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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
序章 術士奇譚
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術士奇譚-⑥

 二人はそれから、毎晩、人目を盗んで逢瀬(おうせ)を重ね、(むつ)み合った。

 初夜、エルスはまるで子鹿のようにふるえ、ふるえつつもその恋い慕う男に身を(ゆだ)ね、全てを受け入れた。この娘にとっては、己の身と心を委ねきってしまうことが、すなわち想いを伝えることと理解しているようだった。いかにもうぶな少女が陥りがちな、一方的な奉仕を前提とした愛情のあり方であった。

 しかしその容姿、眼差し、声や匂い、あるいは肌の滑らかさ、情の深さ、そして心映えの美しさなど、知れば知るほど、セトゥゲルもこの娘に対してわずかずつ心がほどけ、惹かれてゆくのをどうすることもできなかった。

 ただ、彼が異常であるとすれば、そうした感情の勝手気ままな動きを、後ろ髪を無理やり引くようにして屈服させる、冷酷なほどの理性と燃え上がるような野心の強さにあったろう。

 彼はあくまで、自らが力を手に入れるために、この娘を利用しようとしているに過ぎない。

 その根幹だけは、決して崩れることはなかった。

 エルスの肉体が、セトゥゲルの手で花がほころびるように急速に成熟し、女としての(よろこ)びを覚えるようになって、彼はいよいよ、溺れるような激しさと一途さでこの娘を求め、抱いた。

 抱いたあと、枕をともにしながら、彼は術と術者に関する知識を貪欲(どんよく)に吸収した。

 エルスはもはや一切の警戒、一切の疑念も持たず、問われるままに答えた。

「そうか、七つの術式は、術者その者の性格が反映され与えられるのか」

「はい、術者の家系では、その者の持って生まれた気質によって、予め七つの術式のいずれかが与えられるようです。ただ逆に」

 生まれた時に天から与えられた術式によって、その者の気質が(はぐく)まれるのかもしれず、気質と術式のどちらが先かはよく分かっていないらしい。

「七つの術式と、それぞれに与えられた気質とは?」

「確か」


 光 天意

 風 慈悲

 雷 野心

 炎 勇気

 水 冷徹

 氷 威厳


「土は?」

 土は情愛、とエルスははにかみつつ破顔した。なるほど、情愛のあふれるように深いこの娘にふさわしい術式であった。

 術者の家系についても、詳しく尋ねた。

「私は祖父から術を授かりました。姉のアルトゥもムングも。祖父の直系の子である母は、術者としての才覚に乏しかったらしく、祖父の導きを受けることはなかったそうです。私を産んですぐに亡くなり、父も後を追うようにして亡くなったと聞いています。私たちは祖父に育てられ、それぞれに術を授かりました。私が導きを受けたのは、8つの頃」

「導き?」

「術者が、後進に目覚めの機会を与えることを言います。思念の扱い方を(さと)し、きっかけを示して術者たらしめます。あとは、導きを受けた術者自身が、鍛練や経験を通じて、自らを高めてゆくことで、術を錬磨してゆくのです」

 近づいた、とセトゥゲルは内心で(はや)った。大いに、核心に近づいている。この秘密を解き明かせば、彼が神にも等しい力を手に入れることができるであろう。

 単刀直入に切り込むか、とセトゥゲルは決断した。ここはさらに慎重を期すべきところだが、いつまでエルスとこのようにしていられるか分からない。エルスの姉や、彼の上官が戻ってきてしまえば、自由に動けなくなってひどくやりづらくなるだろうし、もし離れ離れになればこのひと月の苦労は無駄になる。

 彼は急いでいた。

「それで、術者になるには、やはり術者の血が欠くべからざるものなのか」

「あの」

 エルスは不安げな表情を浮かべた。この娘は、表情さえ見れば心理を容易に察することが可能である。愚かなほど、素直な娘であった。

「私をお嫌いになりませんか?」

「嫌いになる、なんのことだ」

「私は嘘をついておりました。実は導きさえ()れば、能ある者は誰でも術者になれるのです」

「私がお前を嫌うはずがない。お前は無二の者だ。かけがえのない女だ」

 すぐに、彼女は喜色を満面に浮かべた。

 その無邪気さを、セトゥゲルはこの上なく愛おしく思った。嫌いになるはずもなかろう。

 これほどの福音(ふくいん)をこの自分にだけ教えてくれるのは、まさに天女ではないか。

「その導き、私に施してほしい」

「それだけは」

「エルス、聞いてくれ。私はお前を守りたい。ともに暮らしたい。二人で、ともに白髪になるまで寄り添いたい。そして(いくさ)はやめて、争いのない豊かで穏やかな世をつくりたい。そのために、私に力を授けてくれないか」

「祖父は言いました。我らの術は、心にほんのわずかでも(けが)れがある者が扱えば必ず災いをもたらすと。世界を滅ぼすもとだと」

「私がそのように卑しく、不純な者に見えるか」

 エルスは黙った。長いこと黙った。彼女のなかで、セトゥゲルへの情と、戒律を奉ずる理とがせめぎ合っているようだった。二人はずいぶんと長いこと、飽くこともなく無言のまま互いを見つめた。

 セトゥゲルはひたすら待ちながら、確信していた。この娘は迷っている。迷った末、この娘ならば必ず、最後には理よりも情を重んずるということを。

 情愛に生きるというこの娘の気質を、彼は心でも肌でも感じ取っていた。

 やがてエルスは、全てを悟り、受け入れたかのような優しい表情でひとつ、(うなず)いた。

 禁忌が破られ、滅びの鐘が鳴った瞬間であった。

 エルスはただ、罪から逃れるように、別のことを言った。

「あなたと二人で、生きていきたいです。私のことを、とこしえにかわいがってください」

「約束する」

 二人は夜が明けるまで、力尽きるばかりに抱き合った。セトゥゲルの愛欲と激情を叩きつけられるような力強さで味わいながら、エルスはついに極まって幾たびか涙した。

 その姿が、悲しいほどにはかない。

 彼女が生まれて初めて愛した男に、生まれて初めて裏切られたと知ったら、どうなるのか。それでも、情愛に従うのか。

 あるいは彼女は、死ぬのではないか。

 そのようにぼんやりと思いつつも、それでもセトゥゲルは、我が野望の階梯(かいてい)を登る歩みを止めようとは、微塵も考えなかった。

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