第9話 イノシシ狩り
イノシシ。
アジア・ヨーロッパを中心に、広い地域に生息する鯨偶蹄目の動物。これを家畜化したものが「豚」に当たる。
古来より肉は食糧、毛皮は衣服、骨や牙は装飾品や道具へと加工され、人々の生活を潤してきた。
狩りの対象として、代表的な動物の一つでもある。
……が、田畑を踏み荒らす、餌を探すために掘り返す……などの行為で作物や住居に甚大な損害を与えることもあり、「害獣」とされる場合も少なくない。
「『魔猪』は、巨大化、凶暴化などの特徴の他、『異常な食欲』が見られる場合も多い」
「そりゃ、農夫連中にとっちゃ迷惑極まりねぇ話だ」
ディアナの説明に耳を傾け、デイヴィッドは長い金髪を頭の後ろでまとめあげる。葉巻もくわえようとしたが、「臭いが邪魔になる」とディアナに取り上げられた。
先程までとは違い、琥珀の両眼は二つ揃って輝きを放っている。
「食っても食っても腹が減るってのも、不憫な話だがな」
掘り返された……というより、抉られた地面を見て、ランドルフはわずかに目を伏せた。
「……この牙の跡……。……オスか」
ランドルフの呟きに、デイヴィッドは「うへぇ」と端正な顔を不快そうに歪める。
「テメェの雌雄だけは即見分けるとこ、マジ気色悪ぃ」
「オスかメスかで変わることもあんだろ! 習性とか大事だろうが!」
ランドルフは心外だとばかりに食ってかかるが、デイヴィッドはやれやれと首を振り、続ける。
「そりゃそうだ。テメェじゃなきゃオレだって気にしねぇわ」
「なんで俺だと気にするんだよ!?」
「あァん? 言ってやろうか? 『どうせなら淑女のが良かった』って顔に出てんだよ!」
その指摘に、ランドルフは何も返せなかった。
……残念なことに、図星だったのだ。
「……。そんなこと……ねぇし」
「オイこっち見ろやボケ。否定すんならもっと堂々と否定しやがれ。頼むから」
デイヴィッドは冷や汗をかきつつ、目を逸らすランドルフの胸ぐらを掴む。
ランドルフは「まあまあ」と誤魔化すように笑い、デイヴィッドは諦めたように大きなため息をついた。
ディアナは隣で、「やはり仲が悪いのか……?」などと呟いている。
「そういや、大丈夫か?」
「何がだよ」
デイヴィッドに尋ねられ、ランドルフはやや身構えつつも聞き返した。
「ディアナは『魔術』の使い手だ。テメェなら気にするんじゃねぇかと思ってよ」
「……」
デイヴィッドの言葉は、当を得ていた。
確かに、以前のランドルフなら気にしていただろう。……ディアナの『魔術』によって救われていなければ、きっと、今でもそうだったはずだ。
「別に。俺は『道具』にゃこだわらねぇよ。槍だろうが弓だろうが魔術だろうが、その場にあるもんを使えば良い」
「……へぇ。痛い目見て、ちったァ頭も柔らかくなったか」
意外そうなデイヴィッド。
対し、ディアナは事も無げに答える。
「構わない。君が『魔術』を厭うなら、私は素手でも戦える」
その表情は、冗談を言っている様子ではなかった。
少なくともその場にいる二人は、彼女が至って真面目だと理解している。
「……いや……、さすがに素手は無理だろ……」
呆れた様子のランドルフに、デイヴィッドは「どうだろうな……」と苦い表情でぼやく。
「それが、有り得なくもねぇっつーか……」
「本人も『私は魔獣だ』とか何とか言ってたけど、さすがにあの細腕でイノシシと戦えるわけ……」
「おい」
話の途中でディアナに呼ばれ、二人は振り返る。
彼女の腕の中で、巨大なイノシシが組み伏せられていた。
腹を押さえつけられ、じたばたと暴れるイノシシの体長は、明らかにランドルフよりも大きい。
「これが例の魔猪か?」
涼しい顔で、ディアナは平然と語る。
「……俺、本当に要る?」
「要るから呼ばれてんだろうが。この程度で心折れてどうすんだコラ」
思わず遠い目になるランドルフの腹を、デイヴィッドは肘で強めに小突いた。
「ぐふっ」
腹を押さえるランドルフを尻目に、デイヴィッドは魔猪の方を向く。
「『魔獣』を一匹ずつチマチマチマチマ倒すのも仕事のうちだが、いつまでもそればっかりじゃキリがねぇ」
ディアナの剣が抜き放たれる。
銀の刀身が奔るのを見届け、ディヴィットは静かに十字を切った。
「『根本の原因を突き止める』……それも、オレらの仕事のうちだ」
そこまで言って、デイヴィッドはランドルフの方に向き直る。
「テメェには経験だけじゃねぇ。『獣』への愛がある。……できるな?」
両の眼に揃った琥珀が、かつてと変わらない輝きを放っていた。
……「とっくにくたばった」。その言葉が似つかわしくないほどに、生気のある輝きを……




