4 シャーーーーー!
その後二日間、ほぼ変わらない毎日だった。
俺は夫人について歩き、サンルームや暖炉の前で居眠りし、おいしいご飯をもらい、書斎には入れてもらえないから仕事の時間はちょっとだけ外に出て庭を歩く。
近くには猫を見かけることはなく、けんかをふっかけられることもない。
こんなにのんびりしたのは何年ぶりだろう。普段は休みをとっても腹が減れば飯は作るか食べに行かなければいけない。こんな三食昼寝付きなんてありえない。気がついたら猫の生活を満喫し、それが有限だということさえ忘れそうになっていた。
五日目。夫人はどこかに出かけた。毎週定例の予定らしく、サブリナもついて行き、その日は料理人も早上がりだった。
俺がおなかをすかせないよう、少し多めにご飯が盛られていた。ありがたいなあと思いながらも、だだっ広い屋敷にたった一人、いや一匹でいるのが妙に寂しく感じられた。
このままここで死んでしまっても、誰も俺がジョエル・シーガーだということにも気付くことなく、良くて家の庭に埋められ、最悪の場合はゴミと一緒に処分されてしまうのかもしれない。
サイズ感も慣れ、家の間取りもわかってきた家。暖かい暮らし。家族ともいうべき住人達(除:ミルトンさん)。本当に猫だったならこれ以上なく幸せなのに…。
馬車が止まる音がして、窓から覘くとミルトンさんが帰ってきた。
そういえば、ミルトンさんはよく金曜に休みを取っていた。一日休むこともあれば、半日のことも。
ミルトンさんは女連れだった。手慣れた様子で女の手を取り、屋敷の中に入る。
女の方も初めてではないらしく、慣れた様子で二階にあがると、ミルトンさんが何かを取りに一階に戻っても迷うことなくミルトンさんの部屋に入っていった。
そういえば、この家は夫婦別室だ。隣り合わせでもなく、貴族家によくあるという共同の寝室へのドアもない。俺がここに来てから二人が夜を共にするのを見たことがない。ミルトンさんは家を空けることが多く、夫人は毎晩俺と寝ている。…他意はなく、本当に寝てるだけだが。
ミルトンさんは酒とグラスを持ってきた。昼間っから酒を片手に楽しい情事としゃれ込むらしい。
俺に気付いたミルトンさんは、あの赤い石を取り上げ、スイッチを押した。すると石は黒くなった。それを俺にもう一度つけることなくポケットに入れ、
「あっちに行ってろ」
と声と手で追っ払った。
部屋のドアは完全には閉め切っておらず、猫一匹出入りできる程度の隙間からはしゃぐ男と女の声。それがなまめかしいものに変わっていく。
画像を撮れる石はない。あったところでミルトンさんの物だ。夫人に渡すことはできない。証拠は残せなくても証人にくらいはなれるかもしれない。…人に戻れるかどうかはわからないが。
絡み合う二人に気付かれることなく部屋に侵入し、転がっていた女の髪飾りを蹴っ飛ばしてベッドの下に転がした。夫人のものとは違う髪飾りが寝室から出てくれば、それなりに問題になるに違いない。
「あと一週間だ。…あと一週間であの女とも切れる」
「この家は私とあなたのものになるのね」
「ああそうだ。そのために二年も我慢してきたんだ。全ておまえのためだよ、キャシー」
この男は夫人と離婚したがっているのか。
俺に夫人のことを見張らせ、不貞や不正の気配がないか探っている。それは離婚の条件をより有利にするためか。今のところ夫人にその気配はなく、毎日画像を見ては悔しそうに舌打ちをしているが、もし…
もし俺が夫人の前で突然猫でない、本来の人間の姿に戻ってしまったら。裸の男と夫人が写れば体よく証拠として扱われてしまうんじゃないだろうか。
もし、あの男が俺が猫になっている何かを解除できるとしたら…。あるいは突然薬の効力が切れて…。
これはまずい。
いつ人に戻るかもわからない俺が、夫人を貶める原因になってはいけない。
あの男は十日と言ったが、それを信じていいかもわからない。
とりあえず、夜は別の部屋で寝よう。
そう決意していたのに、夫人は寝る前になると俺をなで回し、堕落の道へと誘ってくる。
最近ではちょっとぬれた手で結構力強くガフガフと毛を逆撫でされ、それをブラシでそっと整えられると、これがまたたまらん気持ちよさで、
「アウーーーー、アウウウーーー」
と、つい声を上げてしまう。お礼にスリスリと頬や額をこすりつけると、頬や耳の後ろへ口づけ、と言うより匂いを嗅いでる??
「あー、ちゃーさん、すてき。かわいすぎる…」
夫人の吐息がかかる。ああ、俺たち相思相愛かと勘違いしてしまう。
そしてそのまま、抱きかかえられて布団へGO!
猫と人、イヤラシいことなど何もなく、健全に温め合って夢の中へ。そして俺は最低限の礼儀として夫人が寝付くと布団の上に移動しながらも熱を伝え合う。
掛け布団の外だろうと、夫人のそばは温かく心地いい。時々夫人の豪快な寝返りに驚いて目が覚めると、そのまま下のクッションに移動して寝ていても、朝には
「おはよう」
ととびきりの笑顔で声がかかる。寝起きの夫人のセクシーさに、猫でありながらドキッとすることもある。
あああ、このまま猫でいたい。どうして俺は猫に産まれなかったんだろう。
俺を抱っこしたまま廊下に出た夫人に、ミルトンさんが近づいてきた。
「猫の石が落ちていたよ」
そう言って俺に手を伸ばしてきた。不用意に夫人に近寄られるのが嫌で、夫人の腕から飛び降りた。
ミルトンさんは俺の首に赤い石をつけながら顔を寄せ、
「ずいぶん仲が良くなったじゃないか」
小さく低い声でそうつぶやいてニヤニヤと笑っている。腹が立ち、思わず手をひっかいてやると、ミルトンさんが手を振り上げた。
「このっ」
俺は思わず身をすくめたが、
「お預かりしている猫よ。あなたの付け方が痛かったのでしょう?」
夫人の言葉で、ぶたれる前に手は止まり、ミルトンさんは
「ちっ」
と舌打ちしてそのまま仕事に向かった。