第35話 誰が魔獣を生んだのか?
「なんで、なんで! なんでセレナはお兄ちゃん達と違うの!?」
そうやって駄々をこねるのが、末の妹……セレナの悪い癖だった。
「セレナもお兄ちゃんみたいに凄い眼欲しい! お姉ちゃんみたいに変身したい! うわぁぁあん!」
セレナはただの人間だった。
オルブライト家に生まれる「神獣の力」を持った子どもは、多くても二人。兄のマーニと姉のディアナが能力を受け継いだ以上、末っ子のセレナに発現しないのは必然だった。
母はセレナが泣きわめくたびに困った顔をし、そのたびに父が同じ「ただの人間」として窘めた。
「良いかい。お父さんはなんの取り柄もない凡人だけど、お母さんを連れて逃げて、家族を作ってここに暮らしてる。どうして、お母さんに選ばれたのかわかるかい?」
「……なんでぇ……?」
父が穏やかに話しかければ、セレナはいつも、ぐずぐずと泣きながら聞き返す。
「も、もう、あなた……っ」
母は頬を赤らめつつも、父の言葉を遮ったりはしなかった。
「お母さんがね、『普通なのがいい』『普通の生活をしたい』って、言ってくれたからだよ」
父は、「ブラックベリー・フォレストの古城」で下働きをしていた。
迫害を受ける母を連れて逃げた時点でそれなりの胆力の持ち主ではあるだろうが、確かに、特異な能力など何一つ持ち合わせていない。
それは、兄妹の中で唯一「人間」である、セレナの救いでもあった。
「……あーあ。毎日毎日アッツアツで、胃もたれするぜ」
「でも、セレナは泣き止んだ。……やっぱり、父さんはすごいな」
「甘すぎる気もするけどな。ボクが『f××k』って言うとめちゃくちゃ怒るのに」
「それは兄さんが悪い」
「知ってら」
双子はセレナの癇癪に困りつつも、それを可愛いとも思っていた。
セレナは二人にとって大切な妹であり、セレナも、時折わがままを言いつつも二人によく懐いた。
「お姉ちゃん……酷いこと言ってごめんね。また遊ぼ」
「もちろん。謝れて偉いなセレナ」
「……おい、ボクは?」
「お兄ちゃんはお口悪いから謝んない」
「はぁ、何だよそれ!」
喧嘩しつつも仲睦まじい三人を、両親はいつも微笑ましく見守っていた。
「だいたい、セレナが兄妹の中で一人だけ人間だって言うなら、ボクだって一人だけ男だ」
「……兄さんも、顔は……」
「ディアナ、それ以上言ったらはっ倒すぞ」
「お兄ちゃんも、女の子になるー?」
「セレナ、やめろ。マジで悪気なく言うのやめろ」
兄妹のうち、誰もが、このささやかな日々が続くと信じていた。
……惨劇の日が訪れるまでは。
その日、セレナは熱を出して寝込んでいた。
「こほっ、こほっ、うー……」
「母さん、セレナは大丈夫か。死なないか……?」
「大丈夫よ、ただの風邪だから……」
体質によりあまり風邪を引かないディアナは、辛そうなセレナの様子を見かねて兄にこう提案した。
「兄さん、魚を捕ってこよう! セレナに栄養をつけてもらうんだ!」
「はぁ……? いきなりだな。……やってやろうじゃねーか」
末の妹のため、双子は川に出かけて魚を捕ってくることに。
「待ってろ。姉さん達が助けてやる」
「喜べ。捕ってきたら父さんがスープにしてくれるってさ」
「……よし。張り切って捕ってこよう」
……結局、兄ばかりが魚を捕獲できたため、意地を張ったディアナは帰るのが遅くなってしまった。
「お姉ちゃん、まだぁ……?」
「どうしても、セレナに食わせる魚を捕りたいらしい。今頑張ってるところだろ」
「……早く、帰って来ないかなぁ」
先に帰ったマーニと病床のセレナがそんな話をしていると、玄関先で物音が響く。
父親が出迎えたのを確認し、セレナはウキウキと弾んだ声でマーニに語りかけた。
「お姉ちゃんかな?」
「かもな。デカいのを捕ってきたかも」
「えへへ、やったぁ!」
兄の方は「小さかったらカゴの魚と取り替えてやるか……」などと考え、末妹の方は「やっとお姉ちゃんが帰ってくる!」と無邪気に思っていた。
……けれど。
少年の目の前で、末妹の幼い命は散らされた。
金色の瞳を見開き、兄は、血反吐を吐きながら「セレナ、セレナ」と、名前を呼ぶことしかできなかった。
兄も同じように魔弾で頭と胸を撃ち抜かれたが、死ぬことができず、連れ去られた。
朦朧とする意識の中、マーニは、母の声を聞いた気がした。
「マーニを返して」と……。
***
数日後、ほとぼりが冷めた頃に、母と姉が帰って来た。
「あ……あぁ……」
母はショックのあまり崩れ落ち、姉は、何一つ言葉を発することができなかった。
「……え、と……」
服装を見て、何度も何度も確認して、ディアナはようやく妹の名を呼んだ。
「セレ、ナ……?」
涙を流すことすらできず、ディアナはただただ立ち尽くしていた。
「あなた……! あなたぁぁあっ!」
別室で、母の慟哭が響き渡る。
二人の亡骸を抱え、埋葬するに至るまで……どれだけの時間がかかっただろうか。
「う、ううう……あなた……セレナ……」
母親はすっかり心が砕けた様子で、涸れることのない涙を流し続けた。
ディアナは心ここに在らずと言った様子で、ぼんやりと目の前の墓を見つめていた。
少女の執着が強すぎたからか、それとも、神の力を引き継がなくとも「オルブライト」の血を引いていたからか。
少女の無念は、葬られてなお大地に燻っていた。
少女はただ、幸せな日々が続いて欲しかった。
少女はただ、家族と過ごしたかった。
少女はまだ、死にたくなかった。
そのまま何年、何十年と時が経ち、母は命を絶ち、マーニは記憶を失い、ディアナは自分が分からなくなった。
ディアナと母が人間に掘り返されないよう、人里離れた森の奥を選んだのは、結論から言えば間違いだった。
偶然、魔獣の呪いを受けた男が人里離れた森の奥深くをさまよっていた。
偶然、自我を失っていた男は、激しい飢餓感に苛まれて食糧を探していた。
偶然、父の墓の方は無事だったが、セレナの墓は掘り返されてしまった。
「グ……ガ……アァァァッ、グ、ゥアア……」
男が掘り返した先には、少女の骨しか残されていなかった。
けれど、「呪い」は、骨だけとなった少女にも効いた。
掘り返された少女の墓に訪れるものは、もう、誰もいなかった。
「……寂しいよぉ……」
「魔獣」の呪いを受け、ある程度の形を得た少女は時間をかけて起き上がり、ふらふらとさまよった。
かつて住んでいた生家に辿り着いたが、当然、そこには誰もいない。
「おかあさん……おとうさん……おにいちゃん……おねえちゃん……」
名前を呼んでも、誰も現れない。
ただ、父や母の蔵書である魔術の本が、パタパタと風にさらされて揺れていた。
復讐を望んだのがセレナ本人の意志だったのか、魔獣の呪いによるものなのか。
それは、セレナ自身にも分からない。
***
真相を聞き、その場の誰もが沈痛な表情をしていた。
過去の記憶を失い、セレナのことも忘れてしまったマーニ(デイヴィッド)も。
自分を見失い、セレナのことが分からなくなったディアナも。
魔獣と化し、さまよう中で他者の墓を掘り起こし、いたいけな少女を「魔獣」にしてしまったランドルフも。
「ボクね……頑張ったんだよぉ」
ルーナ……いや、セレナはいつの間にやら姿を現し、くるくると踊るように回った。ローブの裾がふわりと風に舞い、球体関節の脚が現れる。
無邪気な口調で、少女は語る。
「頑張って魔術身につけて、いっぱい使えるようになったんだぁ。身体もね、作ってもらったんだよ」
「……誰に?」
絞り出すように、デイヴィッドは「兄」の声で語りかける。
「たまたま出会った人! 魔女だって言ってたけど、詳しくはわかんない。弟子にしてもらったの!」
「ボク」という口調はかつての兄の真似。
「ルーナ」という名前は姉と同じくローマ神話が由来。
生家の近くにいたのは、ランドルフを煙たがっていたのは、人間を憎んだのは……
「……ッ、ごめん、セレナ……!」
ディアナは思わず人間態に戻り、妹を力いっぱい抱き締めていた。
「ごめん、ごめん……っ」
感情を露わにし、大粒の涙を流し、ディアナは激しく慟哭した。
「すまねぇ……酷いことを……」
隣でランドルフも青ざめ、血が出るほど拳を握り締めて謝罪した。
自我を失っていたとはいえ、自分の行いはあまりに惨いことだ。謝って許されることではないが、謝らなければ気が済まない。
「本当に……すまねぇ……!」
「……ふふ」
兄に気付いてもらい、姉に抱き締められ、ランドルフに謝罪され、ルーナ……いや、セレナは満足げに微笑んだ。
「でもね、お姉ちゃんの言う通り……魔獣を増やしてたのはボクなんだよ」
望みが叶ったからか。
先程までとは打って変わって穏やかな口調で、セレナは言う。
「……セレナ……」
ディアナは何か語りかけようとして、黙り込んだ。
それは、デイヴィッドも、ランドルフも同じだった。
「ボクが魔獣を増やしたせいで、苦しんだ人がいる。傷付いた人もいる。死んじゃった人もいるかもしれない。……ボクは、別にいいやって今でもちょっと思ってるけどね。人間なんて嫌いだもん」
誰もが、何も言えずにいた。
慰めの言葉も、叱責の言葉も、許しの言葉も、何一つ。
誰もが、自分には言う資格がないと思っていた。
「話は聞かせて頂きました」
……と、そこに、草を踏み分ける足音が響く。
「へっ?」
「は……?」
「な、なぜ……」
ランドルフは思わず間抜けな声を上げ、デイヴィッドは片方だけになった眼を見開き、ディアナも困惑した様子で固まっていた。
「……え、キミ、どうやって……」
それは、普段であればこういう状況でほど余裕綽々であろうセレナも同じだった。
「ディアナ様の妹君とは知らず、不躾な真似をしたことを謝罪いたします。……貴女の『魔術』には癖がありましたので、探知させていただきました」
領主フィーバス……いや、サイラス・スチュアートは恭しく礼をし、いつものように優美な微笑みを浮かべていた。




