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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第29章 別離のとき
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第29章-⑦ 王都を目指して

 (アリサさんを術者へと導いて、交わる。僕の術者としての力は今の何倍にもなって、そうすれば……)

 アリサから聞いた話を反芻(はんすう)しては、しばしばその愚かしさに何度も首を振るサミュエルであった。

 老いて会話の成り立たぬマシューに、術者レティが最後に(のこ)した氷晶について訪ねるべく、すでに5日間、彼のもとに通い詰めている。

 時折、痴呆(ちほう)状態から脱して、対話能力が戻ることがあるそうだが、現時点でサミュエルたちとのあいだに意思疎通は成立していない。

 本当に会話ができるのだろうか、よしんば会話ができたとして、氷晶についてわずかでも心当たりがあるのか。それを思うと、サミュエルとしてはアリサが提案した、彼女に対する導きと術者同士の交わりによる思念の増幅という選択肢に、可能性があると思わぬでもない。

 だが、それだけは許されないのだ。導きは、安易にするものではないし、してはならない。たとえ闇に術者を討つためであろうとも。たった一人に導きを施すことが、いかなる災厄を世界にもたらすか、それはもしかすると、闇の術者が跋扈(ばっこ)する以上の災いかもしれない。

 この数世紀、歴史に一切登場せず、ひたすら雌伏(しふく)して連綿と血統をつなぐのみであった術者。その存在を再び大陸に知らしめたのは彼である。今また、術者の末裔(まつえい)とはいえその資格を持たぬアリサに彼が彼のみの判断によって導きを行うことなど到底、許されることではない。例えば、亡き姉は決して許さないであろう。

 加えて、愛情を持った術者同士が交われば思念が数倍になるというのも、事実かどうかわからない。そうなることもあるかもしれないが、ならないかもしれない。第一、彼がアリサを女性として愛していない以上、この言説は彼らには適用されないであろう。

 しかしこのままマットと接触を続けて、成果が出るのか。

 6日目、飽きもせず痴呆老人のもとへ通い続けるサミュエルらが哀れなのか、マシューの息子だという男が呆れた表情で声をかけた。

「あんたら、よく相手をしているなぁ。そんなにまでして、聞きたいことがあるのかい」

 マシューが切り開いたというこの農場はそれなりに裕福で、使用人も多く、誰もが精力的に働いている。アンティータムから移住して、マシューは恐らく、非常な苦労の末に、一代でこれほどの身代(しんだい)を築いたのに違いない。

 今日も今日とて、マシューは外れの小屋にいる。徘徊(はいかい)癖があるらしく、人がいないときはこの小屋の鍵も閉められるという。この小さく薄暗い空間で、有り余る時間のほとんどを寝て過ごし、誰とも話さず、立ったり座ったりする以外は運動と言える運動もなく、人間らしい営みの一切を奪われて暮らしていれば、それは脳の働きもますます衰えるであろう。

 この日はただ、様子が少し違った。

「マットさん、こんにちは」

「あぁ、こんにちは」

 穏やかではあるが、その声にはやや、理性的な彩りが含まれているようにも思われる。気のせいでないことを祈りつつ、サミュエルはもう一度、呼びかけた。

「マットさん、僕のことが分かりますか」

「あぁ、何度か来てくれたね」

「そうです。僕たちはレティさんを、あなたのお姉さまであるヴァイオレットさんのことを、あなたに聞きたいのです」

「言ってみたまえ」

 サミュエルは期待を込め、前のめりになって、互いの唾が顔にかかるほどにまで近づいて尋ねた。

「レティさんのゆかりの場所を探しています。例えば、彼女が誰にも見つからないように隠し物をするとしたら。そのような場所を、ご存じでしょうか?」

「心当たりはある」

「教えてください」

「アンティータムの近郊に、洞窟がある。古い洞窟でな。子どもの頃はよく姉と探検に行ったものだ」

「アンティータムの、どのへんでしょう」

「どうだったかな」

 むなしいことに、あとはどう問いかけても、マシューの返答は曖昧(あいまい)で、要領を得なくなった。

 サミュエルは落胆したものの、マシューの言葉を信じて再びアンティータムに向かおうと考えた。だが同行するアリサの反応は渋い。

「あの様子では、言ったこともどれだけ信用できるか」

 要するに頭の弱った老人の口から出たことだ、信ずるには足るまい、とそう言いたいのである。そしてそれは暗に、彼女に対する導きと、交わりをも代替案として再提示していることでもある。レティの力の継承をあきらめるなら、サミュエルの思念を強化する方法はアリサへの導き、そして愛し合う術者同士の交わりしかない。

 サミュエルはアリサのそうした無言の要求に気づかぬ風をよそおい、ことさら楽天的な考えを示した。

「マットさんは、少なくともあの時間だけはまともでした。ともかく、アンティータムの洞窟を探してみましょう」

 彼らは旅支度をし、アンティータムへ舞い戻って、マシューの言った洞窟を探した。まずは真っ先に、レティとかつて恋仲だったというトウェインを尋ねた。が、

「知らない」

 と言う。それからも二人は町の住人たちに洞窟のありかを聞いて回ったが、誰もがこの町の近郊に洞窟など見たことも聞いたこともないと答えた。

 (やはりマットさんの言ったことは、でたらめだったんだろうか)

 そうは思えなかった。そうは思えないが、それは単に、サミュエルが信じたいだけなのかもしれない。

 1ヶ月をかけても、ついに洞窟について知っている者は現れなかった。

 彼はやむなく、アンティータムの周辺を捜索することにした。自分の足で、である。それは途方もない(こころ)みであった。アンティータムは東側にシンシナティ山脈と呼ばれるこの大陸で最も急峻な山々を見上げている。6,000m級の連山の(ふもと)にある町だから、特に東郊部は勾配(こうばい)が激しく、山や谷が所狭しと並んで、しかもそのほぼすべてが密林に覆われている。このなかから、あるかどうかも分からない洞窟を探し出すなどというのは、大河の底からエメラルドの原石を拾い上げるより難しいであろう。

 実際、捜索は難航した。そして結局は見つからなかった。

 ついには体力も気力も尽き、ベニントンへと戻って、マシューに重ねて情報を得るべく彼を訪ねたのだが、そのとき彼は現世から旅立ったあとであった。

 覆水盆に返らず、とはよく言ったものであろう。

 サミュエルはレティの氷晶を探す手がかりが尽きたことを悟り、失意に暮れたが、完全に絶望したわけではない。

「僕は、王都トゥムルへと向かいます」

 彼は、そうアリサに宣言した。今の状態で、闇の術者スミンに挑戦する意志を固めたのである。

 アリサには不満があったろうが、それでも彼の意に従った。合衆国領から王国の植民地となっている旧ブリストル公国領を突っ切って、王都トゥムルを目指す。到着すれば、あとはスミンを討つだけである。

 勝ち目がない、とはサミュエルは思わなかった。レティが遺した二つの氷晶から、彼は以前とは比較にならないほどの思念をたくわえている。これを解放すれば、スミンがどれほどの術を駆使しようと、よもや後れをとることはなかろう。

 杖をつきながら、彼は一歩ずつ、王都トゥムルへの道のりを歩み始めた。

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