夢の少女
すると、思わず足を止めた俺を見て、オトンは可笑しそうに声を上げて笑いだした。
「ははは、そこまで驚くことか?」
「だ、だって! これから俺達夜の森に行くんだよ!? 取り殺されるかも! それかやっぱ嘘なの?」
「嘘じゃねぇって。でも心配するな。ウィリ達にもウィリ達のルールがある。先ずウィリが活動出来るのは、真夜中の12時から明朝の4時まで。その点、今はまだ薄暗いとはいえ4時を回ってるだろ。もうウィリ達は寝静まったよ」
オトンはそう言って、俺を宥めるように頭を押さえてきたが信用はできない。
「で、でもそれは絶対なの? まだ夜更し……ううん、朝更かししてるかもっ!」
するとオトンは考え込むように首を捻ったあと、逆に俺に聞き返してきた。
「ふむ。ならお前がもし夜の鐘が7回鳴った時間に寝てないとどうなる?」
「……オカンに滅茶苦茶怒られる」
「そう云うことだ」
オトンの説明に、俺は漸くほっと胸をなでおろした。
うちのルールではオカンが絶対だ。
もしウィリ達にもオカンと同じような人がいるなら、ルールを破る筈がない。子供心にそう納得したのだった。
「それにな。ウィリ達は基本的に自分達のテリトリーである沼を離れることはない。誰かに呼ばれでもしない限りはな」
「誰かって?」
「新たなウィリと成る、悲しい乙女の魂さ。嘆く乙女の魂が呼べば、ウィリの女王はその魂を迎えに行く。何処へだってな。だけどその時は、ウィリが生きた人間を襲うことはないから心配するな」
俺はコクリと頷いて、またオトンの後ろを歩き出した。
オトンもまた歩き出しながら、ビビる俺を戒めるように言い聞かせてきた。
「―――確かに悲しみを胸に踊り狂う彼女らは恐ろしいな。それに子を連れた熊や、大きな群れとなった狼も同じ様に恐ろしい。だがそれらは皆、テリトリーさえ侵さなければ襲ってくることはない。無闇に怖がる必要はない」
だけどその後チラリと俺の方を振り返ったかと思うと、歯を見せてニッと笑う。
「つっても怖がることは悪いことじゃないぞ。危険から遠ざかるのは、長生きするための秘訣だからな。だが森番になりたいんだったら、彼等は皆、俺達が護る森の住民達だということを覚えとけ」
そう言って森へとまっすぐ歩くオトンの歩みには、まるでブレがない。本当に恐れていないんだ。オトンは森を知り尽くした最高の森番だから。
俺はオトンのデカい背を小走りに追いながら、尊敬の眼差しを込めて見つめた。
やっぱりオトンはカッコいい。
絶対に俺もオトンみたいな立派な森番になろう。
―――夢に出てきたヒラリオンのように、女にうつつなんて抜かさない。
オトンの教えをしっかり守って、長生きして、そしていつかオトンが自慢したくなるような立派な森番になるんだ。
だけどそれからわずか三日後のこと。
俺はオカンから、産まれて初めて真っ白な服を着せられた。
そしてそれは、俺に再びあの悪夢を再考させる出来事となるのだった。
◇
「オカン、何この服」
パリッとアイロンをあてられた黒いシャツと黒いズボンを着せられながら、俺はオカンに尋ねた。
オカンは俺のシャツのボタンを留めながら、少し沈鬱な口調で答えた。
「シュナイダーさんの所の旦那さんがね、亡くなったんだそうだよ」
すると隣で俺と同じような黒い服に着替えていたオトンがポツリと相槌を打った。
「まだ若いのになぁ。確か小さい女の子もいるんだろ? これから奥さん大変だな……」
「そうねぇ。丁度リオンと同じくらいの歳の子がいたね。ねぇあんた。暫くシュナイダーさんとこが落ち着くまで、獲物を持っていっておあげよ」
「おぅ。俺も今それを考えてたとこよ。ヒラリオンと同じくらいの子がいると思うと放っとけないよな」
……オトンとオカンったら。俺のこと好きすぎだろ。
大真面目にそう話し合っているオトンとオカンに若干照れながらも、オトンが大好きな俺は、父を亡くしたその可哀想な子に優しくしてあげようと思うのであった。
そしてその日、シュナイダーさんの家の葬儀はつつがなく進行された。
村の端にある小さな家から棺が運び出され、村の人達がその棺を森の墓地まで運ぶ。
ゆっくりと動き出した棺の後ろを、仕立て屋のおばさんが右手にユリのリースを抱え、付いて歩いていた。
おばさんの顔にはヴェールが掛かっていてその表情は読み取れないが、左手には俺と同じ位の手足が細い女の子が引かれているのが見える。
女の子は自分のオトンとの別れを悟ってか、始終しゃっくりを上げながら泣いていた。
その痛ましさに、俺もオトンの手を握って歩きながらしくしくと泣いた。
葬儀の後、仕立て屋のおばさんは葬儀を手伝った村の人達と話し込んでいた。
俺のオトンとオカンもおばさんのところに行ってしまい、俺は一人ブラブラと時間を持て余していた。
と、大人達の集団から少し離れた木陰に、さっき見た女の子が立っているのが見えた。
空を見上げ、なにやら一人でぶつぶつと喋っている。
「誰と喋ってるんだよ?」
俺がそう声を掛けると、女の子はゆっくりと俺の方を向き、今にも消えてしまいそうな程儚く笑い返してきた。
「あなた、さっき棺を運ぶとき泣いてた子ね」
「……あ、ごめん。君のほうが悲しいのにね。俺、ヒラリオン・ヴァルト」
「ヒラリオン。ううん、お父さんのために泣いてくれてて嬉しかった。ありがとう」
そう言った女の子は、まるで天使のように可愛かった。
俺は照れてしまいそうな自分を隠すため、少し素っ気なく言った。
「別に……それより一人で何してたの?」
すると女の子は軽やかなステップでクルクルと回ったかと思うと、腕を振り上げ空に向かって手を差し出し静止した。
それはとても美しいダンスの動作。
「私ね、お父さんを呼んでたの。お父さんは私がダンスすると“上手だね”って言って褒めてくれるの」
そう言って微笑む女の子の目から涙がまた溢れる。
だけど拭うこともせず、その子は踊り続けた。
「私、お父さんを呼んでたの。私の踊りを見てって。そしたらいつもお父さんは忙しくても見に来てくれたのっ……っだか………ら……―――っ…」
その時。突然その子が胸を押さえて蹲った。
俺は何が起こったのかも分からず、その子に駆け寄って大人達を大声で呼んだ。
「オトン! オカン、来て! 女の子が倒れた! 誰かっ!!」
俺の呼び声に、オトンとオカンはすぐ気付いてこちらに駆けてきた。
そして一緒に話しをしてた仕立て屋のおばさんも、顔を大慌てで女の子に駆け寄って抱き竦めた。
「大変だ、薬をっ! ジゼルや、しっかりおし! これを飲んで!」
目の前で人が倒れた事にテンパっていた俺は、その悲鳴のような声で更に驚愕した。
ジ……ゼル? この子が?
胸を押さえヒューヒューと変な呼吸をする女の子を見下ろしながら、俺はあの日の夢を思い出したのだった。
ジゼルの母は仕立て屋という設定で、ベルタ(ベルト)と名付けられています。
そこから少し考察してみました。
この『ジゼル』が初公演されたのは1841年でしたね。
で、そのちょうその頃、かの有名なマリー・アントワネットの裏の仕立て役、モード大臣こと仕立て屋ローズ・ベルタンが亡くなっているのです
。(1747年~1813年)
因みに“ジゼル”という名もフランス語で“か細い繊維(女)”という意味らしいです。
メインの女性陣がこれ程布に関わる意味で溢れているのですから深読みせずにはいられません。
ベルタ(ベルタン)・ジゼル(ベルタンが大切に作り上げたもの=マリー) → からの、ジゼルの死(マリーの死)……みたいな。
もしかしてこの『ジゼル』という死を巡る愛憎の物語には、ベルタンへの哀悼が込められた作品だったのでは……?
なんて、全ては私の妄想です。
お読みくださりありがとうございます。