懺悔①
拝啓
弟さんの具合はいかがですか。
あなたの手元にこの手紙が届く頃、私はもう、この世にはいないと思います。
あの日あなたにお約束したとおり、あの鉢植えの花のことを伝えるため、筆をとります。
このようなものを送りつけて、私の懺悔と我儘に付き合わせてしまうこと、初めにお詫びします。
あの花のことをお話しするにあたって、まず、私の妻の話を聞いてください。
私は、大学時代に妻と出会い、卒業後すぐに結婚しました。妻は生まれつき心臓に病があり、数年に一度のペースで入院を繰り返すような、そんな生活を送っていました。
そしてとうとう3年前、医者から、手の施しようがないと、匙を投げられてしまいました。
私としては、遅かれ早かれ向き合うこととなる妻の死について、十分に覚悟をしていたつもりでしたが、医者からそう言われた時は、頭を大木で殴りつけられたように、酷くショックを受けました。
妻には、医者の無情な宣告について、はっきりと伝えることはできませんでした。
しかし、彼女なりに、おそらく何かを察していたものと思います。
結婚して何度目かの妻の入院生活が始まり、私も講義の間を縫って、妻を見舞うようになりました。
明日、妻の心臓が止まるかもしれない。これが最後の見舞いになるかもしれない。
そんな綱渡りのような毎日が、細々と続きました。
当時妻は、病院の個室に入院していましたが、近くの個室に、同じ病で苦しむ友達ができたと嬉しそうに教えてくれました。
入院生活に退屈した妻が、相手の部屋に通っては、話し相手になってもらっていたようです。
私が見舞いに行くと、妻のベッドが空になっていて、その友達との語らいから戻ってくる彼女を待つことも、ありました。
その日も、妻は病室を留守にしていたので、いつものように友達と楽しんでいるのだろうと考え、病室で彼女の帰りを待っていました。
妻は、ホウセンカの鉢植えを抱えて、病室に戻ってきました。
聞くと、仲良くしていた友達が、突然に亡くなってしまったというのです。
心臓の病というのは、いつ、どう転ぶか分かりません。
妻と同じ病ということであれば、昨日まで元気だったその友達が、今日には亡くなっていたとしても、決しておかしくありません。
妻は、友達との生前の約束で、彼女が大切にしていた鉢受けを譲り受けたのだと言いました。
通常、入院中のお見舞いに、土に根を張る植物を送ることは、避けるべきだと言います。
根を張ることが、病室に長く居付くことを連想させ、縁起が悪いとされるからです。
ですから、その友達が、入院中に鉢植えを大事にしていたという話を聞いて、私はどこか違和感を覚えました。
なぜそのお友達が、鉢植えの花を大事にしていたのか、私にはわかるはずもありません。
しかし、友達から譲り受けた大事な花だというのであれば、病室に置くことを、反対する理由もありません。
彼女はそのホウセンカの鉢植えを、手の届く場所に置いて大切にしていました。
それから、不思議なことが起こりました。
妻の血液検査の数値が、みるみるうちに正常値へ近づいて行ったのです。
一度は医者に匙を投げられた彼女の体に何が起こったのか、担当の医師も、ぜひ調べさせてほしいと頭を下げましたが、妻はそれを頑なに拒みました。
私としても、より精密な検査を受け、これから先何年も健康を維持できるよう、先生にお願いすべきだと説明したのですが、妻は決して受け入れませんでした。
そして、そのまま、それ以上の治療は不要ということになり、退院にこぎつけたのです。
信じられない奇跡でした。
昨年の冬まで、私と妻は、自宅で幸せな毎日を送りました。
彼女のホウセンカは、通常の開花の時期を過ぎても枯れることなく、一年中、花を咲かせ続けました。
私は不思議に思いましたが、妻は、そういう特別な品種なのよ、と笑いました。
ホウセンカの花言葉は、「私に触れないで。」
とても恥ずかしがり屋の花だから、あなたは触らないであげてねと、イタズラをする子どものように妻は笑いました。
もともと、花の世話をすることに全く興味を持たなかった私は、妻から言われるまでもなく、花に触れることはしませんでした。
しかし、あの冬の日。
私と妻の幸せは、突然終わりを告げました。