表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

衝動⑤

 翌日の14時40分。

 教授棟の入り口で身を潜め、研究室の入り口を睨みつける。

 園田教授が、研究室を出ていくのが見えた。

 教授は鍵をかけなかった。

 教授が廊下の先を曲がり、その背中が見えなくなるまで待って、私は研究室の中へ忍び込んだ。


 中庭に面した窓にはカーテンが引かれ、電気のついていない部屋は、日中だと言うのに薄暗い。

 冷房がかかったままなのか、埃っぽい匂いの冷たい空気が、すっと肌を撫でた。

 部屋の真ん中に置かれた、大きなデスクに向かう。

 そこには、ホウセンカの植わった植木鉢と、何もない植木鉢が、一つずつ。

 あのとき棚の上にあったはずのホウセンカは、今はデスクの上に、置かれていた。


 私の、私だけの、暗い赤。

 やっと、やっと、手に入れる!


 駆け寄って、鉢の中を覗く。

 そこには、私を捕らえて離さない、あれが。


 薄暗い部屋の中、わずかな光をとらえて、妖艶に、てらてらと光る、あの赤が。


 早く、この鉢を持って部屋を出なければ。

 レイが来る前に、早く。

 あぁ、でも。


 とくん


 それが小さく震えた。


 ドクン。ドクン。ドクン。


 身体中に充満した衝動が、私の心臓が。

 大きく揺れた。


 触れたい。

 今すぐに。


 誘われるように、夢見ごごちで、ゆっくりと指を伸ばした。


 とくん。


 ドクン。ドクン。ドクン。


 指先が、震えるそれに、触れる──


 パンッ!!


 それは一瞬で弾けた。

 赤黒い液体がドロドロと流れ、鉢植えの土に染み込む。


「あぁ……」

 あれに触れた手を、引く。

 確かに、触れた。この手で触れた。

 そして、一瞬にして、失ってしまった。


 それに触ってはいけない。


 いつかの教授の声が、頭の中を駆け回る。


 それに触ってはいけない。


 あぁ、それなのに私は。

 触って、しまった。


 逃げるように研究室を飛び出し、廊下を走った。

「あれ?ハナちゃん!」

 途中、小学生くらいの男の子を連れた、レイとすれ違った。

 とても言葉を返す余裕はなかった。

 レイは、弾けたあれの残骸に、何を思うだろうか。

 とにかく、あれは私が手に入れたのだ。

 誰にも渡さない。私のものだ……。


 目に入ったトイレに駆け込み、洗面台に手をついた。

 はぁはぁと息があがる。


 あれ、は、何だったのか。

 とくん、と震えていた。

 暗く、赤い。

 弾けて、赤黒い液体が飛び出す。

 あれは、あの暗くて赤い液体は。


 まさに、血液だった。


 つまり、あの植木鉢のホウセンカは、あれの中を巡る血液を吸い上げて、暗い赤に染まっていたのだ。

 土の中で、血液を巡らせ、小さく、とくんと震える何か。

 あれは、まるで小さな。


「私の、命です」


 いつかの教授の声が頭に響いた。


 ああ、あれは。

 そうだ。

 あれはまるで、小さな、


 心臓。


 触ってはいけない。


 弾けてしまった。

 種を孕んだ、ホウセンカの実のように。

 種ではなく、暗く赤い、血液を散らして。


 あの花は、枯れるのだろうか。


 あの心臓によって生かされていたのだとしたら、あれが弾けてしまった以上、もう。


 はぁはぁと、息が上がっている。

 逃げるように、走ってきたのだ。

 息が上がる。

 額を汗が流れた。

 身体中から、汗が噴き出ている。

 身体中の血が脈打ち、心臓が、大きく鼓動して……。


 しかし、その鼓動は、感じられなかった。


 そっと、自分の胸を押さえた。

 何も、感じない。

 鼓動が、消えている。

 心臓だけ、どこかにいってしまったかのように。

 胸の奥が、ひんやりとする。

 まるで、心臓だけが。

 土に、埋まってしまったかのように。


 トイレから飛び出し、研究室へと走った。

 視界にとらえた壁掛けの時計は、ちょうど、15時を指している。


 触ってはいけない。

 はじけてしまう。


 あれは、私の──


 研究室のドアに、手をかけた時。


 パンッ!


 何かが弾ける音を。


 確かに、聞いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ