一人で現れた。男は大きな鞄を持っていて、両家に中立を示し机の短辺に腰を下ろすと、書類を卓上に置いた。

「かねてからの取り決め通り、『結婚後二年をして子供ができなかったことを受け、この結婚を解消する』こととします。これより手続きを開始します。…異議がある者は」

 双方、反対する者はいなかった。


「では、財産については事前の取り決め通り折半するものとし、スコット家の持参金は返却、スコット家から提供のあったこの家はスコット家に戻し…」

「おかしいじゃないか」

 異を唱えたのはミルトンさんだった。

「ずっと私が働いてこの家を支えてきたんだ。この二年間、セシリアは私の稼ぎで何不自由なく暮らしていた。子供ができなくても冷遇することなく養ってきたことをちゃんと評価いただきたい」

「それは夫として当然のことだろう」

 スコット氏はミルトンさんの言い分に納得いかないようだった。しかし夫人は薄笑いを浮かべるだけで、気にも留めていないようだ。父親であるスコット氏に、

「お話をお聞きしましょう」

と提案すると、ミルトンさんは上着の襟を引いてふん、と鼻から息を出した。


「この家を維持できたのは私の稼ぎがあったからだ。二年間の私の貢献を評価するなら、この家は私がもらってしかるべきじゃないか」

 ミルトン家の両親は青ざめた顔で息子を止めようとしたが、夫人はすんなりとこう言った。

「わかりました。この家はお譲りしますので、それで財産を折半したことにしましょう。後は持参金をご返却いただいておしまいということで構いませんわ」

 スコット氏は眉間に深いしわを寄せ、

「…おまえがそう言うなら」

と渋々なのを態度を見せたが、ミルトンさんはそれに気がついていないようだ。この家を手に入れることができてミルトンさんは満足げだ。


「家と家財道具、全てお譲りします。今月分のあなたのお給金の残りもそのままお渡ししますわ。持参金はきちんとご返却くださいね」

 ところがここまでの好条件を提示されながら、ミルトンさんは諾と言わなかった。

「子供もできないような女に二年間も費やされたんです。慰謝料をいただきたいくらいだ」

「慰謝料?」

 その言葉に、夫人の笑みが消えた。

「…私はあなたも離婚を望んでいたからそうしていたのだと思っていましたが…。結婚当初に一週間、二回やっただけで子供ができるとお思いで?」

 や、やった…?

 かなり衝撃的な発言に、両家の両親が凍り付いた。

「あなたも私と同様、離婚したいのだと思ってましたが? やりたくないからやらない。それはお互いの意思だと納得していました。いっそ初夜から手出しされないことを期待していたくらいです。それを私に原因があるようにおっしゃるのでしたら、私も慰謝料を請求しましょう」


 夫人は手の中から青い石を取りだした。それは俺の首につけられていた追跡用の石に似ていた。

 夫人が軽く触れると、そこから現れた映像はミルトンさんと浮気相手が仲良くこの家に入るところから始まり、肌を絡ませている場面までばっちり撮れていた。

「そうそう、ベッドの下からこんなものが出てきたのよ」

 サブリナが髪飾りを持ってきた。それは画像の中に写っていた女がつけていたものと同じだった。俺がベッドの下に蹴飛ばした()()だ。

「まさか、この家に女を連れ込むなんて…。浮気にも礼儀があるのではなくて?」

 さらに、街の「休憩所」の前で待ち合わせをし、仲良く中に入っていく二人。

 これは…、俺の首に着けていたあの石で撮影したとしか思えない。


「早々にけりをつけたかったので、この家で手を打つならそれでいいと思っていたのに。…あなたは離婚の際に私が不利になる条件を必死でお探しでしたでしょう? こっちもつい警戒して、これくらいの準備はしてましたのよ?」

 わなわな震えるミルトンさんを、母親が扇でぶった。

「なんてことを! これではあなたの非で離婚したことになるじゃない!」

「もう持参金は半分も残っていない。…足りない分はおまえが支払え」

「何で俺が! 勝手に使ったのは父上だろ!」

 そのまましばらく親子げんかが続き、結局それ以上の慰謝料は請求しないので即座に離婚に応じ、以後一切干渉しないこと、持参金は分割払いでもいいので一年以内に全額返金することで落ち着いた。



 家族会議のためミルトン家がミルトンさんを連れて出て行くと、スコット家の両親は娘をぎろりと睨みつけた。

「あの魔道具…、おまえ、まだ作ってたのか! あれほど魔法から手を引けと…」

「だって、夫の稼ぎだけじゃとてもこの家を維持できなかったんですもの」

 あの映像の撮れる青い石を掌の上で転がし、元ミルトン夫人はにやっと笑っていた。

「まさか、夫がお得意様だったなんてね。あんな静止画を一日分も撮れない旧製品にお金をつぎ込んでくれるなんて」


 その後の三人の話からすると、元ミルトン夫人こと、セシリア・スコットさんはスコット伯爵家の三女にして根っからの魔女だった。

 幼い頃から魔道具を作るのが趣味で、せっせと奇妙な発明をしては有益なものを父が売り出し、スコット家は莫大な財産を築きあげていた。しかし発明にのめり込むあまり家に閉じこもりっぱなしで、友人を作ることもなく、実験と称した奇行がエスカレートしていき、心配した父が堅実な役人との縁談をもってきてあのダリル・ミルトンと結婚したのだ。もっと普通になるように。魔法を使わずとも、平凡でも温かい家庭を持って、幸せになるように。

 涙ながらに語る父親の話も、セシリアさんには馬耳東風。

「魔法なしの平凡な人生なんて結局幻だったのよ、お父様。役人が真面目だなんて、ステレオタイプ(思い込み)の典型ね」


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