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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第29章 別離のとき
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第29章-⑥ 再会

 サミュエルとアリサを半ば見捨てるようにしてベニントンを発したミコトとアオバ、ミョウコウ、そして忠犬サギリの一行は、まず西へ向かった。西の城塞都市オリスカニーから、さらに南西へ下って帝国領へ入り、エーデルの宿駅から今度は南へ折れて、ダンツィヒ街道を進み、突き当たりの三叉路エイクスュルニルの迷いを右に歩けば、教国領である。長旅になるが、もはやミコトにとって第二の祖国とさえ言っていい国都に帰れるのならば、気持ちも幾分、晴れやかである。

 もっとも、気がかりがないわけではない。

 サミュエルのことである。しかもそれは、ミコトだけではないようだった。ミョウコウは道中でもしきりと後ろを振り返っているし、アオバも、日に一度か二度は、思い出したように、

「サミュエルさん、無事にやっているでしょうか」

 と、ミコトに尋ねるわけでもなく、口にしている。そのたび、ミコトも迷いを振り払うように、歩みを速める。彼女を追ってこないということは、サミュエルがその必要はないと思っているという証だ。こちらが気にかけてやることもあるまい。

「城塞都市」と冠して呼ばれることの多いオリスカニーは、一般的に合衆国第二の都市とされる。これはこの地方における経済的あるいは文化的な集積拠点になっているという点においてだが、軍事基地としての重要性も大きい。合衆国の西部方面軍が駐留し、主に帝国方面に対する防衛拠点になっているということである。

 そうした関係もあって、この都市は北から西、南をめぐって東までを、ぐるりと城壁が囲んで、外観はさながら要塞のようである。この城壁の歴史は古く、すでに完成から数世紀を経過しており、またその防衛力もカタパルトが拠点攻略の主力となっている現在ではさほどの実用性はないとも言われている。ただ、それでも長大な防壁の存在はこの街の最大の特徴でもある。

 街の北東側は南のホーネット火山から流れるホーネット川が流れ、この川と防壁に囲まれたエリアを旧市街と呼ぶ。新市街は川を越えた北東側に拡大を続けており、この方面はさらなる拡張性があることから、都市としての主機能は新市街側に移っている。

 ミコトらは特に道を急ぐ必要もないことから、まずはこの街に数日逗留(とうりゅう)して、旅の疲れをとることとした。しかし、彼女らは8月19日にオリスカニーに到着し、予定を変更して翌朝には出立(しゅったつ)している。

 理由は、クイーン率いる教国軍が帝国を降伏させてのち、新生ノルン共和国の首都であり旧帝都であるヴェルダンディに滞在していることを聞きつけたからである。

「今から向かえば、帝国領内でクイーンにお会いできるかもしれない」

 と、そう考えたのだ。ヴェルダンディでなくとも、途中のエーデルあたりで、帰国途上のクイーンに接触できるかもしれない。

 ミコトらは帝国領に向け、足を速めた。

 そして8月27日には、エーデルの宿駅に投宿することができた。ちょうど翌日にはクイーンの率いる教国軍本隊がこの地に到来して、一泊したのち、帰国するらしい。

 だがミコトはここへきて、思案すべきことがあることに気づいた。

 (サミュエルさんとのこと、クイーンにはどう伝えよう)

 道中でアリサという少女を加えたが、この少女とサミュエルが宿で口づけを交わしているのを見て腹が立ち、彼を置き捨てて帰ってきたと、そう正直に言うべきだろうか。

 (気が重いな)

 と、ミコトは思った。まるで、彼女がアリサに嫉妬して、腹立ちまぎれに彼を捨てたように受け取られるかもしれない。

 とは言え、大恩があり、その人柄を尊敬してもいるクイーンを偽るのも憂鬱である。

 思い悩むうち、教国軍の大軍勢がエーデルとその周辺に到来した。クイーンのいる近衛兵団が、エーデルの宿駅に駐留することになる。

 早速、行ってみた。

「失礼ですが、旗本のダフネさんはいらっしゃいますでしょうか。お取次ぎを」

 ダフネの縁者であると説明し警備の近衛兵に依頼すると、代わりに出てきたのはダフネの同僚のクレアであった。ダフネは任務のためすでに国都に帰還しているという。が、クレアもかつてサミュエルの逃亡に関わった経緯があり、ミコトの立場もわきまえている。すぐに兵団長のヴァネッサを通じて、クイーンに報告を上げてくれた。

 教国から帝国への進軍、慣れない風土での連戦に次ぐ連戦、帝都での占領行政に、合衆国大統領との会談。彼女のその動静について、ミコトはこのエーデルで、たっぷりと情報を集めている。さぞや疲れているであろうに、クイーンはすぐに、ミコトのもとへと自ら足を運んだ。

「ミコトさん、よくご無事で。またお会いできて、本当にうれしいです」

 わざわざミコトの手を握りしめ、感激と喜びの様子で相好(そうごう)を崩し、栗色の瞳をうるませている。ミコトも、思わず涙を流した。

「クイーン、ありがとうございます。そのように言っていただけて。私も、(おそ)れながらクイーンにお会いしたく思っておりました」

「心から、歓迎いたします。ところで、サミュエルさんは?」

「実は……」

 ミコトの顔色に(かげ)りが生じたのを、クイーンは見逃さなかったらしい。安堵(あんど)させるようにやわらかい微笑を浮かべ、

「今夜、一緒にお食事をしましょう。お話はそのときにゆっくりと」

 ミコトは目を丸くした。彼女はこれまでに何度かクイーンと直接に話す栄誉に浴してはいるが、食事をともにするというのはさらに特別な扱いである。一国の王でありながら、隔意をもうけぬその態度に改めて驚いた。

 しかも夜になってさらに驚かされたのが、招待されたのがミコトだけでなく、供のアオバやミョウコウも含めてであることだった。まさかサギリも、と尋ねると、改めて招待の使者として(つか)わされたクレアは、当然のように(うなず)いた。アオバはもともとミコトの従者としてクイーン自身とも面識があるからまだしも、ミョウコウにいたってはその素性(すじょう)すらまだ確認していない。ミコトがかえって不安になるほどの気さくさ、あるいは不用心さであった。

 ただし当然ながら、ミコトらは武器の(たぐい)を預け、さらに近衛兵による厳しいボディチェックが課せられることになった。

 晩餐(ばんさん)の場で、ミコトはサミュエルとの旅の経過について、細かく報告をした。ダフネの手引きで教国領シェーヌまで隠密に移動し、そこから船でオユトルゴイ王国のグイリン港に渡り、アオバの故郷であるアマギの里を目指した。旅の途中で目撃した王国の荒廃ぶりは目を(おお)うほどで、スミンの悪政が民衆を苦しめている様子が随所にうかがわれた。アマギでは術者レティの(のこ)した氷晶に触れ、サミュエルは力を受け継ぐことに成功したものの、頭領のミナヅキと反目し、アオバは父でもある彼を殺して脱走。ミョウコウは里を去るとき、ミナヅキからつけられた忍びである。アオバはミコトらと合流すべく逃走したが、幼馴染のマヤに追いつかれ傷を追い、次の中継地であるバブルイスク連邦の首都イズマイールでようやく再会を果たす。サギリもこのとき、アオバとともに合流している。秘密警察に追われながらも、ポリャールヌイ地方まで行き、サミュエルは二つ目の氷晶に触れる。縁あってアリサという少女を一行に加えるが、合衆国領で次の氷晶探しに難航するうち、彼女はサミュエルを誘惑し、サミュエルも拒否をしようとしなかった。ミコトはそうしたサミュエルの煮え切らない態度に不信を抱き、ついに(たもと)を分かった、というより、彼を見捨てて帰ってきた。

 そこまで話して、ミコトは、

「申し訳ございません」

 と、うなだれて陳謝した。サミュエルを託されたのに、彼女の個人的な感情の問題で、その務めを放棄してしまった。強大な力を有した術者、クイーンがその無事を願うサミュエルは、もはや野に放たれて、居場所や消息を知ることもできない。自分はクイーンの信頼に応えることができなかった、としょんぼり詫びると、よほどしおらしく見えたのであろう、

「ミコトさん、そう気落ちしないでください。もともと私が、あなたに無理をお願いしたのです。本当にありがとうございました。アオバさん、ミョウコウさんにも、改めて感謝いたします」

 そう言ってぺこりと頭を下げたので、ミコトはかえって慌ててしまった。

「とんでもないことでございます。ご期待を裏切ってしまったのに、こうして拝謁どころか、会食の機会までいただけて。望外のことと存じます」

「お料理もできたようなので、気分を切り換えるためにもいただきましょう。旅先でのことなど、もっと色々お聞かせください」

 帝国領、このときはすでに帝国の民主化と国名の変更が発表されて、ノルン共和国になっているが、この地方の骨太な郷土料理に舌鼓を打ちつつ、王国や連邦、合衆国の情勢や風土について、覚えている限りのことを話した。クイーンは、例えば各地の食文化や服飾文化の特色に興味を持ち、目を輝かせることも多かったが、王国の忍びや連邦の秘密警察といった組織の話が出ると、その栗色の瞳に知性的な彩りをたくわえて、熱心に情報を集めた。特に秘密警察に関しては、旧帝国の特務機関のごとき悪辣(あくらつ)さを持ち、しかも治安維持から国外諜報、暗殺や破壊工作まで手広くやっていると聞いて、警戒心を強めたようであった。

「連邦の秘密警察ですか……連邦に関してはわずかに情報はあるのですが、いかんせん我が国から最も遠く、かつ大陸諸国のなかで唯一、紛争に介入していない国でもあることから、諜報の優先度は最も低くしてあります。秘密警察、思っていたよりも連邦において重要な位置を占める組織のようですね」

 横から、席に相伴(しょうばん)していたエミリアが確認を入れた。

「連邦領内での情報収集を強化しますか、クイーン」

「いえ、情報収集能力が限定されているなか、今後の動きが不透明な連邦に対する諜報に力を傾けすぎるのもどうかと思います、優先度としては、あくまで同盟や王国の情勢を把握することに注力すべきでしょう。例の件も、未解決ですし」

 クイーンはこのとき、連邦関連の情報収集はすでに潜入させている工作員からの通常の定期連絡のみとし、それ以上の人員や資金の投下は必要ないむね、明言した。

 この判断に関しては、一部の歴史家から批判の声を受けることがある。既述したように、連邦の最高権力者であるマルコフ議長は、大陸内の紛争に関心がないわけではない。むしろあふれるほどの注意を払っていた。彼が動かないのは、動きたくないのではなく、まだ動けないと判断しているからに過ぎない。マルコフの人となりをよく知っているならば、彼が事態を静観しているのは一時的なものでしかないと容易に判断できたであろう。

 ただ、クイーンはマルコフのことをそこまで深く知っているわけではない。油断のならない人物ということは認識しているが、そこから彼の行動や野心のおもむく先を洞察できるというほどではない。

 それに、彼女が口にしたように、教国の情報収集能力にも限度がある。限定的なリソースをどう適切に配分してゆくべきか、という視点で評価した場合に、彼女の指示は妥当(だとう)であり、結果的にのちのちより複雑怪奇な国際情勢を招くに至ったのも、致し方のないことと言えそうである。

 ミコトとしては秘密警察の件よりもむしろ、クイーンの最後の言葉が気にかかった。

「立ち入るようですが、例の件とはどういったことでしょうか?」

 クイーンとエミリアは一瞬、互いの顔を見合わせ、ミコトには感じることのできない無言の意志疎通のあと、彼女に近衛兵団内の情報漏れの可能性について話した。

 聞いているうち、ミコトは一見、鉄の結束を誇る近衛兵団においてさえも、このように裏切りの疑惑が渦巻いていることに驚いた。

 (いやはや、大変な世界だ)

 やりきれないような思いでいたミコトだが、ここで彼女の(かたわ)らに座っていたアオバが、きりりとした表情で背筋を伸ばした。

「陛下、僭越(せんえつ)ですがその件、私にもお手伝いをさせていただけませんか。スパイのあぶり出しには、私のような忍びが適しているかと存じます」

「私としては願ってもないことですが、しかしそれではミコトさんが、何かと心細いのではありませんか?」

 ミコトはクイーンとアオバ、二人の視線を受けて少々戸惑ったが、すぐに頬をやわらげた。彼女には、この旅を通じて、アオバに対して思っていることがあった。それを伝えるには、ちょうどよい機会かもしれない。

「私のことなら、お気遣いなく。アオバも、もう私の侍女(じじょ)ではないのだから、自分の身の振り方は、自分で決めていいのよ」

 アオバはかすかに涙を黒い瞳ににじませ、ゆっくりと(こうべ)を垂れた。

 こうしてアオバは本国に戻り次第、教国の防諜任務に従事することとなった。ミョウコウとサギリは、引き続いてミコトと行動を共にする。

 8月29日、教国軍の主力はミコトらを加え、エーデルの宿駅を発し、再び国都アルジャントゥイユへの帰還の旅を開始した。軍は行く先々で新生ノルン共和国の民衆から歓呼を受け、まさによき隣人としての両国の新たな歴史が始まっていることを全軍に実感させた。

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