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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第12章 キティホークの死闘
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第12章-② キティホークの死闘(序幕)

 キティホークの会戦。

 のちにそう呼ばれることとなるこの戦いの当初の参加兵力は、教国軍が25,000、ラドワーン軍21,000、帝国軍42,000といったところである。

 キティホークは大軍の進退に適した広闊(こうかつ)たる原野で、周辺にはやや西に下がったところに、帝国領最東端の町シュレースヴィヒがある。この町はもとはサウザングラニッドという名前でコーンウォリス公国に属していたが、帝国による同国の併合の際に改名された。帝国軍がこの地を最終防衛線として定めたのには、この人口5万人ほどの比較的大きな町を敵の手に渡してはならないとの思惑があったゆえであろう。

 帝国軍は当初、メッサーシュミット将軍の指示でこのキティホークの地に防御陣地を構築し、連合軍を待ち構える姿勢を見せた。だが滞陣が続くなか、メッサーシュミットは半ば逮捕されるようにして本国に送還され、後任のレーウ大将のもとには第七軍の異動命令が発令され、彼もやむなく戦場から大部隊を引き抜いて帝都へと差し向けた。

 レーウはヘルムス総統と軍上層部の命令に忠実であろうとしただけではあったが、第七軍の後方異動という判断には、彼の麾下(きか)に入ることとなった各軍司令官が揃って反対した。彼らはメッサーシュミット将軍に心酔していた一方で、自分たちの新たな上官であるレーウを腹の底では軽侮している。レーウはつい最近まで各軍司令官と同格の中将であったのが、今回の人事によって大将に仮昇進してこの任に就いている。それにレーウは前線の武勲が少なく、縁故によって栄達しただけの男であることは彼らの苦々しい共通認識であった。

 特にレーウを痛罵したのは、この方面の軍司令官中の先任である第四軍のリヒテンシュタイン中将である。

 彼はレーウがメッサーシュミットの後任として自らを指揮することになったというだけで激発しかねないほどに憤懣(ふんまん)やる方なかったが、第七軍を前線から下げると知って、自陣で公然と新たな上官の批判を口にした。

「こんな腰抜けの指揮官のもとで戦えるか!」

 彼自身は認めたくはないが、レーウは第二軍集団の司令官として、前線における軍務の大権を握っている。それが唯々諾々(いいだくだく)としてヘルムス総統と軍上層部に服従し、貴重な戦力を下げるというのは、腰抜けの行いである。我々は今まさに敵と対峙している。一兵も、後方に送るような余裕はない。

「将、外にあっては君命も奉ぜざるところあり。前線は前線で状況に合わせ行動すべきだ。たとえ総統閣下の命令を一時的に無視することとなってもな」

 レーウが下した命令の背景と動機が分かるだけに、なおのこと彼の語気は激しい。レーウは、前任のメッサーシュミットが過度に慎重で消極的な姿勢であったために、ヘルムス総統の不信と不興を買って更迭(こうてつ)されたことを知っており、苦しい前線の状況を知りつつも、自らの保身と総統のご機嫌伺いのため、あえて部隊と作戦を危険に(さら)す行動を選択したということである。

 さすがにヘルムス総統その人を非難の対象とすることは自殺行為であるだけに、その矛先はレーウに向けられた。リヒテンシュタインは自ら本営へ乗り込みレーウの胸倉をつかんでやるとまで息巻いたが、幕僚に説得され渋々、口をつぐんだ。

 フルトヴェングラー中将の第七軍はこのような遺恨を残しつつ、前線を去った。ちなみに第七軍は、ヴァネッサの逃走を手助けしたユンカース大尉が所属する部隊である。

 さて、クイーンとラドワーンは、ともに自陣にあって、こうした帝国軍の不可思議な動きに戸惑いを覚えていた。戸惑いつつも、情報を集め、そしてメッサーシュミットの更迭、第七軍の戦場離脱、そして教国第四師団のブリュール上陸といった敵情を次々と手にしていた。

 戦機は、まさに今。

 クイーンは、ラドワーンと緊密に連絡し、以前より立案していた作戦を実施すべく、夜陰、遊撃旅団を密かに帝国軍の後方へと迂回させた。遊撃旅団の夜間行軍における秘匿性は完璧で、決して警戒を怠っていたわけではない帝国軍の監視をかいくぐり、その補給線であるヌーナ街道を制圧下に置いて、本軍とのあいだに挟撃体制を作り上げることに成功した。

 開戦は、3月17日の午前、日が高く昇った頃である。

 帝国軍は中央にツヴァイク中将の第五軍が兵力14,000。

 第五軍の北側、左翼にリヒテンシュタイン中将の第四軍が兵力13,000。

 右翼はシュルツ中将の第八軍で兵力は12,000。

 これら三個軍が一枚の壁のような重厚さと堅実さで連なり、緊密な防御陣を形成した。

 第五軍のやや西に第二軍集団の司令部が布陣して、約3,000名の直営部隊を有している。

 第二軍集団司令部の後方はそのままヌーナ街道が西へと伸びていて、途中の三叉路から北西へ曲がると帝都ヴェルダンディ、三叉路を南に折れると教国まで接続している。

 対する連合軍は、全体として左梯団の布陣である。左翼が突出し、右翼が下がっている。一般的に斜線陣の意図は、敵に対して強い部分を突出させ、弱い側を後退させ、強い側を前に前に押し出すことで、事実上の先鋒の役割を持たせることにある。かつ、弱い側は防戦に努めて敵の攻勢に耐えるのが任務である。

 実際、連合軍はそのような配置になっている。

 左翼、すなわち帝国軍に対し最も突出しているのが、ラドワーン王の軍で、これが兵力量としては頭一つ抜けている。彼の兵21,000は、正面の帝国第八軍12,000に対して圧倒的に優勢なのである。これが激しく攻勢に出て、戦局全体を主導していこうという狙いは明らかであった。

 一方、中央は教国軍で、レイナート将軍の第三師団である。これは帝国軍の中央部を固める第五軍とはほぼ同数である。

 そして右翼は、カッサーノ将軍の第二師団であった。この部隊はデュッセルドルフの戦いで甚大な死傷者を出したため、今回の戦いに参加している兵は約10,000名に過ぎない。正対する帝国第四軍に対して、唯一、この戦線は数で劣っている。だが、クイーンの本営旗はこの師団とともにあった。確かに数が少ないとはいえ、距離的には帝国軍と最も離れているから、教国軍の本営を置く位置として不自然ではない。

 またこの時点で帝国軍は察知できていなかったが、ドン・ジョヴァンニ率いる約6,000の遊撃旅団が、戦場を大きく迂回し、帝国軍の後背に出て、その補給線を分断している。ただ主戦場での開戦時、遊撃旅団と帝国軍は20km以上離れており、しかも遊撃旅団はヌーナ街道の遮断と、万が一前線を離れた帝国第七軍が急を知って戦場に舞い戻ろうとしたときはこれを要撃すること、そして帝国軍が敗走する際に退路を断って殲滅(せんめつ)するという任務を帯びていたから、実際の戦闘参加はこの時点では予定していない。

 攻勢は、数的に優勢な連合軍から仕掛けられた。戦場最も南側のラドワーン軍が、その大兵力をもってじりじりと肉薄し、やがてラドワーンの第六の弟であるアッバース率いる4,000の先鋒部隊が突撃を開始した。この先鋒部隊には、ンジャイ王から預かった100頭ほどの軍象も混じっている。象兵を相手に戦い慣れぬ帝国軍は、その突撃を受ければ、潰走はせぬまでも算を乱すに違いない。

 先鋒のすぐ背後からは、アッバースのすぐ下の弟、アーディルがロングボウ部隊を率いて援護射撃と督戦に励むという構えである。ラドワーン軍は、超長射程のロングボウ部隊を育成し、常に軍の中心に置いている。この虎の子のロングボウ部隊には、宿敵のイシャーンもずいぶんと手を焼いてきた。ラドワーンは末の弟であるアーディルの勇気と覇気をかねてから愛しており、彼の奥の手とも言えるロングボウ部隊を預けるほどに信頼もしている。

 このロングボウ部隊が、戦闘の口火を切った。2,000本の矢が雨のように降り注ぎ、さらに数秒後にまた同じ本数の矢が放たれる。

 帝国第八軍は盾で防ぎながらも、乱戦に持ち込んで弓矢を使えなくするため、じりじりと前進する。ラドワーン軍のロングボウは、単に遠距離から一方的に攻撃するという以外に、敵の前衛を誘引し、兵力を動かすことで隙を生ぜしめるという効果がある。果然、帝国第八軍は、ラドワーン軍に対し数で劣るにも関わらず、一方的な射撃に晒されるのを嫌って微速前進している。

 ラドワーンは機を測って、先鋒のアッバースに全面攻撃に出るよう命じた。

 象兵を先頭に立て、精鋭の歩兵や駱駝(らくだ)騎兵が密集して、文字通り地響きのするような喚声と行軍で帝国軍に迫ろうとする。

 一方、友軍の戦闘開始を知るとともに帝国軍左翼の第四軍が急進し、この戦線から戦局を有利に展開しようとしている。第四軍司令官リヒテンシュタイン中将は前進の号令直前、麾下(きか)の全兵士に届けとばかりに大音を発し、

「よいか、この戦いに帝国の興亡がかかっている!者ども、命を惜しむな!ただひたむきに、敵を殺せ!目指すはロンバルディア女王の首だッ!」

 連合軍は右翼を後退させた斜線陣を敷いて、帝国第四軍に対しては及び腰である。しかもその陣営にはロンバルディア女王の旗が翻っている。数で優位にある第四軍がその弱点に対して積極的攻勢に出るのは、当然の戦術であると言えよう。

 かくてキティホークの会戦は、約12kmにもわたる長大な戦線を形成して開始された。

 それはネタニヤの会戦、ランバレネ高原の会戦、そしてデュッセルドルフの奇襲戦と並ぶ、ミネルヴァ大陸の大戦初期を彩る、最も高名な一幕の幕開きであった。

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