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衝動③

 照りつける日差しの下、あのホウセンカの花壇の前にしゃがみ込む。

 暗く赤いホウセンカは、相変わらず、実をつける様子がなかった。

 レイはあれから、何事もなかったかのように、教授の悪口を叩いたりしながら、試験勉強を始めた。

 けれど、私は、あの日レイのほお伝った涙を、忘れることができない。

 そして、それを思い出すたび、自分に嫌気がさした。

 何事もなく、授業を受けて、あるかどうかも分からない何かを探しに、毎日花壇の前に立つ自分。

 何も生み出さない、無益な生き物のよう。

 日々命を削って生きているレイの弟と、そんな弟に必死に向き合おうと心を削っているレイ。

 毎日のように、花壇をのぞいている自分。


 私は何をやっているんだろう。


 そんなふうに考えるのに。

 ここにくるたび、今日も来てしまったと後悔するのに。

 それでも私は、花壇を覗くことをやめられなかった。


 ホウセンカの実が膨れたら、レイに教えてあげよう。

 もしかしたら、はじける前の実を摘んで、弟さんに見せてあげられるかもしれない。

 レイの実家は大学から近いと言っていたから、もしうまくいけば、この花壇を弟さんに見せられるかも。

 そのためにも、私はあの暗い赤について、きちんと理解しておかなければ。


 あの暗い赤がどこから来るのか。あの土に何があるのか。

 レイの弟が、最期に、目にするのにふさわしいものなのかどうか。


 私がきちんと知るべきだ。


 そんな言い訳を繰り返しながら、結局毎日、私は花壇に通うのだった。


 強い日差しを背中と頭に浴びながら、花壇にしゃがみ込み、少し身を乗り出して、あの暗い赤を覗く。

 暗く赤い花弁、長く伸びた葉、緑の茎、そして、黒茶の土へと目を向けて。


 それが、ふるりと震えた。


 見つけた。

 あのときの、暗い赤。


 土に埋まった何かが、ほんの少し姿を現している。

 ひしめく花と葉の間からこぼれる日の光に照らされて。

 それは、てらてらと、暗く、赤く、光っていた。

 そして、まるで怯えるかのように。

 とくん。

 また小さく、震えた。


 目が、離せなかった。

 あれは、何だろう。

 まるで世界の深淵を覗き込んでしまったような、そんな得体の知れない感動を、覚えていた。

 そして、訳もわからず、ただ、衝動が込み上げる。


 ……触れたい。


 あれに、触れたい。

 少しだけ、一度でいいから。


 左手で、周りの明るい赤と緑を押しのけ、てらてらと輝くその暗い赤に、右手を伸ばす──。


「いけません。」


 園田教授の声が、頭上から静かに落ちてきた。


「触っては、いけません。」


 思わず、伸ばした手を引っ込める。

 教授は、私の真後ろに立っていた。

 いつもは穏やかな教授の声が、張り詰めている。

 この人は、知っているのか。

 これが、何なのか。


 私は立ち上がって、教授に向き直った。

 長身の教授は、見上げなければ、目が合わない。


「なぜですか。」

「それに触ってはいけない。」

「あれは何ですか。教えてください。」


 教授は、一度、何かを思い出すように目を閉じ、そして、とても、寂しそうな顔をした。


「あれは私の、命です。」

「どういうことですか。」

「そのままの意味です。」

「意味がわかりません。理由になってません。」

「あなたには、分からなくて良いことです。」

 教授は、また静かに目を閉じ、そして、再び目を開けた時には、明らかに私を見下ろすようにして、言った。

「今後、ここに来ることは許しません。帰りなさい。」

 硬く、冷たい声だった。

 いつも柔らかな、マイクを通して聞いていた教授の声とは、まるで違っていた。

 私は、その声に気圧されるようにして、後ずさり、そのまま教授に背を向けて歩いた。



 それからしばらく、私は花壇に近付くことができなかった。

 あのときの園田教授の表情、冷たい声色が、花壇に向かおうとする私の足を踏みとどまらせた。

 しかし、一度首をもたげてしまった私の中の欲求を消すことはできない。

 あの日感じた衝動は、止まることを知らず、湧き上がり、日に日に膨れていく。


 あれは何だったのか。

 あの暗く赤い花弁の下には、一体何が植わっているのか。

 もう一度、あれを見たい。あれが何なのか、知りたい。そして。


 あれに、触れたい。


 そんな衝動を抱えたまま、園田教授の授業の日を迎えた。

 あれが一体なんなのか、教授がその答えを知っているなら。

 授業終わりに、教授を問い詰めてでも聞き出す覚悟で、教室に入った。

 そして、いつもの席に座って、窓から久しぶりに花壇を眺めた。


 ホウセンカの花壇の真ん中、あの暗く赤い株のあった辺りだけ、花がなくなっていた。

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