現実時間攻撃:疾走せよ筆
RTA、という概念がある。ざっくり大雑把には、何か存在する目標を人力にて早く攻略することを目的に進める、というものな気がする。正しい定義については後から調べて補記するとしよう。
今回は、出先から帰るまでの、実質然程でもないけど微妙に出来ることがない、暇な時間に書き切ることを目標とした、いつものYちゃん可愛い讃歌である。つまり、そういうこと。
取り敢えず、今日もまた京都の知人……最近は友人A(※)に招かれて、その愛娘Yちゃんの精気を貪りに行ったのである。……流石に語感がよろしくなさすぎるので、言い直そう。なんかこう、子守とか、買い出しの際の荷物持ちとか、そういう都合のいい扱いを受ける見返りに、美味い飯をいただきに行ったのである。
要するに、私個人の出向いた名目としては、タコパへの参加である。
そう、タコパ。略せず言うなら、タコスパーティー。
……タコ焼きパーティーではない。タコスと蛸には関係がない。私個人の感覚としては、タコパとは一般的にはタコ焼き器を囲んで思い思いにタコ焼きを作る会のことを指すと認識していたが、タコスパーティーを指すものだったそうだ。友人Aが言っていたので、それについては間違いない。
当たり前だが、私もそれについては把握の上で向かったのである。間違っても、タコ焼きを食いに行ったわけではない。……負け惜しみのはずがないだろう。ちゃんと説明は受けた。まかり間違っても、ちゃんと説明を受けていながら、当日まで勘違いしていたとかはないぞ。
いや、ガチで。どうして信じてくれないんだよ。必死になって弁明しているからといって、それが本当に間違いだと決めつけるのはどうかと思う。狼少年だって、最期には真実を言っていたじゃないか。せめて、今際の際の言葉くらいは信じてくれよ。
……まぁ、そんなことは死ぬほどどうでも良くて。そもそも赤子の可愛さを語る際に、大人のしょうもない(語弊)都合のことなど、気にかける理由すらない些事である。例えば私の中指が無惨に噛み千切られていたとしても、そんなことはどうでもいい。
……えと、何でしたっけ。まずは当日のYちゃんの昼飯(離乳食)の調達をして、フードコートで昼飯にしたんだったか。取り敢えず、然程腹が減っていた訳でもない私は、Yちゃんを預かって友人Aが昼飯を買いに行くのを見送ったのである。
んで、まぁ案の定、大泣きされた。仕方ない。そもそも母親の友人とかいう、娘からしたら
「誰だよお前、存在価値なんてどこにもないから、さっさと金だけ置いて失せろやゴミカスがよお!」
とでも言いたいレベルにクソどうでもいい存在が、不肖私である。エンターテインメント性も、KAWAIIの欠片も持ち合わせない、役立たずの私には、彼女の気分を鎮める手立てが存在しなかった。その無力に打ちひしがれながら、せめて彼女が物理的に危険な状態に陥らないように、決して目を離さず、行動を制限する程度の事しか出来なかった。あまりにも無力。
そんな無様な有様だったので、友人Aが戻ってきた時には、矢鱈安心してしまったのである。
勿論、それはYちゃんの心の安寧が戻ることへの安堵――などでは断じてない。私は、Yちゃんが泣き叫ぶことに対する責任の放棄、つまりはそれ以上は泣いたとしても私が悪いわけではないという、極めて自分本意な安堵の気持ちであった。そんなことを、いちいち言葉にする利益はない。それでも、私は敢えて懺悔する。結局のところ、善良で在りたいと願っても、私は決して聖人足り得ない。やはり、無力で矮小なゴミクズの如き存在と言える。
……まぁ、言うて他人なので。それに、赤子というものは、基本的には泣く時は泣くものである。これをなんかてきとうな人は
「母親(父親)なら、自分の子を黙らせるくらいは責任としてやれ!」
みたいな戯言をほざくこともあるだろう。気持ちは分からんでもない。だが、不可能だ。泣く時は、どうしても泣く。神ならざる我々には、赤子様が泣く理由を完全に把握し切ることは出来ないのである。無理なもんは、無理。大人が諦めてくれ、マジで。
そもそも、噂によると赤子が泣く理由の一つには「暇なので」みたいなふざけたものもあると聞く。んなもん、どうやって止めろっ言うんじゃい。同じ止めるなら、貴様の息の根止めたろかァ言うんじゃボケェ。……いや、別に誰かにそう言われた訳でもないけど。ワンチャン思われていた可能性はありそう。
何にせよ、母親が戻ったことで、安息と安寧の昼飯の時間が……とはならんのが育児なんだなと、特に出先ではそうなんだなと、観察して思っていた。
母親というものは、赤子の口に離乳食を運び、赤子の動向に気を払い、とにかく色々と忙しない。せめて誰かが役を変われば、母親にもまた「自分に割ける時間」というものが出来るのだなと、まぁ部分的にしか変わることのできない、無力な立場でそう思った。
ちゃんとやる、というのは非常に大変なものである。実際には、少々くらいなら手を抜いたところで、即時に死に至るということは稀だろう。だが、どこまでは手を抜きうるのかというのは、別に当たり前に自明という訳ではない。複数人で面倒を見ているならともかく、ワンオペレーション育児においては、ミスはたまたま致命的でないか、致命的かの二択に過ぎない。
そもそも、人の情としては、無くてよかったはずの傷などが付いてしまうことも、決して好ましくはないと思うもので。どちらにせよ、最終的には大なり小なり傷付いて生きるのが人生ではあるのだが、一方で、防ぎ得る事故というものも当然にある。大事に思うからこそ、しっかりと放任すべきところもあるのだろう。だが、それは見守りを怠っていい理由にはならない。たぶん。
……だんだん使える時間の制限が近付きつつある。そもそも時間いっぱい使うのはRTA的ではないけど。
色々あったし、特に夕方から雨が降って、本来植物園に行こうとしたところを予定を変えて再度ショッピングモール(という表現で多分いいはず)に向かい、子供の遊び場で縦横無尽に這い回るYちゃんと死闘を繰り広げた話とかもあるが、その辺は今回は割愛する。割としっかり疲れました。
なので、後は昼飯の時に、Yちゃんに思いの外強い力で左手の指を齧られたことだけ触れて終えるとする。最初は、あまりちゃんと噛めていなかったのか、然程痛くもなかったが、二度目以降はマジでしっかりと噛み付き、赤子でもこんなに強い力で噛めるのかというのを感じながら、痛みに耐えていた。
マゾか、と言われると多分そうであるが、一方でこんなに儚く脆弱な人の幼体が、日々しっかりと成長しているのだなと、その生命を力強く感じる噛み付きに、感じ入っていたのである。まぁ、もしかしたら嫌われていたのかもしれんが。つっても母親も父親もしばしば噛まれているらしいので、愛情表現の一つだと解釈しておこう。
愛とは痛々しい感情ですからね。たぶん。情愛については正直経験ないから知らん。
そんなわけで、今日の有給休暇も、休めたかというとあんまり休んだ感じしないけど、充実した日を過ごせたなと感じたわけです。稀有な機会を与えてくれた友人Aと、ひたすらに愛想の良いYちゃんに感謝を。これからも、貴女がたが健やかに、多幸の人生を歩まれることを、無力ながら祈らせていただきます。
タコスもタンドリーチキンもガーリックシュリンプも無茶苦茶美味かったよ。
あと、ルートビア飲む機会作ってくれてありがとうございやした。それはまぁ半ば勝手に飲んだだけだけど。
RTAは要するに「ゲーム開始から終了までのリアルタイムの時間経過」をスコアにするタイムアタック形式だそうです。多分。
※友人A:ホロライブのスタッフとは無関係の一般母親Aさんです