天国に続く芝生の丘
ええ、はい、なので教会まではその女性が送ってくれたんです。そのとき私は、あたらしく出来た図書館みたいなところで、途方に暮れたような顔をして立っていましたから。
あ、いえ、あの街に行ったのも別にきょうが初めてってわけじゃないんですけどね、若いころは駒場や代々木にもよく行ってましたし、そのついでというわけでもないですけど、でもほら、最近は街もひとも気が付くと変わっちゃったりしてるでしょう?
え? あ、あれね、そうそう。いちおうそのスマホのアプリってやつも使ってはみたんですけど、なんていうかほら、なんだか入り組んだ、ナビも迷子になるような場所にあったようで、だからその金髪のかたもちょっと道にまよっていたようなんですけどね。
はい? あ、いえ、娘が住んでるのはまたちょっとべつの場所で、とは言っても、私も住所を知っているだけで行ったことはないですけど、きっとあっちも来て欲しくはないでしょうしね。
ええ、ですから招待状が来たときはほんとすこし驚いたんですよ。この7年……8年だったかしら? まともに連絡も取っていませんでしたしね、子どもが生まれるってときも、私には連絡ひとつ、相談ひとつありませんでしたからね。
ああ、夫はあの子が中学のころに亡くなっているんですよ。きょうだいもいませんでしたし、母娘ふたり、それはなかよく暮らしてたましたよ。まあもちろん、私も仕事が忙しかったですし、夫の保険が下りたとは言っても生活は楽ではありませんでしたから、でも、ですけど、それでもね、あの子にさみしい想いをさせるようなことはして来ていないつもりです。うん。
あ、いえ、それはありません。あの子はほんと、芯のつよい明るい子で、きっと父親に似たんでしょうけど、男女問わず友だちも多くて、見た目もちょっと、ほら、宝塚とまでは言いませんけど、背が高くて……そうそう、そんな感じなんです。
あ、もちろんおんなの子っぽい格好も似あうんですよ、ドレスとかも。そりゃ今日いっしょに立ってたお相手のかたと比べれば見劣りはするかも知れませんけど、それでもそれは、お相手のかたが色のしろい、ちいさな感じのするかただったからで――、
え? ええええ、そりゃあもちろんキレイでしたよ、なにしろ私のむすめですからね。
そう。だからちょっとキツイところはありますけど、それでもあの子を狙って……って言うと言葉がわるいですけど、あの子を好きになってくれる男ともだちも何人かはいたんですけどね、ほら、それはもうおばさんの目から見たらばればれですから、若いおとこの子の考えることなんて。
え? あー、たとえばそうですね、あのほら、なんて言いましたっけ? かわいい感じの役者さんで、眼鏡の似合う、なんとかって朝ドラにも出てた……かみ、かみ、かみき…………そうそう、その“りゅうのすけ”くん。そのりゅうのすけくんをおとなっぽくした感じの子が高校の同級生にいて、その子とちょっといい感じになってたりもしたんですけど……うーん? まあこればっかりはねえ、だからけっきょく、その彼とはお友だち止まりだったようですけど。
ああ、いえいえ、そのへんはほら、あの子もその子もそれくらいで友だち付きあいをやめるような子たちじゃありませんし、現にきょうはその子も来てましたしね、教会に。
ええ、来てたんですよ。で、あの子のほうから私に「おばさん」って声かけてくれたんですけど、これがまたいい男になってて。 “逃がした魚”じゃないですけど……あ、いえ、あちらもなんか二年前に結婚されていたそうで、今日はただただ、ほんとうに、ただの友人として、お祝いに来てくれていたんですよ。
あ、そうそう、それで……ってこれ、ここだけのお話にして欲しいんですけどね、彼の奥さまの写真、それも見せていただいたんですけどね、ちょっと似てるんですよ、あの子に。
そうそう。ですからちょっと……あ、いや、時間はもどらないし止まってもくれないってのは十分わかってはいるんですけど、それでもほら、やっぱりよく言うじゃありませんか“ひとはみな、すこしだけ違った現実をゆめ見ている”って。
だからあの子とこの子が……え? この言葉聞いたことありません? あら? どこで聞いた言葉だったかしら?
はい?…………あ、いえ、その教会を探してくれたお友だちというのは、この子たちとはまた別のお友だちで、お相手のかたの……うーん? 聞くには聞いたんですけどけっきょくよく分からなくて……あ、でも、まあ、皆さんむすめのお友だちでもあるってのは確からしいんですけどね。
そうそう。それで、そのお友だちのみんなで教会の裏庭を会場にしてくれて。ほら、こんなご時勢ですからあんまり豪華な感じには出来ませんけど、それでもやっぱり、みなさん楽しそうで、きのうまではびっくりするぐらい暑かったですけど、きょうは少しすずしかったでしょ? 空はたかくて、風もすずしくって、さっきのほら、私を送ってくれた金髪の女性、彼女がとつぜん、教会の物置から見付けて来たって、あの、ほら、こうやって押したり引いたりして鳴らす……そうそう、そのアコーディオンで音楽を弾きはじめて、司会役のお友だちは困ってらっしゃいましたけど、みなさんグラス片手に踊りはじめて、あの子も、お式ははじまってもいないのに皆さんといっしょに踊りはじめて、髪飾りが揺れて、こっちは落ちないかどうかひやひやしてたんですけど、それでもなんだか、なんだかとってもしあわせそうで――。
え? ああ、もちろん式はきちんと上げましたよ。その司会役のかたが金髪のかたに音楽を止めるよう言って、みんなからはひんしゅくを買ってましたけど、式は式で上げないといけませんからね。
そうそう。それで司会役のかたもそうなんですけど、神父? 牧師? どっちでしたっけ? じつはそのへんよく分かってないんですけど、その、ふたりに誓いのことばを言わせる役のかたもふたりの友だちで、そのかたが式のあいだじゅうずーっとグスグス泣いてるんですよ。
そうそうそう。で、きっとあれはあのかたの奥さまなんでしょうけど、式がとまっちゃっていらいらしたんでしょうね、抱いてた赤ちゃんをとなりにすわってた女性にあずけて、舞台のところまで行って、神父役のかたを後ろに下げて、その彼の代わりにあの子たちに誓いの言葉を言わせたんですよ。
え? ああ、まあ実際、母親としてはすこし複雑な気持ちは複雑な気持ちなんですけどね、それでも……うーん、そうですね……、あのね、その誓いの言葉のあとなんですけどね、あの子たちったらなにをどうしたのか、そのままふたりしてうつむいてしまったんですよ、だって、そこからが本番みたいなもんですし、皆さんだって待たれているのに。
ですから私ね、まあ私もちょっと酔っていたんでしょうけど、だから私ね、席から立ってね、「百合子!」って、ついさけんじゃったんです。「さっさとあきらさんにキスしてあげなさい!」って。
で、それで、それからやっと、あのふたり、やっとキスをしましてね。
で、そしたら、それを合図に例のアコーディオンのかたがまた音楽をはじめられて、またみなさん踊り出しちゃって、司会役のかたはまた困ったような顔をされてましたけど、こんどはもう音楽を止めるような感じでもなくて、なんて言うんですか、そのまま、そのまま皆さん、歌ったり踊ったり、踊ったり歌ったり、そこらへんになまえも知らないようなお花がたくさん咲いてて、空は高くて、光は満ちてて、真っ白いドレスの花嫁がふたりもいて、私はずっと……、ずーっと、天国に続く芝生の丘をひとりで見てたんです。
え? あ、ごめんなさい。あら、やだ、なんかもうもう年がいもなく、こんな……、
うん? え? ああ、それはもう、はい、子どもはかわいいですよ、ほんと、とってもかわいかったです。
ほんと、ほんとにね、無理してでも、もっとはやく会っておけばよかったんですけど、やっぱりほら、この7年? 8年? は、あの子とはまともに会話らしい会話もしてなくて、色がしろくて、かわいい感じの、あきらさんによく似たおんなの子で――、
*
「おなまえは? おじょうちゃん、おなまえは?」
「…………“あい”?」
「“あいちゃん”って言うの?」
「うん?」
「おじょうちゃんのおなまえ、“あいちゃん”って言うの?」
「……“なかたに”? “あい”?」
「“なかたに あいちゃん”? いいおなまえねえ」
「……うん?」
「おじょうちゃんのおなまえ、いいおなまえね」
「……おとうさん? と、ゆりおかあさん? が? かんがえて? くれたおなまえなの」
「あら、それはよかったわねえ、あいちゃんおとしは?」
「…………うん?」
「おとし、あいちゃんのおとし、あいちゃんは、いまおいくつなの?」
「……さん?…………3つ?」
*
で、それからまたいくつかおしゃべりをして、そしたらあの子さいごに、「おばちゃん、だあれ?」って、きいて来たんですね――きいて来たんですよ。
だから私、ちょっとことばにつまっちゃって、で、それですこし、あ、いや、ごめんなさい、ほんとはぜんぜん考えなかったんですけど、それでも私、「あいちゃんのおばあちゃんよ」ってこたえたんですね――こたえちゃったんですよ、
*
ぴいぃっ。
と、ここで突然、東の空で鳥の鳴く声がして、私と彼女の会話は、一瞬途切れることになった。そうしてそれから今度は、
ぴゅぅいっ。
と、西の空で鳥の鳴く声がして私は、“良い兆し”であればよいのに。と、そんなことを想った。
*
あら、すみません。でもめずらしいですね、都内のこんな場所で……ってなんのお話をしてたんでしたっけ?
え? そうそう、それで私、あの子に「あいちゃんのおばあちゃんよ」って言っちゃったんですけど、血のつながりなんてないし、会うのもきょうがはじめてだったんですけど、それでも、その、あの子、とくに目のあたりがあきらさんによく似てて、それに、周りのひとたちもみなさん楽しそうにおしゃべりをしてて、空は高くて、光は満ちてて、真っ白いドレスの花嫁がふたりもいて、そこら中になまえも知らないようなお花がたくさん咲いていて、そよ風もふいてて、よかったですよね? 私、そういう風に言っても、よかったんですよね?
(了)
《作者注》
(その1)
この短編は、拙作『千駄ヶ谷の中心で愛を叫ぶ (https://ncode.syosetu.com/n8003hm/)』に登場する“中谷あきら”“佐々木百合子”二名の後日談として書いたものである。 であるがその場合、時代背景などを考慮に入れると、少々違和感を覚えてしまうような場面が少なからず見られるのも確かなことであるかと想う。 が、そこはそれ、作中で主人公も引用していたとおり“ひとはみな、すこしだけ違った現実をゆめ見ている”わけなので、その辺りの矛盾や違和感については、何卒ご容赦頂ければさいわいである。
(その2)
このお話のタイトルは、佐野元春さんのアルバム『フルーツ』に収録されている同名の楽曲より拝借させて頂いたし、またあの曲からは多くの示唆やひらめきを頂きもした。 なので、ここにそれを謝意と備忘のために記しておくし、もし気になられた読者の方がおられるようなら、こちらの楽曲に当たられて頂ければ、作者としては、この上ない喜びである。